『やさしさでつくられた棘』

……眩しい。今、何時だろう。
台所から、まな板と包丁のぶつかる、トントンという小気味よい音がする。
しばらくして、味噌の匂いも漂って来た。

空港の匂いは国ごとに違うという話だが、日本の空港の匂いは味噌だという。
味噌は、やはり日本になくてはならないものなのだ。

そういえば、今日の味噌汁の具は何だろう? 最近、豆腐とワカメを見かけないから今日こそは、それかもしれない。恋人には言っていないが実は、自分は味噌汁の具では豆腐とワカメが一番好きなのだ。
それと、今日のメインは焼き魚か。香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。
いつまでも寝ていないで食事の支度を手伝わなければ、また、「こっちのが負担大きいんだから、ちょっとは手伝えっての!」とか言われながらド突かれる…。

とりとめのない事を寝起きの頭で考えながら、ブラックこと土田連賀は布団から這い出した。
「……」
台所で朝食の支度をしている人に、手伝おう、と心の中で一言声をかけた連賀は、恋人の新妻さながらなエプロン姿に感動して暫し立ち尽くす。
「わっ! ビックリしたぁ、どしたの連賀?」
冷蔵庫から食材を出すため後ろを振り向こうとしたグリーンこと鳥ノ井明美は、無言で直立不動する影に気付き声をかけた。
「今日は休日だから、もうちょい寝ててもいいよ?」
穏やかな声に眠気が一瞬呼び戻されたが、頭を振って連賀は睡魔を追い払う。
「…手伝う」

──珍しい。いつも夜更かしするから朝は弱いのに──

明美は、殊勝な申し出をした恋人に対して、ちょっぴり失礼なことを考えていた。
そんな風にビックリしたのも、連賀の普段の行動のせいなので、明美を責めないでやってほしい。

体力には自信がある明美だが、男同士で愛し合うのはやはり疲れるので、行為が終わった後、気絶するかのようにシーツに倒れ込み眠りに落ちてしまう。そして明美が夜中に目を覚ました時に、自分で持ち込んだノートパソコンに向かう連賀を幾度となく明美は目にしていた。

連賀は、いわゆる『オタク』というヤツで、夜中にネットサーフィンをしたりチャットに興じるのが日課。

だから愛の営みが終った後、意識を飛ばしてしまった明美の体を清めて、さっさとパソコンに向かってしまう。

そんなわけで明美は、連賀は朝が弱いことを分かっている。だから、驚愕もするのだ。

──本当、オンラインの世界は連賀にとって砂漠の中のオアシスのようなものなんだな。あーゆーコトした後も必ずネットサーフィンするんだもの…。なんだか…やだ、なぁ…──

架空に近い世界の住人に嫉妬するなどと馬鹿らしいと思いながらも、心が思い通りに行くわけはなくて。
暗い思考が、明美の脳内を侵食しはじめた。

 

ただでさえ、自分達は世間一般の目から見たら『異様』──否、『異常』なのに。
いつ、関係が終わってしまうか分からないのに。
自分で自分を、そして互いが互いを守るしか関係を持続させる術が無いのに、連賀には自分を不安にさせないようにとか、そういった気遣いは微塵も感じられない。
もう少し、自分や周りのことを考えてくれても良さそうなものなのに。
いや、二次元の美少女しか愛さない・愛せなかった彼が、自分に振り向いてくれたこと自体が奇跡なのだし、それ以上のことを望むのは些か欲張りすぎなのかも知れない。

そんなことをつらつらと考えていると、連賀が顔を覗き込んでいた。
その目と表情は雄弁に「どうかしたか?」と語っている。
「ええっと、じゃぁ…お膳拭いて食器出して。もうすぐ出来上がるから」
明美は何事もなかったかのように明るく振る舞い、今日もまた、心に刺さった新たな棘に気付かないフリをした。
連賀は連賀で、無理して聞き出そうとは、決してしなかった。
機会があれば、いつか明美の方から話してくれるだろう、と思っていたからだ。

その『いつか』は、連賀が思っているよりも早くやって来ることになる──。

 

 

朝食を終え、明美と連賀は昼食を持って、近くの公園に足を伸ばす。
その公園は珍しく芝生が立ち入り禁止になっていないため、引きこもりの連賀も気に入っている場所だった。

正義のヒーローに休日はないため、二人の休日が重なるのは三週間ぶりだ。
もっとも、日勤の時、連賀は帰りに明美宅に寄って夕飯を共に取り、そのまま泊まっていくのが常なのだが。
けれどもやはり、二人揃っての休日は嬉しいし、どこかに出かけるのも楽しいものだ。
以前、ブルーに「あんな、表情どころか感情の欠片もなさそうな男の友人を、よくやっていられますね」と言われたのだが、自分は連賀に表情や感情が無いとは思わない。
目は口ほどにモノを言うというが、連賀の場合、まさにそれなのだ。
喋らない分、彼はお世辞も嘘も言わない。そう考えると、かえって信用できる奴なのではないか、と自分は思う。

だが、自分以外の人にとっては連賀は扱いにくい以外の何者でもないということを知っている。
それが、明美にとってはちょっと、いや、かなり嬉しかったりする。
優越感というか。
自慢というか。
上手くは言えないが、とにかく喜ばしい。

