!〈CAUTION〉!

このテキスト作品には、
性的行為描写やグロテスク表現が含まれます。
















天使【てんし】
神の創造物の一種であり、従僕。
天の宮でその一生の殆どを過ごす。
神の代行として、「裁き」を行なう権限を持つ。
金色の髪と純白の翼をもつ。衣服を着ず、食事を摂らない。
生殖能力は無く、その出生方法はいまだ謎。
我々の天敵。


堕天使【だてんし】
大罪を犯し、神から見放された天使のこと。
黒い翼をもつ。
その多くは堕天したすぐ後に天使によって処分されるため、詳細は不明。


魔物【まもの】
神の創造物ではない生命体。我々のこと。
大多数が人間や天使と同等の知能を持つ。
非常に多様な種族がおり、その中でも破壊衝動の強いものを「悪魔」と呼ぶ。


悪魔【あくま】
我々魔物の一種とされているが、その関連性は薄く、突然変異種と考えられている。
破壊衝動が強く、必要以上の殺生を好む。
両性具有であることが知られているが、多くは謎のままである。


玩具妖魔【ぱぺっと・もんすたー】
魔物の一種。
背に黒色の皮翼を、片方の手に人形様の疑似餌を持つ。
腹話術と疑似餌で獲物をおびき寄せ、食べる。人間の幼生体を特に好む。
口は捕食にのみ用い、普段は拘束具により封じている。口を開放すると凶暴性を増す。


人狼【じんろう】
魔物の一種。
本来の姿は2足歩行の狼だが、首に拘束具を装着することにより人間に近い姿と理性を保っている。
拘束具をつけた状態でも尻尾と耳は抑えられないらしい。
鋭い嗅覚・聴覚を持ち、俊足としても知られる。
本来は肉食だが、社会に適用し、雑食となってきている。


〈月黄泉堂世界百科事典第8版より〉









『Full moon』





大地に感謝を

天に敬意を

貴方に接吻を











Ψ




そこは魔物たちが集まり住まう街のひとつ。

一年のうちの3分の一は肌寒い空気に包まれるこの街に、その年は驚くほどに雪が降った。

深深と窓の外で降り続ける雪を、子どもは興奮の目で、大人は憂慮の目で見守った。



「いつまで降るのだろう…」

街の北の丘に一軒だけ建つ家屋。その窓辺にも、魔物が一人佇んでいる。
流という名の、背に骨の翼を持った異様な外見の魔物が。

屋外を見やるその瞳の先には、二人の魔物。
流の実親である玩具妖魔のケガレと、流と同い年の人狼の賢。彼らが、流の家族であった。

二人は丘に一本だけそびえる大きな木の、凍てつきはじめた幹や枝に、降り積もった雪を払い落としては藁で編んだムシロを縄で巻きつけている。
この寒さに葉を全て落としてしまったこの木を、これ以上弱らせないように、とのケガレの配慮だった。

賢が枝から飛び降り、雪の布団の上に着地するのが見えた。
作業を終えたらしく二人が家に戻ってくる。
流は調理場へ行き、湯を沸かし始めた。



「ユキ、いつやむかなぁ」

家に入り、体に積もった雪を払い落としてから、賢は先ほどまで流がいた窓辺に座った。
彼は今年で18歳になるが、生まれて初めての雪に目を輝かせ窓に張り付く。

「賢、あまり窓にくっついていると凍傷になるぞ」

流は賢をいさめつつ、彼に湯気の立ったマグカップを渡した。
靴を脱ぎ、ソファに体を沈めるケガレにも、同じものを手渡す。

「おつかれ」

ケガレは口の拘束具をはずして笑むと、流の作ったホットココアを一口飲んだ。

「雪、まだ降るかな」

「それは神のみぞ知る、てヤツかね」

ケガレはココアをもう一口飲み、軽い調子で応える。

「早く止んでくれないと、物流にも支障が出るだろうね。来年の作物にも。
それに、僕と賢はいいとして、こう寒くては流が風邪を引いちゃうし」

ちゃんと着てるかい?と首を少し傾げて訊くケガレに、流は少しむすっとして頷いた。

この地域をこれほどの寒波が襲ったのは初めての出来事で、この家を含め街には寒さへの対策が備わっていない。それ故に、屋内にいても寒さが骨身に沁みてくる。
とは言っても魔物は人間よりかは寿命も長く頑丈なので、賢とケガレはわりと平然としていた。しかし、どうしてか流は寒さに弱いようで、普段よりも衣服を着込み、震えている。それが流自身、腹立たしいというか情けない。

