伊達衆短編〜うたかたの水中花〜
日差しの柔らかな冬の午後。
快晴の上野公園に、周囲の視線を集めて歩く2人が、いた。
「お付き合いいただいて、ありがとうございました 睦実さん」
「いえ、オレも美術展好きですから。こちらこそ、誘ってくださってありがとうございました」
なんとかブルー・倉石庵とホンゲダホワイト・笹林睦実だ。
「それは良かったです。気に入った作品はありましたか?」
「そうですね…やはりスーラの絵は、独特で興味深いですね」
「スーラの画法は理論ですから、あれは光学論と色彩論に基づいていて……」
かなり相当超絶ウルトラ美形男子2人が仲良く連れ立って歩く光景は、彼らの横の噴水よりも遥かに大量のマイナスイオンを放出している。
そして、庵に至ってはそれを自覚していて、周囲の視線を源泉掛け流しで浴びるのが気持ち良くてたまらないのである。
――皆、私たちに注目していますね
「なんだか、皆オレたちに注目していますね」
庵のモノローグと同じ台詞を睦実がこっそりと呟き、庵は吹き出しそうになった。
「見られるのは、嫌いですか?」
庵の問いかけに、睦実は周囲に悟られないよう小さく頷いた。
動物公園前を抜け、西郷隆盛像方面へ向かうと、一気に人気が無くなる。
薄暗い木立の陰の下、睦実はようやく不特定多数の視線から解放され息を吐いた。
「アメリカにいた頃に色々な目にあったので、あまり人目につきたくないんですよ」
――勿体無い。自分と同じ位美しい容姿だというのに
ふとそう思ってから、庵は己の思考に違和感を覚えた。
――睦実さんが、私と同じ位美しい……?
動揺、した。
この世で最も美しい者は、自分。同等など有り得ない、筈だった。
「どうしたんですか?」
急に無口になった友人に睦実は若干の心配をはらみつつ呼びかけた。
その、自分を見つめる瞳を、庵もじっと見返す。
まだ19という若さの為なのか、それとも生まれつきなのか、睦実は中性的に美しい。
大きすぎない黒目がちの瞳は長い睫に縁取られ、しかし派手な印象は与えず絶妙なバランスを保っている。
骨のつくりが華奢なのだろう。鼻筋はほっそりと通っているが、頬や顎は骨っぽくなくすべらかな輪郭を形作っており、形の良い唇は男性にしてはふっくらと色づいている。
「……庵さん?」
睦実の何度目かの呼びかけで庵はようやく我に返った。
「具合でも悪いんですか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
庵は慌てて言い繕う。その普段の彼らしくない様子に睦実は不振な印象を抱いた。
睦実は、相手が嘘をついているかどうかを見抜く能力に長けている。
「何か心配ごとでもあるんですか?」
「何でもないですよ。」
もう一度睦実が問うた時には庵もいつもの調子を取り戻しており、睦実はこれ以上問い質すのも無為と判じ口を閉じた。
一方の庵は内心の動揺を打ち消すのに必死だった。
――そうです、何でもないですよ!私が他人に見惚れるなど有り得ません。
そう自分に言い聞かせるものの、睦実の鮮やかな唇が、黒く濡れたような瞳が脳裏から離れず、動揺の振れ幅は増すばかりだった。
「あれ?庵?と、えーと、笹林睦実さん?」
聞き覚えのある声に呼び止められ、庵はようやく内心の葛藤から解放された。
「……右近ですか」
しかし解放してくれた救世主は、あまり休日には会いたくない、優雅とは対極にいる人物。
「なんで嫌そーな顔するかな?つか2人きり?デート?ホモ?」
「デートでもないですしホモでもないですよ。デリカシーの欠片も無い低俗生物は今すぐ天に召されて下さい。」
庵は口では酷いことを言うが、いつもの調子を取り戻させてくれたことには少しだけ感謝している。それが睦実には手に取るように分かったので、彼は少しだけ声を立てて笑った。
