物心ついたころには あたりは焼け野原で

瓦礫の転がる地面を這いずり回っては

覆いかぶさるように真っ青な空を

目が潰れてしまいそうで 恐れていた





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時はいつごろか。

戦争が酷く続くその国の、焼け野原となった街で、少年は生まれた。

真っ黒な髪とつり上がった目をしたその少年に親は無く、難民となった町人たちへ、わずかに国から配給された食物を盗んでは、生きながらえていた。
そのようないわゆる浮浪児たちは瓦礫や、橋の下などで群れて寝ていた。
少年も、また。

戦争は続き、新たな孤児たちがまた集まってくる。しかし、廃屋も橋の下も満員にならない。
ひとつは、飢えや病で死んでしまう子どもが多いこと。
もうひとつは、軍隊が彼らを捕まえては、トラックに載せて、どこかへ連れて行ってしまうからだった。

兵士に連れて行かれた子どもが、再び戻ってきたことが無いことを、彼らは良く知っていた。
だから、孤児たちは必死で逃げる。
黒い髪の少年もまた、必死で逃げた。
食べ物を盗むときも、兵士の姿を見たときも。

気づけば、少年は孤児たちの中で最も年上になり、その走りは、軍のトラックさえも追いつけないほどに速くなっていた。



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ある夕暮れ、少年がねぐらへ帰ると、そこには先客がいた。
彼よりも明らかに大きく、年をとっている人間で、藁や枯葉や茣蓙を集めて作った彼の寝床の上にうずくまっている。

「誰だ」

鋭く出した彼の声に、闖入者は呻きながらもそもそと起き上がった。
その着ているものは薄汚れてはいるが、自分たちを狩りに来る兵士と同じものだと気づき、彼は警戒心を強めた。

「すまんな。少しだけ、休ませてくれ。食料を、やるから」

少年は男の鞄から勝手に出した乾パンをかじりながら、出口を背に座った。
掠れ震えた声から、この男には自分に害を与える力も無いと判じたからだ。


「お前グンジンなんだろ?」

「2週間前まではな」

男は自嘲気味に口を歪めた。少年は、2日ぶりの食物をまた一口かじる。

「千切れた体を、機械で接いでなんとかやってきたが…ガタが来たみたいでな。」

男は言って服の裾をめくった。わずかに差し込む夕日が、金属の脚にはねかえり光った。

「他のロボット兵士もそうさ。一括処分されるってんで、逃げてきた。
 もう、この国にはまともに戦える奴らはほとんどいねぇさ」

男は深く息をついた。少年は、話の意味がわからず、ただ黙っていた。

しばらくして、男はつぶやいた。
「…いつまで続くんだろうなぁ、この戦は」

少年は返事の代わりに首をかしげた。
男は、悲しそうに笑った。

「そうか、お前が生まれたときには、この国はもうこんな風だったんだなぁ」



夜が更け、朝になり、男は手持ちの食糧をすべて置いて、出て行った。
「自分には必要ないから」と言い残して。

足を引きずりながら歩いてゆく後ろ姿を見つつ、少年はある決意を固めた。



軍のトラックが街にやってきたのはそれから3日後のこと。

普段なら即座に走って逃げるが、その日、少年は逆にトラックめがけて駆け出した。
他の孤児を追って走る車をさらに追い、跳躍して空の荷台に乗りこみ、車体の前方へ移動して車内の兵士に気付かせるよう窓を外から叩いた。

驚いてトラックは急停車し、少年はその勢いに振り落とされそうになったが、なんとかバックミラーにしがみついて叩き落されずにすんだ。

「なにすんだこのガキ!!」

兵士は車から降りるなり怒鳴った。
負けじと少年も声を張る。


「俺を軍に入れてくれ!!!」



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鉄やら煉瓦やらで作られた大きな軍の建物に連れて行かれ、少年はそこで多くの検査を受けた。

体を洗い、衣服をもらい、食物を摂り、2日後、彼は正式に兵士として、部隊『閃華』に配属された。



『閃華』は13人の小部隊で、彼に与えられた番号は13だった。

「つまりお前が一番弱いってコトさ」

部隊に入って初日の、そして新設部隊『閃華』としても初日の訓練の日に、隣に立つ9番の兵士が細い目をさらに細くして笑って言った。

「俺が一番年下だからだろ?」

軍の人間たちのほとんどが少年よりも明らかに年上で、自分に近しいものは皆年下ばかりだった彼は少し戸惑っていた。

「どうかね」

100メートル走のタイムを計る列に並びながら、二人は会話を続ける。

「俺の前の、12番は俺と同じ位じゃん」

この部隊にも、一人だけ彼と同じ年頃の少年がいた。
その少年は色素の無い白い髪と金色に近い瞳に透けるような白い肌を持っていて、有色人種しかいないこの国で育った彼の目には非常に珍しく映った。

