◇◇◇
バルコニーから室内へ戻った庵を、薬箱を持った睦実が迎えた。
「あ……」
庵はいつも通りに美形スマイルを浮かべ聞こえの良い言葉を並べてごまかそうとした、が、睦実の顔をまともに見た途端に様々な感情が再び心に渦巻いて、台詞のチョイスどころか表情をつくることもできない。
曖昧な顔のまま言葉を失ってしまった庵に睦実は優しく笑いかけた。
「手当てしますから、左手出してください」
先の庵と右近の闘いで吹っ飛ばされたソファを元の位置に戻し睦実はその端に腰かけると、自分の横に座るように庵に どうぞ、と促した。
「……自分で、出来ます、から」
庵は表情を作れないまま、ぎこちなく辞退を示す言葉を紡いだ。
睦実はそれに落ち込むこともなく、立ち上がって少し踵を上げ、庵と目線の高さを合わせる。
「庵さん、箸とペンは右ですけど、元々レフティの両利きでしょう?利き手じゃない方で手当てできるんですか?」
少しいじわるっぽい睦実の、態度ではなく言葉に庵は驚く。
「どうして私が両利きだと…」
今まで誰にも話したことは無かったし、気づかれたこともなかった。
そんな話す必要も無い些細なことに睦実は気づいていたなんて。
「庵さんについては詳しいんですよ、オレ」
何の気負いもなく言ってのける睦実に庵は再び言葉を失い、睦実のされるがままにソファに座らされた。
睦実は赤く腫れた庵の左手を持ち上げ、自分の膝に置く、と庵はわずかに身を強ばらせた。
睦実は素知らぬ顔でガーゼにハサミを入れていたが、庵は拒絶の態度を出してしまったことを自覚し表情を曇らせた。
「庵さん」
睦実の突然の呼びかけに庵は慌てて顔を上げる。
「は、はい、」
「右近さんとの事……あの時、何をされたというわけではないので、もう怒らないであげてくださいね」
「え はい、……すみませんでした」
「いえ だから、何もされてませんし、庵さんも謝る必要ないですよ?」
睦実が困ったように手を振る横で、庵は安堵の息を吐いた。
――良かった。もしあの馬鹿が睦実さんに何かしていたらと考えただけで…… ? 何かって……何を?
ふと、思考の流れが引っかかり、渦を巻く。
――そして何故私は今こんなにも安心したのでしょう?
左手に、冷たさとわずかな痛みを感じ、庵は思考を止めた。
睦実が火傷の上に膏薬を塗ったガーゼをそっと置いたのだ。
「すみません、痛かった、ですか?」
気遣わしげに自分を見上げる睦実を見、庵はもう一度息を吐いた。
――何故、なんて考えなくても分かっていたのに
今度は安堵ではなく自分の心を欺いてうやむやにしていた自分への溜め息。
「睦実さん…… ごめんなさい」
突然謝罪の言葉を告げられた睦実は驚き、庵の顔を覗きこんだ。
先ほどとは打って変わった、いつもの、いやいつも以上に真っ直ぐに美しく引き締まった庵の表情を。
「あなたが、好きです」
庵は真っ直ぐに睦実を見据え、静かに、しかしはっきりと言った。
しばらくの、沈黙。
睦実は庵の次の言葉を待ち、当の庵は自分の言葉に今更ながら動揺し赤面してしまっていた。
「あ、あのっ……私、は、ナルシストです 自分を一番、愛しているんです でも」
庵は上手く喋れず、言葉を切りきれぎれになった息を整えた。彼のきめ細かな白磁の肌は今まで見たこともないくらいに紅潮している。
「でもっ…… それと同じ位に、睦実さんを大切だと思う気持ちもあって……」
庵は睦実の視線に耐えきれず俯いた。
「変なんです。勝手に睦実さんを心配したり、嫉妬したり、…顔を見たくなったり、して、しまうんです」
ごめんなさい、と庵が最後に絞り出した声はとても小さくなっていた。
庵にとって、人の想いというものは重たすぎて背負いきれないものだった。だから常に自分を演じ、情を抱かれないように、自分の心に触れられないように壁をつくっていたというのに。
今はその重たすぎる感情を自分自身が睦実に押しつけている。
それが申し訳なくて、庵は俯いたまま睦実を見ることが出来ないでいた。
睦実は何も言わず、再び庵の左手をとった。庵はやはり体を硬直させ、左手に包帯が巻かれてゆくのを見守った。どんな拒絶の言葉が来てもいいように必死に心を落ち着かせながら。
睦実は丁寧に包帯を巻いて最後に端をテープで止めると、ようやく口を開いた。
「だから、謝る必要なんて無いですよ」
睦実は包帯に包まれた庵の左手を優しく両手で包み込むと、俯く彼の顔を下から覗き込み、自分と目を合わせる。
庵の綺麗な形の双貌は、今にも泣き出しそうなほどに震えていた。
「オレ、嬉しいんですよ。だって庵さんの本当の心を見せていただけて、その中には『大好き』な気持ちが沢山、入っていたんですから」
ありがとうございます。
そう、言って睦実は庵ににっこりと笑いかけた。
庵は少し茫然とし、それから睦実にゆっくりと笑い返した。彼の大の苦手な人間の『本心』。その『本心』からの笑顔で。
◇◇◇
夕食は、庵の片手が包帯で動かせなくなったので当初予定していたメニューを諦め、右近の作ったミネストローネと、睦実の切った野菜と庵の下ごしらえした海老をホットサラダにしたものとペンネのバジルソースで済ませることにし、晩酌を兼ねた夕食が終わる頃には既に夜も更けていた。
「右近さんのミネストローネ、カレー風味でしたね」
寝室に1台のキングサイズのベッドの中で、睦実は自分の横で、背を向けて布団にもぐりこむ庵に話しかけた。