「薬剤師が、風邪など引いてたまるか」

半分すねながら呟く。
流は数年前から、近くの山野から薬草を採取し、それを調合しては薬屋に卸していた。
流の深い知識で作られた薬は効果が高く、良い評判を得ているが、いまだに街の住人は流のことを避けているため流の名は伏せて売られている。

「ま、雪が止むまでは家から出ない方がいいよ。薬草だって、雪の下で凍えてるだろうし」

この親はいい加減そうに見えて、結構自分の世話を焼いてくる、と流は認識している。
世話を焼く、といえば先程に限ったことでなく、ケガレはよくあの木の世話を焼くな、とふと思った。

「あの木って、なんなんだ?」

「何が?」

流に横に座るようスペースを空けつつ、ケガレは聞き返す。

「あの、うちの横に立っている木。ケガレはあの木を大切そうにしてるけど」

一瞬、ケガレは驚いたような顔で、隣に座る我が子を見、それから宙を仰いだ。

「うん…すごく、大切だよ。」

「前に調べた時に、あの木は、どの図鑑にも載っていなかったが」

あの木は何と言う木なんだ?という疑問に、ケガレは少し黙ってから、

「知りたい?」

「ああ。」

流の知能の高さは、貪欲な知識欲の表れでもある。
ケガレはまっすぐに自分を見る流と視線を合わせた。

「じゃあ」

一瞬、彼のにやけた顔が引き締まり、流はどきりとした。

「明日、教えよう」

言って、ニッと尖った歯を見せて笑う。
なぜ明日なのか。流が首をひねったそのとき、窓辺にずっとへばりついていた賢が歓声を上げた。

「ユキ、やんだよ!お日様がでてきたよ!」

それから賢は流に走り寄ると、その細い腕を取った。

「外にあそびにいこう!」



玄関の戸を開けると、冷たい風とまばゆい光が一気に二人にふりそそいだ。
いつも青々とした下草に覆われていた丘は真っ白な雪原となっている。

膝まで柔らかな雪に埋まり、初めて触る雪の冷たさに驚く流に、背後から雪玉がぶつかった。振り向くとケガレが満面の笑みを浮かべて立っている。
二人とは異なりケガレは雪を見るのは初めてではないらしく、色々な遊びを教えてくれた。

しばらくして、彼は突然、「少し出掛ける」と言い残し、背中の黒い翼をはためかせ、何処かへ飛んでいった。

賢と流はその薄青い空に消えてゆく姿を見送り、その後も、日が暮れるまで遊んだ。






ΨΨ




夜が更けると、何日ぶりかの星が冷たい空気の中輝いた。
流は天体望遠鏡から目を離し、嘆息した。

「綺麗だろう?」

流の背後から声がかけられる。白い鷲の頭を持った壮年の魔物だ。

「はい。雪が降ったからですね?」

「ご名答。雪は空気中の塵に水滴が集まり、それが冷えたものだからね。」

流は深く頷き、再び望遠鏡の中の天体に眼を戻す。
ここは街に一つだけある学校の展望台。
流は学校教育を受けていないが、数年前から人気の無くなった夜の学校に来ては、この教師・桂淋に教えを受けている。

「独学とはいえ、君の知識はたいしたものだ。それに、こんなに寒い日にもここへ来た、その向学心も。今からでも、学校に入学しないかね?」

桂淋教授は火鉢に炭を足しながら、何回目かの同じ台詞を今日も口にした。
それに対して流も、いつも同じ返答をする。

「俺は、街の者に嫌われていますから。」

ふむ、と桂淋教授はあごの辺りのふかふかの羽毛を掻く。

「私は、君を好いているがね。…おや、あそこにも一人、君を好いている者が」

桂淋の鉤爪のついた指の示す先を見ると、月明かりに照らされて、人影がひとつ、見えた。
いくつかの塔が立ち並ぶこの学校の、塔と塔を結ぶ渡り廊下の屋根の上を人影は走り、跳躍したかと思うとこの展望台のある棟に飛び移り、窓枠や桟を伝ってするすると登り、流たちのいるテラスに顔を出した。

