《3》
18時。終業時間になるとすぐに5人は仕事場を出た。
車(外車)通勤のブルーはブラックをお供に一度自宅へ車(フェラーリ)を置きに戻り、グリーン、レッド、イエローは仕事場から徒歩25分のグリーン宅へスーパーマーケット経由で向かった。
2階建てで8世帯分の集合住宅の2階角部屋。
グリーンは鍵をあけると扉を全開にし2人を招き入れた。
「ほぉ〜ぅ…」
レッドが感嘆の声らしきものをあげた。
入ってすぐが狭いけれども小ぎれいなキッチン。その奥に6畳程度の和室…居間兼寝室が、開けっ放しの間仕切りの擦りガラスの引き戸の向こうに見える。
居間のちゃぶ台にはランチョンマットが敷かれ、その上にリモコンと雑誌。畳の上には座布団が一つと今朝のであろう新聞が無造作に転がっている。
「和風…これがニホンカオクか?」
「え?さぁ…」
レッドのグローバルな問いに曖昧な返答をするグリーンの横で、イエローは「純日本家屋はもっと広くて、ウチの実家みたいのをいうんだろうな〜」と思っていたが口には出さなかった。
「ちょっと散らかってるけどごめんね」
「いや!全然!俺の部屋大掃除してもこんなに片づかないよ!」
ただグリーン5人分ならまだしもデカい俺らが5人で騒ぐにはこの部屋は狭いような…とイエローは思ったが、そもそもグリーンの家で飲み会、と言い出したのは自分なのだし、そんなことを口にしたら普段は温厚なグリーンでもブチ切れることは明白だったので言葉を飲み込み、グリーンが押入から人数分の座布団を出すのを手伝った。
「なー、俺も料理していい?」
「…カレー以外なら」
「え゛ェ〜」
「レッド、そっちの棚からコップ出してくれる?ペアのが2組あるから」
「じゃ、カレー焼きそばは」
「カレー味は全面禁止」
「コップ1つたりないんじゃないか?」
「僕は湯呑み使うからいいよ。お酒飲まないし」
野菜を刻んだりコンロの火を小さくしたりと忙しく立ち働くグリーンの横でイエローは大好物(=原動力)を作るのを禁止されガックリと肩を落とした。
「あの、たまにはイエローの他の料理も食べたいな〜って、ね。ホラ、せっかく飲み会なんだからお酒に合うもの作ってよ!」
「…酒に合うもの?」
イエローは少し顔を上げる。
「そうそう!材料いろいろ買ってきたんだし、イエローって調理師免許持ってるんでしょ?プロの料理人の作るおつまみで宴会したいな〜」
必死でイエローをなだめ且つ殺人カレーは絶対に作らせない方向に話を進めてゆく。こういった戦略的な話術に慣れていないグリーンは脳がいっぱいいっぱいだった。
更に、レッドが視界の端で小箪笥の上にある金魚鉢に何やらチョッカイを出しているのが不幸にも見えてしまった。
――僕一人でこの二人を抑えるのは無理だ…
グリーンは心の中で戦隊一の謀略家兼調教師の名を呼んだ。
――ブルー、早く来てっ…!
その頃ブルーとブラックの美形コンビは助けを求められているなど知るはずもなく、グリーン宅へ電車で向かう途中の乗り換え駅構内の、ショッピングモールで手土産を選んでいた。
「やはりシャンパンですかね。一応祝い事ですし。」
女性客に人気のワイン中心の酒専門店に、美丈夫2人はひどく目立つ。
店員や他の客の視線が降り注ぐ中、ブラックは居心地悪そうにしているが、ブルーにとって己の美貌に集まる眼差しはむしろご馳走だった。しかし、彼は先ほどから機嫌が悪い。
その原因のひとつは、連れの無口無表情男のブラックが何を言っても返事をしないこと。
そしてもうひとつは
「あのう、これから予定ってありますか?」
ブルーのマンションを出てから今に至るまでの30分の間にゆうに10回を越えるほどに頻繁に逆ナンパに遭っていることだった。
「私たち暇なんですぅ。よかったら一緒に食事なんてどうですか?こっちも女の子2人ですしぃ」
通常、逆ナンパに遭ったといえば、付き合う気はないにしても多少なりとも嬉しかったりはする、わけだが。
ブルーは違う。
『傾国』級の美貌の持ち主である彼は幼い時分から様々な女性に恋愛感情を抱かれ時には愛情を迫られてきた彼としては、今さら逆ナンパされたところで
―――心底うっとおしい……!!
