ΨΨ


夜が更けると、何日ぶりかの星が冷たい空気の中輝いた。
流は天体望遠鏡から目を離し、嘆息した。

「綺麗だろう?」

流の背後から声がかけられる。白い鷲の頭を持った壮年の魔物だ。

「はい。雪が降ったからですね?」

「ご名答。雪は空気中の塵に水滴が集まり、それが冷えたものだからね。」

流は深く頷き、再び望遠鏡の中の天体に眼を戻す。
ここは街に一つだけある学校の展望台。
流は学校教育を受けていないが、数年前から人気の無くなった夜の学校に来ては、この教師・桂淋に教えを受けている。

「独学とはいえ、君の知識はたいしたものだ。それに、こんなに寒い日にもここへ来た、その向学心も。今からでも、学校に入学しないかね?」

桂淋教授は火鉢に炭を足しながら、何回目かの同じ台詞を今日も口にした。
それに対して流も、いつも同じ返答をする。

「俺は、街の者に嫌われていますから。」

ふむ、と桂淋教授はあごの辺りのふかふかの羽毛を掻く。

「私は、君を好いているがね。…おや、あそこにも一人、君を好いている者が」

桂淋の鉤爪のついた指の示す先を見ると、月明かりに照らされて、人影がひとつ、見えた。

いくつかの塔が立ち並ぶこの学校の、塔と塔を結ぶ渡り廊下の屋根の上を人影は走り、跳躍したかと思うとこの展望台のある棟に飛び移り、窓枠や桟を伝ってするすると登り、流たちのいるテラスに顔を出した。

「賢!」

一枚の硝子戸を隔て、賢はひらひらと手を振り笑った。
急いで戸を開け、中に入れてやる。

「どうしてここに?!」

外套を脱ぎながら、賢は驚く流に、にへ、と笑いかけた。

「家、ひとりでつまらなかったから」

「ケガレは、まだ帰っていないのか?!」

「うん。…ここ、いちゃだめ?」

少し不安げに自分を見る黒い大きな瞳に桂淋教授は優しく笑いかける。

「構わないよ。賢くん、といったかな。流君から君の事をよく聞いているよ」

「教授!」

少しあわてる流を、桂淋は笑顔でやり過ごした。



観測や講義や談義が一通り終わり、校舎を出たときには、すでに月は空の一番高い場所まで上っていた。

「遅くなってしまって、悪かったな」

自分と手をつなぎ歩く賢をすまなそうに見上げる。

彼は普段ならこの時間にはとうに眠っている。それは判っていたが、桂淋教授と中世の民族移動について語り合っていたら時間を忘れてしまった。

「ううん。平気。眠くないもん」

賢は少し前を歩きながら応える。眠くないはずは無いが、と流は思ったが。
流の気持ちを知ってか知らずか、賢は流に向き直り、手を握りなおした。

「遅くなったついでにさ、寄り道しよう!」

「え?」

流の返事を待たずに、賢は自宅とは逆の方向へ流の手を引き歩き出した。

「寄り道って、どこへ?賢?」

賢は流の問いかけに応えない。歩調が次第に早くなってくる。

音の無い夜の街をしばらく歩き、二人は壊れた時計台の前にたどり着いた。
ここまで来ると、目的地はどこか、流にも判った。



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