「やっぱり平日ってこともあって、人が少ないね〜!」
連賀は明美の言葉に頷き、微笑んだ。

──ああ、やっぱり、この顔の連賀が一番好きだなぁ──

心からの、飾らない笑み。その笑顔は自分の心の靄を、緩やかに晴れさせてくれる。

そんな気がした。

 

「ふぃ〜、やっぱり芝生に寝転がるのって気持ち良いね〜! 草いきれの匂い、涼やかな風…なーんて、僕って意外と詩人?」
自画自賛する明美を覗き込んだ連賀は、薄く微笑んでから、かすめるように唇を落とす。
「なっ! 誰かに見らッ」
連賀が避ける間もなく、明美が抗議しながらガバリと起き上がった結果、明美の額が連賀の顔面を直撃した。
「ったーッ!」
「…ッ!!!」
額の皮膚の下は頭蓋骨なので、明美のダメージは連賀の比ではなく、軽いものだ。しかしながら連賀は顔面…むしろ、鼻に直接攻撃を受けたわけで。被害が甚大であることは言うまでもない。
連賀は鼻を押さえながら痛みに涙をうっすらと浮かべ、芝生に蹲った。
「だ、大丈夫?! ゴメン連賀…!」
殴るつもりで起き上がったのだが、予想外の場所に予想外の打撃を与えてしまった混乱で、明美は思わず謝っていた。
屋外で不埒な真似をした連賀が悪いのだから自業自得なのに、明美はつくづくお人好しだ。

良識ある一般人が此処に居たのであれば、二人に『因果応報』と進言するのであろう。
が、残念なことに平日の公園には家族連れが二・三組しか居らず、それぞれマイファミリーの世界に入っている。
そのため、常識的な指摘をしてくれる者は誰一人として存在しなかった。
もっとも、人の恋路に口出しするとロクなことにならないと皆知っているので、二人に直接意見できる勇気ある人物は世界中どこを探しても見つからないであろうが。
「大変! 鼻血出てるよ、ティッシュティッシュ!!」
明美は大慌てでバスケットからポケットティッシュを取り出し、小さく丸めて連賀の鼻に詰めたのだった。

 

 

「……はぁ……」
雲一つ無い快晴の空に、小鳥の鳴き声が爽やかな風に乗って響き渡る。
なんと美しき春の日なのか!

膝の上には両鼻にティッシュを押し込んだままの恋人…。
なんと、この清々しい日に相応しくない光景なのか!

思わず、ため息の一つや二つ吐きたくなってしまう。
「も〜せっかくの休日が台無し…」
明美の愚痴めいた独り言を心の中で否定した連賀。
麗らかな日差しの中、恋人の膝枕で休息が取れるのだ。明美にとっては足が痺れるわ周りの目が恥ずかしいわで居たたまれないであろうが、連賀はひたすら幸せだった。

「ごめん」
言外に様々な意味を含む謝罪の言葉に、明美は苦笑しながらも「良いよ、気にしないで」と返し、連賀の頭を撫でた。

初めて会った時は、栄養不足と睡眠時間の不安定さのせいで肌も、髪のキューティクルもパサパサだったな、と明美は思い起こす。

自分の生活パターンに巻き込むようになってから連賀は善くも悪くも、そこらの男よりも、ずっと見栄えがよくなった。
顔色は土気色から健康な肌色に。目には生者の輝きが生まれ。色を失っていた唇は赤みを取り戻した。
脱色を何度も繰り返したかのように乾燥し、ちょっと引っ張るだけで切れてしまっていた髪の毛は、今や誰にも負けないくらいの艶やかな漆黒へと生まれ変わって。
ここまでにしたのは自分だ、という誇らしい気持もあるし、美形の人間が側にいると目の保養にもなるので、大変よい。

ただ、先に『善くも悪くも』と述べたように、よろしくない面も出てきた。
生活を改善してからの連賀が、とてもモテるようになったことだ。
連賀は、いくら二次元の美少女しか愛せないとしても、コスプレをしている女の子なら好きだ。
吉祥寺駅でコスプレ少女に逆ナンされて、まんざらでも無さそうだった。
もっとも連賀は、ほとんど喋らないので女の子の一方的な自己アピールとオタ話で終わるのが常だったけれど。
それでも、やはり恋人が逆ナンをされ、しかもそれを阻止することのできない立場であることが辛い。

無神経だ、と恋人を非難したかった。
でも、できない。
ワガママを言いたいのに、言えない。また、悪い癖が出てきた、と思った。
個性と自我が異様に強い姉達に囲まれて育ったからなのか、どうも自分は自己主張が苦手だ。
たまに、それとなく逆ナンをされてもついて行かないで欲しいと言っているが、連賀は、別に付き合うわけでもないし、ただ趣味の話をしているだけだ、と言って分かってくれない。

──なんで。なんで分かってくれないんだ。連賀だって、僕が他の人と話してるとスゴい顔で睨んでくるくせに──

「連賀のバカ」
思わず口をついて出た言葉に、連賀は切れ長の目を大きく見開いて自分を見上げている。
その様が可笑しくて「バーカ」と繰り返しながらケラケラ笑うと連賀が神妙な顔をして頬に触れたので、なんだよ、と抗議すると、恋人は短く告げる。
「…泣くな」
と、それだけを。
「なに言ってんだよ、泣いてなんか…」
明美が頬に触れている手を払い除けると、連賀の額に雫が数粒落ちた。
「雨…?」
空を見上げると、温かな水が一筋の川を成して、こめかみを伝った。
不覚。
連賀の言うとおり、自分は涙を流している。
でも、なぜだろう。

妬みか?
怒りなのか?
それとも悲しみ?