睦実は庵の家に遊びに来るときは大抵泊まっていくし、そういう時はこの大きなベッドに2人で寝るのが常なのだが、今日はあのようなことがあった後なのだから、普段と同じようにいられるはずがない――庵が。
「そうですね…」
くぐもった生返事。
夕食をとるときには既に、表面上はいつものペースを取り戻していた。
が、内心は動揺しっぱなし、どころか時間が経つにつれ振れ幅は大きくなる一方で、一緒のベッドに入った今現在、内面の緊張はピークに達していた。
しかし内心ガクガク状態を睦実に悟られるわけにはいかない。恥ずかしいから。
「まったく…右近は何でもカレー味にしてしまうんですね。あのカレー馬鹿が…」
気丈に絞り出した庵の刺々しい台詞に睦実はクスクスと笑う。
「いいじゃないですか、美味しかったんですから」
「いえ、私はやはり右近を許せませんね。睦実さんにあんなことをしておいて…」
「あれは、なんでもなかったんですってば」
でも、と睦実は言葉を切った。
背中ごしの笑い声が消え、庵は睦実をこっそりと振り返る。室内の照明は既に落としている。暗い中で赤面していてもバレないと思ったのだ。
「でも、右近さんから庵さんが助けてくれたとき……本当に嬉しかったです」
不意に睦実は寝返りをうって庵と向かい合った。2人の視線が、かち合う。
睦実は嬉しげに笑いかけた。
「暗くても、これだけ近ければちゃんと庵さんの顔が見えます」
庵が慌てて顔を背けたので睦実は少し残念そうに眉を下げた。
「……弱いところも、格好悪いところも、見せていいんですよ?」
庵の返答は、無い。
睦実は息を吐いた。
「庵」
庵は驚き、振り返る。と、少し恥ずかしそうに笑う睦実と目があった。
「羨ましかったんです。庵さんたちが『右近』『庵』と呼び合うのが。オレのことも、『睦実』って呼んでくれませんか?」
庵はしばし、「あれは右近…イエローが先に」とか「自分は敬意をもって呼びたい」とか小さな声で色々と言い訳をしていたが、ふと黙り込み、睦実に体ごと向き合った。
至近距離で見る庵はやはり綺麗な造形をしていて、思わず睦実の胸は高鳴ってしまう。
「……怖いんです。」
予想外の庵の言葉に、睦実は目をしばたたいた。
「私は自分が一番好きで、自分だけを愛してきました。 それが… 睦実さんのことが好きな気持ちが生まれて、その想いを持つことを睦実さんに許していただけて……」
庵は一度言葉を切り息を整えた。
「心の中の、睦実さんへの気持ちが大きくなっていって、それはとても嬉しくて……でも、怖くも、あるんです……自分が、心が、別のものに変わっていくような気が、して」
すみません、と庵は呟いた。彼の睫毛は震え、濡れている。
ずっと独りきりで完結していた彼の世界に、初めて他者が加わったのだ。喜びとともにやってくる、戸惑い。それを睦実はすぐに理解することが出来た。睦実にも過去に覚えがあったから。
「大丈夫ですよ」
庵の頬に、触れる。
睫毛が揺れ、溜まっていた涙が筋をつくって流れた。
「オレが、庵の分まで、庵を大好きでいますから」
『庵』と呼ぶのが睦実自身まだ気恥ずかしくて、
「だから安心して、オレのことを想ってください」
庵の頬がみるみる熱をはらんでゆくのが感じられて、睦実はなんだかくすぐったいような気持ちになった。
庵は顔を赤く染め、睦実と目を合わせた。もう、涙は流れていない。
「どうしよう」
眉を寄せ、困ったように微笑む。初めて他人に見せた、弱々しくて儚くて、しかし艶やかな庵の表情。
「今、触られて、平気なんです。」
ほら、と頬に触れている睦実の手に庵は自分の手を重ねる。
「…また、庵の心が、変わったんですね」
庵は小さく頷く。
「その分の、『大好き』、下さいね…… 睦実」
睦実は はい、と囁いた。きっと、自分も真っ赤な顔をしているに違いない と思う。
庵は朱を帯びた睦実の頬を、今度は素直に綺麗だと感じていた。
そして2人は手を重ねたまま、眠りに落ちていった。
《おわり》
==============
よし!お疲れ!
以上、『祝・倉石 庵 の心に他人を思う気持ちが芽生えた日』 でした!
え〜… このハナシはですね。
ブルー…庵サンと、友人・奈美さんのキャラクターである睦実さんが、どうやら友人になったらしいという情報をキャッチしまして。
(今となっては情報源は不明ですが、なまか奈美さんの脳内妄想だと思われます)
でもー、睦実さんも相当の美形なので、プライドばっか高くて心メチャ狭い庵がやっかまないのか?この2人はどういう風に仲良くなるんだ?
つか、庵サンて友達作れるの?
という素朴な疑問の答えを模索するために書いてみたものです。はい。見切り発車です。
下書き段階でBL!BL!言われましたが。
BLじゃなくて友情だよ!恋愛関係どころか友情関係すらまともに築けてなかったんだからこのダメ人間(庵サン)はー
庵が他人に心を開いて、2人が親友レベルに仲良くなれたので良かったなー思いました。
あと、右近(イエロー)がものすごく便利なキャラクターだということを発見しました。
この後、右近も睦実と仲良くなれるといいんだけどね。どうかね。考えてないね。
時間軸で言うと、なんとかレンジャー最終話の半年くらい前のエピソードかな。
ともあれ、ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
感想など、いただけますと、とっても嬉しいです!!