《8》

 

級友ギルバートの頭を石板で殴った赤毛のアンのごとくな所業をし、グリーンの怒りは少しだけ収まった。
しかしそれでもまだ、彼は怒っている。ブラックではなく事の元凶、『Meimi's Garden』の管理者に。

それが誰なのかグリーンは容易に推測でき、彼は廊下に足音をガツガツと響かせつつ携帯電話のアドレス帳を開いた。

…――『はい、鳥ノ井です』

数コールの後に出た声の主は

「…昌美姉ちゃん」

グリーン――鳥ノ井明美の3人の姉のうちで一番年下の姉、昌美だった。
フリーライターをしている彼女は今し方起きたばかりのようでぼうっとした声をしていたが末の弟の声を聞き一気に目覚めたようだ。

『え?アキちゃん?珍しいねそっちからかけてくるの。なに?』

「春に帰省したときに写真とったよね?無理やり僕に女モノのワンピース着せたやつ。あれ、その後どうしたの?」

一瞬、姉の息が止まったのが聞こえた。

『…えー、なんでそんなこときくの?』

わざとらしく明るい声。明美は確信した。

「『Meimi's Garden』てホームページ、知ってる?」

先ほどよりも長い間、の後に電話口から笑い声が聞こえた。
昌美姉ちゃんがヤバい状況でいつも出す、ヤケクソの笑い声。

『…ばれた、かー…。』

「偶然見つけた」

『でも3ヶ月もったのはすごいかも』

「あのさ」

『アキちゃん可愛いからすぐ有名になったもんなー』

「今すぐそっちいくからデータ全部一切合切用意して待ってろ!!」

プライベート写真(女装姿含む)を勝手にネットアイドルに仕立て上げられた可哀想な男は乱暴に携帯電話を畳みビルの廊下を全力疾走した。

 

 

アメリカ合衆国LA空港。
入国ゲートを抜けた人びとは皆大きなトランクやスーツケースを下げ、ある人は楽しそうに、またある人は忙しそうに早足で歩いている。
その中で小さなリュックサックを片方の肩に掛けてテロテロと歩く彼は周囲から浮いて見える。
なんとかイエローこと帯刀右近だった。

「右近!こっちこっち!」

彼の名を呼び手招く人物が一人いた。右近はその存在に気づき小走りに近寄る。そしてようやく2人が会すると先ほどよりも一層周囲から目立って見えた。実際、何人もの旅人が2人を横目で見ては通り過ぎてゆく。
2人は顔立ちも背格好もそっくりで、異なるのは髪の色と服装くらいだった。

「さっちゃん、ひさびさ!正月以来じゃん?」

『さっちゃん』と呼ばれた彼、右近の双子の兄の左近は顔を少ししかめた。

「さっちゃんてもう呼ぶなって前言ったよな?……まぁいいや。いきなり呼び出して悪かったな」

「いーよ、本家の命令だろ?、左近が謝んなよ。そーそー、昨日職場で送別会つーか飲み会したしさ、これで当分帰んなくても永遠に帰れなくてもだいじょーぶ!」

「馬鹿」

双子の兄に端的に罵られても右近は平気な顔をしている。右近がふざけて、左近がたしなめる、いつものパターンだ。
弟と違い脱色していない黒髪をガシガシと掻きつつ左近は歩き出した。右近もその後をついてゆく。
空港の中央玄関から出てきた2人の前にハイヤーが1台ピタリと止まり、右近は大袈裟に驚いてみせた。

「さっすが左近サマ…」

「いいから早く乗れ」

左近は右近の背中を乱暴に押し、ヘイヘイ、と笑う双子の弟に続いてハイヤーに乗り込み発車させた。

「あのさ…」

空港を出発してから程なくして左近はためらいつつ口を開いた。

「言いにくいんだけど」

「本家からの任務、もう1本あるとか?」

左近は言葉を無くした。素直に頷く。

「…こっちの仕事が終わったらすぐ出発になる」

「マジ?観光できねーじゃん せっかく休暇多めにとったのに!」

「信乃の手伝いだから遅刻厳禁」

「うへぇ〜… つか、シノの手伝いて、シュンはどーした?」

「駿は前の任務で怪我して、行けないとさ」

「うわ。大丈夫かよ」

「さぁ……何も情報来ねぇもん」

左近は奥歯を食いしばった。

右近と左近の家は江戸時代から続く一族の分家で、従兄弟の「信乃」と「駿」の一家が本家の名を継いでいる。信乃と駿、右近と左近、それに彼らの兄の一之進は皆仲がよいが、上の世代はそうはいかないらしい。
本家は分家に一方的に命令するばかりで分家の者が問うても最小限の返答を寄越すのみで。大人の世界というのはそーいうものなのかもしれないが左近は気にくわない。

駿を元当主である祖父と愛人の子だからといって冷遇しているのも腹立たしい。今回の彼の負傷にしてもそういったことが原因の一つになっているのでは、と思考は暗い方、暗い方へと落ちていってしまう。

「…左近? さっちゃん?」

弟の声に左近は我に返り顔を上げ、その頭を右近がわしづかみにして左右にシェイクした。

「?!」

左近がその手を振りのけると、右近のいつもどおりの明るい笑顔が目の前にあった。

「安心しろよ。ちゃんと仕事するからさぁ!」

「…あ、あぁ…」

とっさに気の抜けた声しか出せなかった左近の横で、右近は柔らかいシートにボフ、と体を預けた。

「だから、今は寝るわ。時差ボケですげー眠ぃ。ホテル直行でカレー食って寝る」

そう言って目を閉じた右近の頭を左近はわしづかみにした。先ほどの右近と同じ、笑顔で。

「ホテルの前にヘアーサロン。この茶髪、黒く染めんぞ」

「え〜〜中学かよ〜」

右近の不満げな声をのせ、ハイヤーは薄灰の街を走ってゆく。

 

    

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