「…違う…」

そうではない。
女性への妬みとか。
恋人に対しての怒りとか。
そんなモノへの感情の発露ではない。

…幸せ。
そう、幸せなのだ。
恋人がすぐ近くにいて。
触れることができて。
今を共有できたことが、どうしようもなく『幸せ』。

醜い心。
惨めな気持ち。
寂しい想い。
確かに、それらの嫌な感情もあるけど。
それ以上に嬉しい気持ちも、彼とともに居て生まれる。
やはり…幸せ、なのだろう。

色々な心を持っている自分に気付けてよかったと思う。
自分にこんな感情があるなんて、と多少ショックは受けるけれど、気付いたなら気付いたで、自分で直せばいいのだ。
その機会を与えられたのだから、活かせば良い。

そういった意味でも、好い人間に変われるチャンスをくれた出会いができたのだと考えると、『幸せ』をより深く感じる。

「ゴメン…僕、僕は…」

静かに顔に降ってくる明美の溢す心の象(カタチ)は、暖かく優しくて。なのに、胸が張り裂けそうに痛い、と連賀は感じた。

──そうか、これは『切ない』という感情か。──

「明美…」
珍しく外で名を呼ばれたことで、明美の涙は一瞬で引っ込んでしまった。

連賀が、今までにないくらい真剣な面持ちで明美を見つめている。
…鼻にティッシュを詰めたままで。
「…ぶっ…」
明美は堪えきれず吹き出した。
「はははははは! シ、シリアス顔、台無しー!! はははははは、ふぁはーはははは!!」
これから、とてつもなく真面目なことを言おうとしていた連賀は気勢を削がれ、しばらく放心状態になる。
明美の笑いが収まってきた頃、連賀はようやく自分の何が可笑しかったのかに気付き、不名誉の証を鼻から取り出した。
「あぁ〜もぉ〜…あんまり笑わせないでよね!」
笑いかけた明美の表情は晴れやかで、連賀は「笑わせたくて笑わせたわけじゃない」と憮然としながらも、つられて笑みがこぼれてしまう。
「なっ、なにッ?!」
連賀の笑みに何か報復があるのではないかと勘繰った明美は、恋人の反応を待つ。
「…いや、ただ」
「…『ただ』?」
「明美が笑顔でいると、嬉しい」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかった明美はみるみる内に茹で蛸になった。
それだけでなく、いつも怒る時に見せる表情をしている。目から溢れんばかりの涙を浮かべて、下を向いてしまった。
せっかく泣き止んだのに何故、と連賀はショックを隠しきれない。
「…ほんと、いつもイキナリばっかりだ…」
連賀が慌てふためいて明美を抱き締めようと肩に手を置いた瞬間。
「泣かした〜」
横から、幼児期特有の甲高い声がかけられた。
「なかちたー」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんを泣かしたー!」
恐らくは姉妹であろう女の子二人が、明美と連賀の周りをグルグルと回り始める。
二人が呆然としていると、
「こらっ! あのお兄ちゃんとお姉ちゃんは恋人同士なの! お姉ちゃんが泣いたのはお兄ちゃんが悪いからじゃないの!(多分)」
と、母親らしき人がどこからか出てきて我が子を荷物のように抱える。
その女性は明美と連賀に会釈をしながら、すみませんでした、と謝ると夫の許へと、そそくさと戻って行った。

「…あの子たちの言ってたこと、あながち間違ってないよねぇ」
「…え゛」
「僕的には連賀に泣かされた、ってのは事実なんだけどな〜」
「なんやて?! 俺なんや悪いことしたとね?!」
切っ羽つまったり混乱したりすると出てくる、連賀のごちゃ混ぜ方言。
こんな取り乱した彼を見るのは久しぶりだと思う。
「…大好きだよ、連賀」
向こうが何かを応へようとする前に、明美は連賀に触れるだけのキスをする。
「……」
連賀は、石化の魔法をかけられてしまったかのようにピクリとも動かない。

──明美が。あの、人一倍恥ずかしがり屋な明美が屋外で…そんなバカな!
…! そうか!
これは夢だ!!──

連賀はパニックに陥り、近くの木立に全速力で駆けて行き、おもむろに頭を打ち付けだした。
「な、な、な、なにやってんの連賀あぁ?!」
明美は焦って連賀を止めようと背中に抱きつく。

──ま、またしても明美が。人目を憚らず自分に触れて…やはりこれはッ!──

「夢だっちゃ! 夢なんじゃけーん!!」
「ちょっと連賀!」

──どうしよう、今のテンパりモード連賀は、僕じゃ止められない…。
どうすれば…──

「そうだぁッ!」
明美は一言叫ぶと荷物を置いてある場所に戻って、バスケットから小さな、赤い銀紙の包みを取り出した。
「昌美姉ちゃんがくれた、『勇気をくれるチョコ』!!」
明美は、あからさまに怪しい肩書きを持つ包みを素早く解くと、中身を口に放り込んだ。