「何かおかしーですか?睦実さん」
「いえ… それより、右近さんは買い物ですか?」
右近は大きな手提げ袋を両手に下げ、更に背中のリュックもパンパンに膨らんでいる。
「っそ!アメ横でカレー材料の買い出し!香辛料とか豆とか業務用サイズで安く買えるんすわ! で、買い物終わったから今から動物園にいくとこ。いおりんとむっちゃんも一緒に行く?」
「行きませんし誰がいおりんですか」
「いやだって2人並んでるとジャ〇ーズ事務所の新ユニットみたいじゃん?派手系美人と中性的美形で、系統もビミョーに違うトコがジャニっぽいつーかさ。だったら可愛いニックネームの1つや2つ必要なワケですヨ」
「超微妙な誉め言葉として受け取っておきますけど動物園には1人で行って下さいね」
「え?なんで〜?」
「これから庵さんの家で料理研究会やるんですよ」
睦実の不用意な一言に庵は頭を抱え込みたくなった。なぜなら右近という料理バカは
「俺も参加希望!」
と、言うに決まっているしやっぱり言った。
「希望は認可しません」
「なんでさ?いーじゃん人増えてもさ。あれ?それとも2人きりのトコお邪魔だった?あっごめんね気がきかない子で。2人でじっくりオタノシミなさいまし…」
そこまで言ったところで、とうとう庵の手が出た。
右近の頸動脈を瞬時に左右同時押しする。そのあまりの激痛に右近はその場にしゃがみこんだ。
「だ…って、2人ともすごいキレーじゃん?すごい仲良いじゃん?ホモだと思わなきゃ女子的にはやってらんないわよ……」
息も絶え絶えながら反論を欠かさない右近に庵は冷たい視線をこれでもかというくらい浴びせかけた。
「黙れ下衆が」
低く言い放った庵の言葉の通り、いらんこと言いの右近が沈黙すると、庵は顔を上げ、絶頂美形スマイルを睦実に向けた。
「さ、行きましょうか」
睦実はこの非常にアクの強い友人に、ただただ頷くことしか出来なかった。
◇◇◇
都市開発計画の一つとして造られた佃島のベッドタウン。その一角の高層マンションの最上階に庵の家はあった。広さも設備もインテリアも、一人暮らしにしては少し贅沢な彼の部屋に睦実はもう何度も出入りしており、
「リビングの窓、開けてきますね」
すっかり勝手知ったる他人の家という状態だ。
「えぇお願いします。ついでに――」
広い廊下から居間へ向かおうとする睦実に庵はにっこりと笑いかけたまま
「このゴミを窓から投げ捨てて下さいませんか?」
睦実の前に右近の襟首を掴んで突き出した。
「ウン、死ぬよね?それ間違いなく死ぬよね? 」
「死にたくなかったらさっさと帰って下さい」
「いーじゃーん!マンションのエントランスまでバレずに尾行してきた俺の努力に免じてさぁ〜!」
「そういうのをスキルの無駄遣いと言うんですよ!」
ワァワァ言い合う2人が傍目にはじゃれあっているように見えて、睦実は思わず笑ってしまった。
「まぁいいじゃないですか。右近さんは調理師免許を持ってるんですよね?俺たちに料理のアドバイスをしてください」
「おっ!むっちゃんイイコト言うじゃん!じゃ、そーゆーことで☆」
睦実の賛同を得、いそいそとスニーカーを脱ぐ右近と、右近を居間へ案内する睦実を、庵は苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけた。
幸い、2人とも庵に背を向けていたのでその般若のような形相は見ずに、背後に悪寒を感じる程度で済んだのだが。
◇◇◇
「和でも洋でも、野菜を煮る時は、面取りをするといーんすわ」
「へぇ こうすると煮崩れが起きないんですか。形も良くなりますね」
「味も染みやすくなるんすよ。染みにくい素材には隠し包丁を入れて…」
右近と睦実の材料を切りながらの楽しげな会話を、庵は海老の背わたを処理しつつ横で聞いていた。
――五月蝿い。