「賢!」

一枚の硝子戸を隔て、賢はひらひらと手を振り笑った。
急いで戸を開け、中に入れてやる。

「どうしてここに?!」

外套を脱ぎながら、賢は驚く流に、にへ、と笑いかけた。

「家、ひとりでつまらなかったから」

「ケガレは、まだ帰っていないのか?!」

「うん。…ここ、いちゃだめ?」

少し不安げに自分を見る黒い大きな瞳に桂淋教授は優しく笑いかける。

「構わないよ。賢くん、といったかな。流君から君の事をよく聞いているよ」

「教授!」

少しあわてる流を、桂淋は笑顔でやり過ごした。



観測や講義や談義が一通り終わり、校舎を出たときには、すでに月は空の一番高い場所まで上っていた。

「遅くなってしまって、悪かったな」

自分と手をつなぎ歩く賢をすまなそうに見上げる。
彼は普段ならこの時間にはとうに眠っている。それは判っていたが、桂淋教授と中世の民族移動について語り合っていたら時間を忘れてしまった。

「ううん。平気。眠くないもん」

賢は少し前を歩きながら応える。眠くないはずは無いが、と流は思ったが。
流の気持ちを知ってか知らずか、賢は流に向き直り、手を握りなおした。

「遅くなったついでにさ、寄り道しよう!」

「え?」

流の返事を待たずに、賢は自宅とは逆の方向へ流の手を引き歩き出した。

「寄り道って、どこへ?賢?」

賢は流の問いかけに応えない。歩調が次第に早くなってくる。

音の無い夜の街をしばらく歩き、二人は壊れた時計台の前にたどり着いた。
ここまで来ると、目的地はどこか、流にも判った。



「久しぶりだな…」

時計台の中の、停止している動力室。
流たちと同居する前の賢の住処で、二人が出会って間もない頃、ここから夕焼けを見下ろしたことを流はいまだに鮮明に覚えている。
今は、破損した壁の向こうには、夕方の赤い風景でなく、雪に覆われ月に照らされた青白い街が見える。

輝く星々に、銀色に輝く街並み。その風景に流はため息を漏らした

「きれい?」

「?ああ。」

並んで座っていた賢は流に向き直り、ポケットから古ぼけた懐中時計を取り出した。

「その時計、前に物置で見つけたやつか。直したのか?」

賢は答えず、時計の針を真剣に見つめている。

「5…4…3…」

「?」

そして息をいっぱい吸い込み、

「流ちゃん、お誕生日おめでとう!!!」


静寂の中、突然響いた大声に流は目を白黒させた。

「18歳になったんだよ、流ちゃん!」

賢は流の両手を取り、はしゃぐが、流の頭の中には疑問符が並ぶばかり。

「ちょ、ちょっとまて。誰に聞いたんだ?」

「ケガレさんだよ!」

まぁ大方推察は付いていたが。流は脱力する。
流は自分の誕生日を知らなかった、というよりも興味が無かったので自分の親に訊こうともしなかった。

「今日、流ちゃんの誕生日で、18歳は大人になる歳だから、だからジャマモノは退散するから二人きりで祝ってやれって、言われたんだ」

「邪魔者って…」

賢はその意味が良くわかっていないのだろうが、流の頬は紅潮する。

「あの馬鹿親……」

顔をしかめる流の顔を不安そうに賢が覗き込んでくる。

「…イヤ、だった?」

そのいつまでも純粋なまなざしに、流の眉根が緩み、自然と微笑みの表情になる。

「すごく、嬉しいよ。ありがとう、賢…」

言ったところで、くしゃみが出た。
外気に吹きさらしのこの場所は、建物の中とはいえかなり寒い。
肩を少し震わせると、賢の外套がその上にかけられた。

「賢」

「着てて。僕はへいき」

「だが…」

脱ごうとする手を包み、賢はそのまま流の体に腕をまわした。

「僕はへいきだから」

流は、鼓動の高鳴りを感じていた。
いつも賢がして来る「抱きつき」ではない、抱擁。
衣服越しに伝わってくる体温、背中に回された大きな手のひらの感触。
出合った頃は同じくらいの背丈だったのに、今は賢のほうが頭ひとつ分大きい。
体つきも、痩せた体に少し柔らかみを帯びてきた流とは異なり、しなやかに引き締まっている。
いつの間に、こんなに大きくなったのだろう、とぼんやりとした頭で思う。