モグ、ゴックン。

明美は、ただのチョコだと思って食したのだが、ふと違和感を感じる。
喉が焼けるように熱い。それに、鼻に抜けるこの香りは、まさか…。
「こっ…」

──これは、ウィスキーボンボン…!──

吐き出そうとしたが時すでに遅し、アルコール度数40度のウィスキーとともにチョコの欠片達は、食道へと飲み込まれていってしまった。

──そして、数十秒後。

「…ふぅ、表に出るのは久しぶりだな」
ニヤリ、と感情の読めない笑いを顔に貼りつけた明美は、もう先程までの彼ではなかった。

明美は酒を一滴でも口にすると、人が変わってしまう。
無慈悲・無感動・無敵。三つの無を兼ね備えた、最強最悪な人格が顔を出すのだ。
「ったくコイツは…どうして、こうも周りに気ィ使ってばっかりなんだ。俺様の仮の姿とは思えん、情けねぇ」
さらにこの人格は唯我独尊タイプなので、自分が副人格とは思っていないらしい。
よく、酒を飲むと本性が出ると言うが、そういう意味では、この冷酷無慈悲な彼は明美の本質と言ってもいいのやも知れない。

封印を解かれた暗黒神は、もう一人の人格が恋人として定めた男の許へと、歩を進めたのだった。

 

 

明美は、未だ混乱中の連賀の臀部に蹴りを入れる。
バシッだかドスッとかいう、鈍い音。
連賀は打撲を受けた箇所を押さえて無言で地に膝をつく。
先ほどの姉妹が目を丸くして二人の様子を伺っていた。
「瞬殺だぁ」
「ちゅんちゃちゅー」
幼な子には、明美の蹴りがどれだけ重いものであるのか、分からない。
無邪気な二人は両親の許へ何事もなかったかのように走って行くだけであった。

「連賀くぅん、久しぶりだなコラ」
聞き覚えのある、低い声。
そして、この口調。

──…なぜ。なぜ『彼』が今、この場所で出現するんだ!──

「…お前は…」
「『貴方様』だろ?! ああ?!」
振り返りながら呟いた言葉に、しっかりと返事をしてくれて嬉しいやら嬉しくないやら。
「随分と俺様の分身を可愛がってくれたみたいだなぁ?」
やはりそこには、裏明美が、居た。

 

 

「俺としてはなー、表の俺が可愛いわけよ。俺にはないモノを持ってる。素直さとか? 純粋さとかな」
「…はい」
連賀は正座をさせられ、裏明美の説教を聞いている。
「アイツはさぁ…優しいっつーか優柔不断っつーか、お人好しっつーか? それで心の中に…少ーしずつ、棘をためてっちまう…おかしーと思わねぇ? ちょっと頑張って本音言やぁいいだけなのによ…ハハハハ」
「…ハハハ…」
「なに笑ってやがる原因の一端が!!」
今度は右の二の腕に蹴りを入れられた。
低体重からは考えられないくらい、強烈な一撃を明美は放つ。大の大人でも、涙を浮かべるほどの打撃を。
連賀は、あと何回攻撃を食らわねばならないのか考え、血も凍る思いでいた。
「お前さぁ、夜中にネットサーフィンすんのヤメロ」
「……!!」
世界の終わりとでもいうかのように驚愕してみせる連賀を見、明美は先程の命令に付け足した。
「あー、毎日するなって言ってるんじゃないの。コトを致した後は俺様の分身の側に居ろ、ってこと」
裏明美の言葉の意味をすぐには理解し得なかった連賀だが、分かった途端に彼の脳内は沸騰する。
「な、な、な、なん…」
「…あー、アレだろ、『なんで関係を知ってるんだ』ってのと、『何故そんな細かいことまで知ってるんだ』って言いたいんだろ」
連賀は勢いよく首を縦に振る。
裏明美は自分自身を親指で指し、続けた。
「コイツは俺様の分身だぜ? 知らないわけねぇだろ、バーカ」
連賀は戦慄した。では、最中のあーんな恥態やこーんな恥ずかしい行為まで…!!
「バァカ、俺様にだって、ちゃぁんとデリカシーってモンがあるんだよ! アイツが俺に無意識に、助けを求めて来た時だけ見る。その時の光景、そしてアイツの心の傷の形を、な」
それを聞いた連賀は、もう一人の明美のことを他のメンバーとは違った風に捉えられるようになってきた。

ひょっとしたら裏明美は、明美の本心をいち早く読み、明美が壊れそうになったらその棘を抱えて表に出てきて、その棘を元の持ち主に突っ返しているだけなのではないだろうか。
知らず知らずの内に明美を傷付けていた者に、その痛みを分からせるため。
もちろん、傷付けられたからといって傷付けても良いということにはならないが。
でも、そうすることで、明美は心のバランスを取っているのかも知れないではないか。
ならば、明美の心の棘を抜くとか──棘が刺さらないようにすれば裏明美は…。

「そうだな、消えるかもな」
心を読まれているかのような、その言葉に連賀はギクリとする。
裏明美は、動揺する彼に心の中で悪態をついた。

──お前さ、俺がアイツの分身だっての、よく解ってないんだな。表の俺は、お前が喋らなくても何が言いたいか分かるんだぜ? だから俺も分かっちまうんだよ。ったく、連賀テメェはホントに…バカな奴──