「同い年でも、あいつは強いぜ。お前よりも」

「じゃあお前よりも強いんじゃん?」

前の組がスタートし、次は彼らの番が来る。

「なっ…!」

9番が鼻白んだその時、スタートの笛が鳴った。

少年は誰よりも速く速く走った。

周囲の全てのものの目が、彼に釘付けになっていた。
その無音の中、彼は1番にゴールした。

そのタイムを計測した兵士は驚き、隊長に慌てて走り寄って行った。
その様を気持ちよさげに見、そしてようやくゴールした9番にニッと笑いかける。

「俺もお前より強いかもな」



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兵士にあてがわれる部屋は、番号1の隊長は一人部屋、後の平兵士は番号順に二人でひとつの相部屋だった。

なので13番の彼は、12番の白い髪の少年と同じ部屋で暮らすこととなった。

歳も近いので、心安く出来る、と彼は思っていたが、12番は部屋に入るなり倒れるように寝台に入り、そのまま眠ってしまった。


どうやらこの少年は病にかかっているらしく、訓練時間以外のほとんどを寝台の中で過ごしていた。

彼は病を恐ろしいものと認識していた。
軍に入る前、何人もの孤児たちが病で死んでゆくのを目の当たりにしていたからだった。

染る病気ではないから安心して、と微笑む少年は根の良さそうな印象を受けたが、なぜこのような者が軍隊にいるのか、疑問を抱いた。

「お前、なんで病気なのに軍辞めないんだ?」

酷く咳き込んだ12番の背中をさすりながら、彼は聞いた。
12番は咳が収まると、すこし掠れた声で聞き返した。


「君はなんで軍に入ったの?」



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実のところ、軍が何なのか、彼は、黒い髪の少年はよくわかっていなかった。

町の人々に食料を配り、そして自分たちを狩る存在。
漠然と、絶対的な権力だけは感じていたが、それが、クニのために戦う機関であることを知ったのは軍に入ってからのこと。
しかし、クニとは何のことなのか、生まれてからずっと瓦礫の中で育ってきた彼に理解できるはずも無く。


彼が軍に入った理由は、腹いっぱい食えると思ったからだった。

その望みははじめに軍の本部に行った時に叶ったし、『閃華』に配属されてからも、1日に2度、きちんと食事か摂れる。
そして襲われる心配も無く眠りにつき、着るものも与えられるので凍える心配も無い。
それだけで、彼にとっては軍に入った甲斐が存分にあったので、訓練がつらかろうと、彼を脚だけの生意気な奴だと言う隊員 (9番のことだが) がいようと、一向に構わなかった。

彼は構わなかったが、『閃華』の隊長は構っていた。



「お前はどうも言葉を知らない」

隊長はある日ため息混じりに彼の部屋に入ってきた。

「こいつのことか?」
「お前のことだ」

寝台の上で半身だけ起こし上官に敬礼するルームメイトをさした指を、グイと自分に向けられ、彼は沈黙した。

「あと、人を指差すのはやめろ。…これでも読んで、学習するように」

隊長は鞄の中から本を1冊取り出すと、彼に押し付けた。

「いいな」
「…ぅ。」
「返事は『ハイ』だ。」
「ハイ!」



隊長の背中が遠ざかるのを横目ですがめ、彼は手に持たされたよれよれの本を軽く持ち上げた。
本、というもの自体手にするのは彼にとっては初めてで。
表紙にはなにかが書いてあるが、彼には文字が読めない。
しかし上官の命令は絶対であることを、彼は既に学習していた。

「読めるわけねぇのに…」

一人ごちたその時、手から本がひょいと消えたと思うと、いつのまにか12番が寝台から起き出し、自分の後ろに立っていた。

「『走れメロス』…古典かな」

そして表紙から目を上げ、白い髪の少年は彼に微笑んだ。

「読んで、聞かせようか」



読み聞かせてもらっておいてなんだが、少年の読み方は感情の無い棒読みで、彼は苦労して声を聞き取りながら、情景を頭の中で組み立てなければならなかった。

「走るのだ、メロス。疾き急ぎ、友のもとへ…」

聴きなれない言葉が出てきたのはこれで何度目か。
彼は音読を止めてもらい、何回目かの同じ質問をする。

「『トキイソギ』ってなんだ?」

今までは意味を簡潔に教えてくれていた少年だったが、色素の薄い大きな瞳をクルリと上に動かし、考え込んだ。

「僕も、わからないけど、書庫に行こうか。辞書に載ってると思うから」

彼には『ジショ』の意味もわからなかったが、もう質問するのも面倒になってしまい、聞くのをやめた。



基地の3階の隅に、書庫はあった。
あまり使われていないのか、中はおろか周囲にも人影はなく、室内は電灯をつけても薄暗く、二人は明かりを求め窓の下の床に腰をおろした。