「…流ちゃん」

すぐ耳元で賢の声が響く。



「ぼくと、結婚してください」



暗い部屋。月明かりの中、賢の顔は真っ赤になっていた。おそらく、流自身も。

「流ちゃんが、好き。誰よりも…何よりも」

少しの静寂の後。流はゆっくりと頷いた。
目に、涙を少し浮かべて。








ΨΨΨ




「流ちゃん、手、出して。」

流は言われたとおりに、左手を彼の前に差し出した。

その白いしなやかな手を賢は取り、薬指に何かを通し入れた。
それは、賢の首の拘束具に付いている鎖の、輪のひとつだった。

「いつも、つながっていられるように」

細い指には無骨で大きすぎるぶかぶかのその指輪を流はもう片方の手で包み込み、頷いた。
それから、少し困ったような顔をする。

「俺には何も、渡せるものが無い」

「いいよ、そんな…」

流は少し考え、それから指輪と、賢の瞳を見、まっすぐに顔を上げた。

「代わりに、誓おう」

そして、賢に向かってきちんと座り直す。

「ちかう?」

「ああ。約束するんだ。賢に。そして、俺の魂に。」

流は冷たい空気を深く肺まで吸い込んだ。
そして音の無い空間に、朗々とした声が響き渡る。


「健やかなときも、病や、怪我のときも、

 喜びも悲しみも分かち合い、

 死が、二人に訪れるまで

 君と共に歩んでゆくことを、誓います。」

流は賢をまっすぐに見、そして賢の首の鎖の端に口付けた。


賢は、涙を流していた。

いつも笑顔でいる彼の、初めての涙を。

「僕も、誓います。君と、しあわせになることを」

そして流の指輪に口付け、



二人は唇を重ねた。






ΨΨΨΨ




その朝は、なぜかひどくくすぐったい気持ちだった。

朝の市場で久々に買い物をする。
流に冷たい視線を投げかけてくる者もいたが、流の隣には賢がいて、手を硬くつないでいてくれる。それだけで流は気にせずにいられる。
ただ、つないだ手を、今までよりも意識してしまう自分がいることが、少し可笑しかった。
賢も同じ気持ちらしく、不意に目が合うと照れたように笑いあった。

賢が食べる分のパンと野菜。それと、薄荷の根を買った。
薄荷は食物をとらなくても平気な流の数少ない好物で。

買った物を交代で持ち、二人は我が家の立つ丘へ帰ってきた。

「あれ?」

「どうした?」

流よりもはるかに優れた鼻を利かせ、賢は少し首をかしげた。

「知らないにおいがする。…古いクギみたいなにおい」


「それは血の臭いだ」


突然の声に二人は驚き周囲を見回した。
丘上の木の上に、人影を見つける。

寒さに葉を落とした枝に腰掛けるその姿は

「…天、使?」

端正な顔立ちに、しなやかに伸びた肢体。そしてそれを包み隠さない一糸纏わぬ姿。
しかし、流は違和感を覚えた。天使の髪は金色で、翼は汚れの無い白色をしている、とよく聞くが、 この天使は、髪も翼も、紅の色をしている。まるで、夕陽のような。

樹上の紅い天使は流をまっすぐに見下ろし、再び口を開いた。


「こっちへ来い。お前を、迎えに来た」








ΨΨΨΨΨ




日の出と共に天の宮を飛び立ったロゼは、程なくして目的地へたどり着いた。

迷うこともなければ、神に伺う必要も無い。
かつての友だったそれは、姿を変えても気配はまったく変わっていなかった。

小高い丘の上に独り佇む『生命の木』。

「溜……」

その葉を落としてしまった枝に降り立ち、木肌に頬を寄せる。
ひんやりとした、しかしどこか暖かな感触。

再開の喜びよりも、絶望のほうが大きかったように思われる。
いままでぼんやりと脳で記憶していた、親友が物言わぬ木になってしまったという事実を、この目で、肌で、確かめてしまったのだから。