「とにかく!!」
「はっ、はい!!」
「さっき言ったこと、忘れるなよ…それと」
裏明美とは思えないほど爽やかな笑顔で言われ、連賀は唖然として大口を開けたまま次の言葉を待つ。
「コスプレ女と『二人で』茶とかしようものなら、次は半殺しな☆」
恐ろしいことを天使のような笑みで言ってのけた裏明美に連賀は呆然自失し、ハニワのような形相になった。
「じゃな、俺様は…そろそろ、タイム、リミッ…ト……」
明美の体が突然力を失って、重力に引き付けられる。
連賀は正座の姿勢からダイブして明美を空中で抱きとめ、地面に倒れ込んだ。
「ぅげっ…」
蛙が轢死する時のような声を出して格好がつかなかったとしても、なんとか全身をていして明美を守ることはできた。恐らく彼には、怪我一つないであろう。
だが自分は、擦過傷・裂傷と打撲(無論明美にやられたのもある)と満身創痍だ。
それに極度の緊張による疲労で、今にも意識が遠退きそうだった。

ぼんやりと快晴の空を眺める。
恋人の重みと温もりが心地よい。
風が緩やかに吹くたびに、大好きな彼の匂いが自分の方に流れてくる。植物原料のシャンプーとボディソープを使っているため、香料の鼻につくような匂いはしない。
酒も煙草もやらない清潔な、明美の匂い。
ひどく、幸せだった。

 

 

どの位そうしていたのか、気が付くと雲一つなかった青空が、いつの間にか朱に染まり始めている。
もう、体の痛みは、ほとんど引いていた。
「…ん…」
わずかに身じろいだ明美が瞼を重そうに持ち上げる。
「…おはよう、明美」
挨拶を聞いて、また目を閉じて何事かを口の中でムニョムニョ言っていた明美だが、今がどういう状況かを思い出したのか素早く連賀の腕から抜け出し、正座して思考を整理しはじめた。

倒れている恋人。
その上に乗っていた自分。
寝技をかけていたのか、倒れ込みながらエルボーを食らわしたのか…。
しかも連賀はあちこち怪我をしているし、服も所々土で汚れてヨレヨレになっている。

一方、自分は酒を摂取して、そして記憶を失っていた。
このパターンは、つまり。
また、やってしまったのだ。無為に人を傷付けた。

段々と青ざめていく顔がくしゃりと歪み、明美は半泣きで連賀に頭を下げる。
「ごめんなさいっ! …あ、謝って済む問題じゃないけど……本当にごめんなさい!」

──また泣いて…。それに、謝らなくてはならないのはこっちなのに──

連賀は震えながら謝罪を繰り返す明美を見て、心を痛める。

今まで、傷つけていたことに気付かなかった。
彼の優しさに甘えるばかりで、支えようとしていなかった自分。
これからは、しっかりと互いに支え合っていきたいと心から思い、そっと心の中で、もう一人の明美に誓う。
「…明美が謝るようなことは、されてない」
「…え?」
連賀はゆっくりと体を起こし、明美の頬を両手で包み込んだ。
「ありがとう、明美。そして…今まで傷つけてすまなかった」
どうして連賀が急に、そんなことを言うのか解らない。けれども明美は、これまで抱えてきた心の重荷がストンと外されたようで、嬉しくなって号泣しだした。
「泣くな、明美」
連賀は明美の肩を抱きながら、目元に唇を寄せる。
優しくされると逆に涙腺が緩むということに気付いていないのか、連賀は後から後から溢れる雫を舌で掬いとった。
「泣くな」
「うぅ〜…」
「…好きだ」
「うえっ…」

──連賀が優しいせいで、涙が止まらない。ダメだいつまでも泣いてちゃ、ほら、皆が見てる…。
……えっ?!──

明美は驚きのあまり、ピタリと泣きやむ。
何故なら周りには、人・人・人。
貸し切り状態だったはずの公園は、人だらけになっていた。
「れっ…連賀…」
「なんだ?」
「なんか、人がいっぱいいる…」
連賀は、明美から顔を離して公園にあった時計を見る。
短針と長針が、180゜逆方向を向いていた。18時ということは、あらゆる人たちの帰宅時間のピークなわけで。
学校帰りの学生、仕事帰りのOLやサラリーマンがこちらをチラチラと見ながら通りすぎて行く。
「…帰ろうか」
「……ああ」
明美の提案に、連賀は一も二もなく賛成し。
二人は荷物を抱えて、逃げるようにして公園を去った。

 

「はっ…恥ずかしかった…」
「…ああ…」
自宅に辿り着いてから明美が絞り出した言葉に、連賀も賛同する。

帰り道でも、なんとなく人々の視線がまとわり付いてきているようで、明美はいたたまれなかった。
他方で、普段は人目など全く気にしない連賀も、さすがにラブシーンを不特定多数の人に見られたというショックで、玄関につっ立ったままで呆けてしまっている。

「…風呂、入れてくる」
ふと、連賀は自分の格好を顧みて、このまま部屋に上がったら失礼極まりないと思い起こして明美に、そう宣言した。
「うん…お願い」
いつもの明美であったら「自分がやる」と言うところであろうが、他人の目を人一倍気にしてしまう彼のこと。
今回のアクシデントは精神的に相当こたえたらしい。明美は連賀の申し出に甘えることにした。