少年はその白い髪を埃でさらに白くしながら、辞書を見つけ出してきた。
ページを何回かめくり、手を止める。

「あ、あったよ。『疾き…」

話しかけるが、彼の興味は既に別の方向にあった。
彼はどこからか動物図鑑を引っ張り出し、その美しい絵に見とれていた。

「あのさ…」

「おい、見ろよ、この鳥!すごい白くてキレイだ」

興奮する彼を見て、少年も横からそのページを覗き込む。
そこには鳥が何羽か描かれ、彼のいう白い鳥はページの上方に飛翔する姿で描かれていた。

「白鷺…か」

この国で、鳥が飛ぶ姿を見なくなって久しい。
当然、この少年はこの鳥を知っていたのではなく、絵の下に書いてある鳥の名を読んだ。
それだけのことだったが。

「シラサギっていうのか。これ。こんなにきれいな生物もいるんだな…」

嘆息を吐き、それから彼は横にいる少年をまじまじと見た。

「お前の髪の色に似てんな。」
そして少し考えたかと思うやニッと笑い、

「お前のことさ、これから『サギ』って呼ぶことに決めた」

「え…」
鷺と呼ばれた白い髪の少年は、少し、いやひどく動揺した。

「お前、名前訊いても教えねーから。だから俺がつけた。文句あるか?」
「君だって、名乗らなかったじゃないか」
「俺にはもともと名前が無いんだよ。親も誰もいねぇからさ」

少年は、少し、息を呑んだ。
それから、柔らかく微笑み、言った。

「じゃあ僕は君を『トキ』って呼ぶよ。」

彼は少し首をかしげた。 「なんでだ?」

「教えない。だって君、『疾き急ぐ』の意味調べるのも忘れてるだろ?」

言って『鷺』は『疾』から目をそらし、窓の外を見やった。

トキ
疾き:「速い」の雅表現。
朱鷺:薄桃色の羽毛を持つサギの一種。




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「疾、背が伸びた?」

ある日の朝のこと。
朝食を済ませ訓練の準備をする疾は、隊服に着替える鷺にそういわれ首をかしげた。

「そうか?」
「そうだよ。だって」

言いつつ鷺は疾に体を寄せて彼を見上げる。

「最初に会ったときは、僕と同じくらいだったよ。でも、もう拳ひとつくらい違う」

そういえば、と疾は思い起こす。
隊服の裾も、寸足らずになってきている。
しかし2週間そこらでこんなにも背が伸びるとは。十分に栄養が摂れるようになったおかげだろうか。
疾は少し遠くなってしまった鷺の顔を見下ろす。

「鷺は、あんま伸びないのか?」

鷺は少しうつむいて、それから笑んだ。

「僕はもう伸びないんだ」

「そっか」

疾はすぐにその会話を忘れた。
それよりも、もっと魅力的な、彼の心を奪うことが、その日には起こったからだった。



疾は初めて入ったその薄暗く大きな空間を見渡した。
そこには飛行型戦闘機が10機弱、並んでいる。
軍に入りたての疾が、初めて飛行訓練をする日が来たのだ。
古ぼけた、といってもいい位に戦火を潜り抜け勲章の付いた戦闘機を見、疾は知らずと嘆息を漏らす。

戦闘機は二人乗りなので、疾は当然鷺と同乗することとなる。

「走るしか能の無い初心者と、病人か。こりゃあ、離れて飛んだほうがいいな」

隣の機体から、9番がいつも細い目をさらに細め、からかってきた。
疾は9番に掴みかかりに行きたくなったが、鷺に止められ断念した。

「だってあいつ鷺のこと…」
「いいから。早く僕らも乗ろう。」

透明な板でできたハッチを開く。座席が前後に並び、その周りには様々な計器や操作舵が並んでいる。
鷺は初めて搭乗する疾を気遣い、副操縦席に乗るように勧め、疾はその通りに後ろの座席に収まり、ベルトで体を機体に固定した。

鷺がハッチを閉める。
疾は鷺の指示通りに機器を操作する。
機体が、エンジン音と共に動き出した。

胸が高鳴った。

シャッターをくぐり、滑走路を駆け抜ける。
座席に一瞬押し付けられ、それが浮遊感に変わり―――


一面の青が、広がっていた。


疾は言葉を失っていた。
口を開け、目を見開き、その光景を焼き付けていた。

白い大地と、黒い海、そして青い空。
目が、いくつあっても足りない気がした。



「すっげ―――…」

無事着陸して格納庫に戻り、停止した機体の中で、疾は呟いた。
鷺が振り返り、微笑む。

「俺さ…空が怖かった。」

それは、ここに来る前の記憶。
どこまであるのかわからないし、眩しくて、吸い込まれそうで…だから、空を見ないようにしていた。

「…空がこんなに気持ちいいなんて、知らなかった」

鷺が先に下り、疾に手を差し伸べた。
疾はそれを握り、地面に降り立つと、もう一度空を見上げた。






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