言いようの無い激しい感情が、ロゼの中を渦巻いた。が、涙は出なかった。

泣かないと、前に誓ったから。





「こっちへ来い。お前を、迎えに来た」


連れ帰るべき者は、一目で判った。

その、生みの親と同じ、美しい青い瞳。
しかしそれ以外の部分はひどく醜い。
貧相な体躯。闇の色の頭髪。そして…見たことも無いような、骨格のみの翼。

あの愛らしかった溜がこのように醜悪な魔物を生んだとは。

嫌悪感が、募る。


連れの人狼がその生き物を自分から庇うように一歩前に出る。
無意味なことを、とロゼは思った。

「お前に拒む権利は無い。我々はいつでもお前を処分することができた。」

「なん…だと……?」

魔物が、溜と同じ色の瞳でこちらを睨み上げてきた。

「お前は神に生かされてきた。そして今、その役目を果たすときが来た。」





その紅い天使は雪に覆われた地面に降り立ち、ムシロの巻かれた木の幹を撫でた。

「お前も、この木になるんだ。」

流は耳を疑った。意味が、飲み込めない。
天使は薄く笑った。

「まさか、知らなかったとでも?お前がこの木から生まれたことを。」


天使の眼には狂気染みた色が渦巻いている。流は背筋に寒さを覚えた。

「この木は、お前の母である堕天使が、魔物に孕まされ、変化した結果だ。
 子を宿し、この『生命の木』になれる天使は滅多にいない。
 だがお前はその素質を確かに受け継いでいる、と神は仰った」

―――ナニヲイッテイルンダ

「天使は『生命の木』によって生み出される。
天の宮の『生命の木』は今、枯れかけている。
お前は神と交わり、新しい『生命の木』となるんだ。」

―――イミガワカラナイ

呆然と立ち尽くす流の腕を、紅い天使が掴んだ。

「信じられなかったか?それでもいい。これから、身をもって知るだろう」

グイと引いた、その手を、賢が払いのけた。
天使は少し赤くなった手の甲と、賢の顔を忌々しげに見る。
賢は即座に二人の間に入り、流を自分の影に隠した。

「よく、わかんないけど、流ちゃんをどこかへつれてくのは、許さない」

普段の快活な表情は消え、憎しみとも取れる視線で天使を睨みつける。

「許されまいと、私の知ったことではない。そこをどけ」

「いやだ」


次の瞬間


賢の左肩から赤いものが飛び散った。



「賢!!」

流はよろめく賢の体を支える。

一瞬のうちに、天使に肩口を切り裂かれていた。その手に突然現れた、大きな鎌で。

「流ちゃん…逃げて。」

賢の目は、光を失っていない。

弱い自分が勝ちうる方法はこれしかない。

流の腕から体を起こし、離れるよう促す。
自分の最終手段に巻き込み、傷つけてしまわないように。


先の一撃で半ばまで切れた首の拘束具を、一気に引きちぎる。


途端、熱いものが賢の体内を駆け巡り、表へ飛び出した。

銀の丘に木霊する咆哮。

賢は大きな狼へと姿を変えていた。

その鋭い牙と鉤の爪で天使に跳びかかる。


そして


賢の首は胴と別れた。













薄青の空に赤い飛沫が弧を描いた。

その赤の軌跡と共に、狼の首は白い雪の上を転がり、止まる。

「りゅう…ちゃん……」

首を切断されても、事切れるまでに数秒間かかる。
狼の口から漏れたかすかな音は、そう聞こえた。
体も、首も、人に似た形に戻ってゆき―――動かなくなった。

ロゼは大鎌を一振りして露を払うと、返り血で濡れてしまった髪を掻き揚げた。

「行くぞ」

雪の上に崩れるようにへたり込んだ醜い魔物の腕を掴む。
魔物は抗うこともなく、力を失ったようにぐったりとしていた。
ロゼはその細く重い体を片腕にぶら下げ、飛び立った。



















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