連賀はバスタブのコックを捻り、給湯器の温度設定を48℃にする。
水道管を通ったり湯船にたまる間に湯が冷めるので、少々熱めに設定したほうがいいのだ、と明美から聞いたことがあったからだ。
風呂場から顔を出すとダイニングで明美が、食べそこねた昼食相手に睨めっこしている姿が目に入った。
「明美?」
「ああ連賀、これ、大丈夫かなぁ?」
明美が差し出してきたサンドイッチに、連賀は鼻を近付けて匂いをかいでみる。
マヨネーズの酸味と茹で卵のタンパク質がブレンドした匂い、それとパンの香り。
連賀には、別段傷んでいないように思えた。
「平気だと思う」
「ね、ヘーキだよね。じゃあ夕飯はコレと〜、ポテトサラダ作ろう」
和食好きな明美が夕飯を洋風にするなどと珍しいとは思うが、これも食べ物を無駄にしないためなので納得する。
「飲み物は牛乳でいい?」
「ああ」
「じゃ、お風呂、先入って。その間にサラダ作っちゃうから」
明美の気遣いに感謝して、未だお湯張り途中の浴室に戻り、連賀は服を脱ぎ始めた。

「汚れモノは使わない方の洗面器に入れておいてねー」
「分かった」
曇りガラスの向こうで言われたように、汚れのひどい服から下着まで、予備の洗面器に放り込む。
二人で風呂に入る時もあるため連賀の家の洗面器をこちらに持ってきていたので、一人で入る時は一方が余ることになるのだ。

浴槽に半分くらい湯が溜ったので、蛇口を捻って給湯を止めた。
顔と頭を先に洗い、シャワーで泡を流した。傷に湯がしみて、思わず顔をしかめる。

と、浴室の扉が遠慮がちに叩かれた。
「連賀」
何か用があるのかとシャワーを止めた連賀の返事を聞く前に、明美が浴室に入って来た。
ランニングシャツを無造作に着、ズボンの裾を短くたくし上げた格好で連賀の表情を伺っている。
「……!」
連賀は慌ててタオルで前を隠した。

二人は、まだまだ血気盛んな二十代の恋人同士なので、互いの裸体を見たり見られたりは、よくある。
より親密になる時には見ざるを得ない、というか。むしろ率先して見ている、というか。
が、二人の間では、その様な仲であるとは思えないような場面が多々あった。まるで、お付き合いを始めたばかりの十代の少年少女のような初々しさが残っているのだ。

それというのも、明美は異性とお付き合いしたことが片手で事足りるし、連賀にいたっては皆無だったからであろう。
だからお互いに、恋人同士として、どう接するべきか分からない故、変に意識するのだ。

ポカンと口を開けたままの連賀から目をそらした明美は、赤面しつつ途切れ途切れに言の葉を落とす。
「あ、あの…ほら! 怪我してる、みたいだから…一人じゃ、洗いにくいかな、って…」
「…ありがとう」
連賀の顔を恐る恐る見上げた明美は、恋人が笑顔でいることに顔を輝かせて途端に張り切りだした。
「じゃあタオル貸して! あ、あっち向いてね〜」
指示通りに連賀は背を明美に向けて、タオルを肩越しに渡す。
「痛かったら言ってね、なるべく気を付けるけど…」
無言で頷いた連賀に、明美は寂しげに笑いかけた。
「ごめんね連賀」
突然謝られて、連賀は明美を振り返ろうとする。
が、明美の「あっち向いてろって!」という一言に圧倒されてしまったので、大人しく話の続きを聞こうと全身全霊の注意を背後に傾けた。
「この傷、ホントは僕がつけたんじゃないの…?」
背中を撫でるように優しく洗う彼の手が、小刻みに震えているように連賀には感じられた。
「違う。この傷は転んでついたんだ。明美が意識を失って倒れた時、受け止めたから」
「そ、そうなの? ありがと。…でも、あの時の僕が誰にも被害を与えないで引っ込むなんて…思えない、よ」
「俺のこと、信じられない…?」
「そうじゃないんだ! …けど…」
「…明美」

明美は優しい。だが、優しすぎるせいで、いつも傷ついてばかりいる。
守りたいのに。
助けたいのに。
包み込むはずの腕は、肝心な時に動かず。
言われのない非難や心ない中傷から救い出すための字句は、然るべき時に紡ぎ出すことができない。

「俺は、明美に…もっと信じて…頼ってほしい」
ゆっくりと言葉を選びながら、連賀は明美に訴えかけた。

自分の本心を出してくれ、思ったことを思った時に言ってほしいのだ、と。
一人で抱え込まないでいてくれることが、自分にとっても嬉しいのだ、とも。

「…連賀…」
「頼む、明美。俺、頑張る。だから…もう、一人で抱え込まないで」
連賀の必死の言葉が実を結んだのか、明美は今までで最高の笑みを鏡の中の恋人に向けて力強く頷いた。
「うん、なんでも言うようにするね! …とりあえずは、連賀にだけ」
それでいい、と連賀は思った。少しずつ自分の本音を表面化させる癖がつけば良いのだ。
「ありがとう明美」
「僕こそ…ありがとう。連賀がそう言ってくれて、すごく…嬉しい」
鏡越しに目を合わせ微笑み合ってから、明美は連賀の後頭部に額をコツリとぶつける。
連賀は上半身だけで振り向いて、明美を軽く抱き締めた。
明美は連賀に体重をかける。
が、連賀が泡だらけなことに気付き、更にはジャガ芋を茹でるために火に鍋をかけっ放しであったことを思い出す。
あっ、と小さく叫ぶなり明美は密着する連賀を突き飛ばし、シャワーを頭からかぶって石鹸を落としてから衣類を脱ぎ捨てて、濡れた体そのままに浴室から飛び出した。

甘く暖かい空気から一転して突然、氷点下の寒空の下に放り出されたかのような状況に連賀は人知れず涙を流した。
「ゴメン連賀、サラダ作り途中だったこと思い出してさ〜」
明美が他者に遠慮せずに行動するということは、こういった事態が増えることに他ならないのだろう、と連賀はしかと心に刻む。
「…結構キツイ、かな…これ…」

頑張れ連賀!
愛の力で乗り切るんだ!