2人の、特に睦実の声が自分と喋っているときよりも楽しそうな気がして、その声を聴く度に心がささくれ立っていくような気がした。
――何故、睦実さんの声を聴いてこんなに苛立たなければならないのでしょうか
思考に「睦実」という言葉が出、庵は不意に先ほどの上野公園で見惚れた睦実の顔を思い出し、手元が狂って海老の剥き身を一尾駄目にしてしまった。
幸い睦実と右近は和やかに会話を続けており、庵のとっさの痴態には気づかなかったようで、彼は内心安堵した。
「そーいや、むっちゃんて、いくつ?」
「年齢ですか?19ですよ」
「え〜若いのにもう国家公務員なんだ」
「学校は飛び級しまくりでしたから」
「すげーな〜 俺、中卒だからさ、尊敬。ちなみに18才ね。歳」
「そうなんですか?!世間慣れしてるんで、もっと年上かと思ってました」
「いやそのセリフ、そのまんま返すわ。あ、でもさ、歳近い友達少ないからメッチャ嬉しーよ!」
「オレも、嬉しいですよ」
ガシャン、と派手な音が響いた。
海老を茹でようと湯を沸かしていた鍋に庵が手をぶつけ、鍋をひっくり返してしまったのだ。
「ブルー?!」
「庵さん?!」
睦実と右近は驚き庵に駆け寄った。
「ブルー、大丈夫?!」
右近は湯をかぶり火が消えてしまったコンロのガスを急いで止める。
「平気です。手を滑らせてしまいました。……休日はコードネームで呼ばないでください」
庵が普段通り一言多いので、右近と睦実は少しだけ安心したが、彼の左手は熱湯をかぶって真っ赤になっている。
「それより、早く冷やしましょう」
いち早く庵の火傷に気付いた睦実は大きめのボウルに水をはり、庵の左腕を掴んだ。
「っ!!」
途端に、庵は睦実の手を乱暴に振り払った。彼らしくない激しい拒絶ともとれるその行動に、睦実と右近は先よりもはるかに大きく驚き、身を凍らせた。
「いおり、さん……?」
赤く腫れた部分を掴んだ覚えは睦実には無かった。
それに、庵の表情は火傷の痛みが原因ではないと分かる位に、酷く歪んでいる。目を見開き、肌も唇も蒼白で、まるで何かに怯え、恐れているかのように。
「…洗面所で、冷やしてきます」
絞り出すように言い残し、庵は足早にキッチンから出ていった。
◇◇◇
洗面台に水を溜め、手を浸す。熱で火照った皮膚に水の冷たさは心地良いが、遅れてシクリシクリと火傷の痛みが肌を刺し、庵は少し眉を寄せた。
しかし、それよりも痛かった。
心を、許せる、友人だと思っていたのに
自分は、とっさに睦実の手を振り払ってしまった。
「ひどい顔……」
鏡に映った己の姿は、世界中で最も愛する美貌の持ち主だった筈なのに。
血の気の無い肌で、眉間に皺を寄せ、薄い唇をわななかせている。
「これは、一体、誰?」
他人が、怖かった。
心の内など明かしても、馬鹿にされ利用されるだけだと悟ったのは物心ついてすぐのことだった。
他人は、自分の容姿や能力や建前の言葉に簡単に操作される。
だから自分は上手く立ち回り優位に立ってきたのだ。自分だけを信じ、自分だけを愛し。
なのに。
睦実の手を振り払ってしまった。
他人に触れられるのが、苦手だった。生理的なのか、心理的なのかはわからないが、とにかく反射的に体が硬直してしまう。触れてきた手を振り払ってしまう。それ位、嫌だった。
けど。
睦実には心を許していた筈だった。なのに自分はその好意で触れた手を拒絶した。
右近と楽しげに喋る睦実に、苛立った。腹が立った。
睦実が自分よりも美しいなんて勝手に比べて、嫉妬した。
「異常だ」
自分は、少しも美しくない。
己を守ることに必死で、好意すら本能的にはねのけて。でも、独占欲とか劣等感とか嫉妬心だけは人一倍強くて、そのせいで、大好きな睦実に醜い感情を抱いた。酷いことをした。
こんな自分は、美しくない――…
蛇口から流れ出る水の音だけが、庵の頭の中にザアザアと響いていた。