…と、どこかで誰かの励ましのナレーションが聞こえた気がした。

 

風呂に入り温まってから夕食をとった二人は、食器を洗い終わるなり早々に布団に潜り込んだ。
明日は二人とも早朝出勤だからである。

一つの布団で二人寝るというのは大変窮屈のように思われるかも知れないが、連賀は185cmはあるが痩身だし、明美は約152cmなので特に狭くはないようだ。

どちらからともなく笑いあって、額と額を擦り合わせる。
「僕、今日は連賀のこと見直しちゃった」
「…なんで?」
真摯な眼差しで問うて来る恋人の瞳は自分だけを映している。その事実に、うっとりと幸せを噛み締めながら明美は答えた。
「だって、さ。僕が一人で抱え込んでるって気付いてくれて…それを受け止めたい、って言ってくれた。それが、すごく幸せで…正直、惚れ直した!」
言い終わるなり明美は、「あ〜も〜なに言ってるんだ僕は」と表情を手で隠しながら身悶えている。
その彼の耳が赤く色付いているのは気のせいではないだろう。
連賀は柔らかく微笑んでから、明美の頭にそっと触れる。
「自分一人じゃ気付けなかった…」
「えっ?」
明美が聞き取れないくらい小さく呟いた連賀は、なんでもない、と告げてから恋人の顔をじっと見つめる。
「…な、なに?」
「…今日は、イヤか?」
それが何を意味しているのかすぐに気が付いた明美は、瞬時に沸騰し目線をせわしなく動かしてから、小さく首を横に振った。

 

連賀は、明美が自分を見るのを待つ。目が合うと、明美の唇に自分のそれを押し付けた。
明美の瞼は閉じられて、小刻みに震えている。その震えは恐怖からなのか、それともこれから自分に与えられるものへの期待なのかは本人にも分からないのであろう。
連賀はそんな明美がどうしようもなく愛おしくて、ありったけの想いを込めて抱き締めた。

 

明美は、同じ男であるのに自分に添う体を持つ連賀を不思議な存在だ、と感じていた。

他の男に触られようものなら、絶対に有無を言わさず殴っているであろう。
だが、自分はこうして、男に抱かれている。
密着することで伝わる体温も、風呂上がりのシャンプーと彼の匂いが混じり合ったのも。
とても大好きだ、と明美は思った。
連賀の存在全てが心地よくて、明美は幸せそうに、ため息をつく。

思えば、学生時代。
男子校に通っていたのと、認めたくはないが自分が女顔であり体格も女性並であったせいで、幾度となく野獣と化した男に追い掛けられ襲われていたことを思い出す。
その度に、この無口な男が駆け付けて、危機から救い出してくれた。
ひょっとして、彼は。
その時分から、自分に対して思慕の念を向けていたのやも知れない、と思うのは自惚れ、だろうか。

卒業して、バラバラになって。
偶然同じ職場に就職して再会した時、彼は昔と変わらず無口で無愛想だった。
いわゆるオタクであったため他者とのコミュニケーションをとるのを不得手としていたのであろうが、自分と再会してからの彼は、積極的に人と関わろうとしていたし、なるべく言葉で人に伝えようとしていたような気がする。
その努力は何の為であったのか、今度訊いてみよう、と明美はぼんやりと思った。

 

明美の表情が何か考え事をしているようだったので連賀は少々腹を立てて責め立てるかのように頬、首筋、鎖骨へと唇を落としていく。明美はくすぐったそうに首をすくめて軽やかに笑った。
連賀は明美の肩を抱いていた手を、背中、腰、脇腹、と序々に移動させる。
明美の息は段々と上がっていき、目には今にも溢れ落ちそうな雫が揺れていた。

──また、困らせているのではないだろうか…──

連賀は不安で胸が押し潰されそうになる。

 

明美は、くすぐったいような、それでいて体の熱が一点に集まるようで落ち着かなかった。
何度となく体を重ねても、理性と情動の間をさ迷うような感覚には、どうしても慣れることができない。
だからいつも反応に困ってしまって、涙腺が弛んでしまうのだ。
そして、その度に連賀に「イヤなのか?」と訊かれてしまっていた。
でも、今日こそは言いたいと、明美は連賀に尋ねられる前に心のカタチを言葉にして、そっと囁く。
「しあ、わせ…だよ、連賀…」
言われた方は始めこそ驚愕したが、嬉しさの方が勝って満面の笑みを浮かべた。
「明美…」

 

愛する人に触れられるということが、こんなにも喜ばしいことであったなどと、連賀は明美に会うまでは知らなかった。
引っ越しばかり繰り返して、友達がなかなかできなくて。
できたとしても別れが辛くなるからと、必ず一線を置いて付き合うようにしていた。

だが、明美は。
そんな一線などものともせず、軽々とこちらに踏み込んできた。
不思議だったのは、心に入り込まれても全く怒りを感じない自分、そして『彼』という存在。
特に目立つとか、そういうわけではない。
ただ、目が離せなかった。

自分が高校生になり、親から離れて妹と二人で暮らすようになってから、全国あちこちを転校せずに済んだ。
それは、幸運であったのか不運であったのかは当時の自分には分からなかった。
何故なら自分はもう既に人と接することに恐怖を感じるようになってしまっていたため、今さら親しくできる人間など作れないと思っていたからだ。

だのに。

明美と出会い。
彼に恋をして。
──そして自分が、新しく生まれ変われる気がした。
否、『生まれ変われる』のではない。
『変わろうと、思った』のだ。

 

「…れ、んが…」
頬を紅潮させ、涙目でこちらを見上げてくる恋人に深く口づけを落としながら、連賀は彼を追いたてる。

彼の苦痛が最小限で済むように。
彼が最高の快を味わえるように。
服を全て脱がしつつ全身に唇を寄せながら、愛撫する。

幸せな時が、長く続けば良いと。

祈るような気持ちで、連賀は小さく細い体を、抱いた。

 

 

「…ん…?」
何度目かの体を繋げる行為の後、意識を手放してしまった明美は、またいつもように隣に温もりを求めて、手でパタパタとシーツの上を探った。

──…いない…──

いつものことなのに、ひどく寂しかった。連賀が普段に比べて優しかったから、「もしかしたら傍にいてくれるかも」と期待してしまったのかも知れない。
「あぅ」
明美は喉の渇きを潤そうと冷蔵庫に向かおうとしたのだが、何かに阻まれて起き上がれずに妙な声を出してしまった。
腰の辺りに何かが絡まっていて身動きがとれない。
「…?」
枕元の電気スタンドをつけると、自分を拘束するモノの正体が映し出した。
「…れんが…」
自分の体に巻き付いていたのは恋人の腕だった。
「うん…? どうした?」
「あっ、ご、ごめん!」
背後から寝起きの声がかけられて、灯りのせいで起こしてしまったことに気付いた明美は連賀に咄嗟に謝る。
「いや、平気…。怖い夢、見た?」
「ううん、ただ、喉が渇いて…水飲んでくる」
「…ん」
するりと束縛を解いた連賀の両腕から抜け出した明美は、何も羽織らずに、そそくさと台所に向かった。

──びっくりした…!──

いつものように台所でネットサーフィンをしているのかと思いきや、まさか後ろにいるなどと、思ってもみなかった。
けれど。
でも。
「うれしい…」
小さく呟きを落とした明美は冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コップに注いだ。
空気を抱き込んだ水はガラスの中に閉じ込められ、気泡が次々と弾ける。明美は、この、水が呼吸しているかのような音が好きだった。

グラスを一気に傾けて喉を潤すと明美は、恋人が寝ている六畳へと駆け戻る。
そして普段は開けっ放しの、擦りガラスの戸を音をたてないように閉めた。
春とはいえ夜中は冷え込むので、室内の温度を保たなければ、と思ったのだ。

さすがに服を全く着ていないというのは自殺行為と思った明美は小走りで布団に近付き、そっと上掛けを捲って連賀の横に体を滑り込ませる。
体温にホッと一息ついた明美は、スタンドの灯りに照らされた連賀の寝顔をしみじみと観察した。
切長の目は今は閉じられ柔和な印象になっている。目元に、長い睫毛が影を落としていた。
眉は細すぎず太すぎず、だが全体的に外に向かって上がり気味なので、キツい性格の人間であるという第一印象を持たれるらしい。
高くはないが、すっきりとした鼻梁。唇は少々薄いが形はいい。

こうして見てみると、同じ戦隊メンバーであるブルーこと倉石庵に比べたら負けるかも知れないが、連賀もかなりの美形なのではないか、と明美は再認識する。
「身内の贔屓目かなぁ…」
明美は呟いてから連賀の胸板に額をつけた。
恋人の規則正しい呼吸と、心臓の鼓動とを感じ取る。
「おやすみ連賀…」
そう囁くと、連賀の腕が再び明美を捕えた。
明美も、恐る恐る連賀の背に手を伸ばす。
彼は、相変わらず穏やかに寝息をたていた。
明美も、恋人の吐息を子守り歌代わりに眠りに就く。

 

静かで、優しい夜の闇は。
二人の幸せを包み込み、守っているかのようだった。

〜完〜

 


ここまで読んでくださった方、そして素敵な話を書いてくださったKさん、ほんとうに、ありがとうです!!

2006.10.27 なま

 

〜ボーナストラック〜

イエロー「おつかれさま〜」

ブルー「読んでくださった方、ならびに書いてくださったKさん、誠にありがとうございます」

グリーン「・・・・・・」

ブラック「・・・・・・」

レッド「二人は仲良しだな!」

グリーン「・・・・・・」

ブラック「・・・・・・」

ブルー「何ダメージ受けてるんですか。お二人の私生活は大体こんなもんなんでしょう?」

イエロー「マジで?!ブラック、グリーンに依存しすぎ!」

レッド「オレ知ってる!こーいうの『ヒモ』っていうんだよな!オレのダチ、ヒモとなかなか縁切れなくて泣いてた!」

グリーン「・・・・・・」

ブラック「・・・・・・」

イエロー「うわぁ・・・グリーン、辛いことあったらすぐに相談しろよ?」

ブルー「傷つくのは貴方自身なんですからね?」

グリーン「・・・今、リアルにブラックが傷ついてるからやめて・・・」

ブラック「・・・・・・」

イエロー「わかってるよわざとだよ。」

ブルー「なぜ貴方達ばかりが目立っているんですか?甚だ腹立たしいです」

レッド「オトナノセカイは恐ろしいな!」