としか思えないのだ。
11回目の見ず知らずの女性からのお誘いに、ブルーは心の中で放送コードに引っかかりまくりの罵詈雑言を怒鳴り散らしながら、表面上は美青年スマイルをたたえてこれまた11回目の定型文を吐いた。
「すみませんが予定がありますので」
そして手早く下から二番目の値段のシャンパンボトルを掴み、レジへ向かおうとしたが、逆ナン女性2人組はなおも食い下がってくる。
「え〜 予定ってなんなんですかー?」
ブルーはブラックに「貴方もなんとか言って下さい」とアイコンタクトを送るが、ブラックはブラックで困ったように少し眉をひそめるだけ。彼のその様子にブルーの苛立ちは更に募り、
「私達のコト嫌いなんですかぁ?」
ぶち、という音がブルーの脳内で鳴った。
ブルーは空いてる方の手をブラックの腕にするりと絡め、先程の爽やか美青年スマイルとは打って変わって、恐ろしく妖艶な笑みを彼女たちに向けた。
「俺達デート中なんだ。邪魔しないでくれるかな?」
ザ・ワールド。
そんな名称の時間を止める特殊能力をもつキャラクターが出てくる漫画が少し昔にあったっけなぁ、と、ブラックに心の余裕があればそのようなことを考えていただろう。
しかし今まさに彼自身があたかもザ・ワールドで時を止められたかのような状態に陥っていた。
「ほら…行くよ?」
ブルーは立ち尽くすブラックと腕を組んだまま、目眩がするほどの淫靡なオーラを放ちつつ、ブラックと同様にザ・ワールド状態の店内を横切り引きつった笑顔を浮かべる店員相手に会計を済ませ悠然と店を出た。
「……!」
店の外に出るやいなやブラックはいつになく乱暴にブルーの腕を振りほどいた。一方のブルーは涼しい顔をして
「ゲイカップルを装うのはかなり効果的ですね。次からもこれで行きますか」
などとのたまっている。
ブラックはこの演技上手な連れを強く睨みつけることで怒りを伝えようとした。が、ブルーは無表情男ブラックが珍しく感情を露わにしているというのに全く気にした様子もなく、綺麗に包装されたシャンパンの包みを彼に押し付けるとスタスタと先に歩いていってしまった。
実際のところ、これはブラックへの嫌がらせでもあった。逆ナンパも煩わしいがそれよりも、普段自分一人で歩いていてもこのように頻繁に声を掛けられることはない。自分よりもブラックの方が魅力的だなどと考えただけで腹立たしい。それはナルシストのブルーにとってアイデンティティの崩壊に等しいことだった。
まぁ1対1でナンパするよりもグループ交際に持っていく方がナンパする側は楽だから、ということだとはブルーもわからないわけではない。結局はブラックへの単なる八つ当たりなのだろう。
ブルーは未だ棘のある視線を投げかけてくるブラックを少し見上げそして更に凶悪な視線で睨み返した。
「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうです?生憎私はグリーンとは違うので貴方の思考を読むことは出来かねます」
ブラックは勿論、言い返す事など出来ない。
―――早くみんなに、グリーンに会いたい…!
そう、心の中で叫ぶのが精一杯だった。
手伝えることがなくなったレッドは金魚鉢の中の2匹の赤く小さな金魚に「ギョニソー」「ナンプラー」と名前を勝手につけて、それらが跳ねるように泳ぎ回る様子をぼーっと見ていた(彼がいつになく大人しくしているので、金魚に魚加工食品の名をつけていることについてグリーンは目をつぶることにした)、が、レッドはふと顔を上げると突然立ち上がり、室内を大股で横切り玄関を開けた。
「ブルー、ブラック!」
「邪魔です。どいてください」
レッドの嬉しそうな出迎えの言葉とブルーのすべてを斬り捨てるような台詞が重なった。
ブルーは「お邪魔しますよ」と言いつつ革靴を脱いで部屋にあがり、「ブラックに手土産を持たせています」と思い出したように付け加える。
「ブラックも、お疲れ様」
と、グリーンは背後霊のようにぼんやりとブルーの後ろに立っていたブラックを出迎えた、が。
ブラックは普段から血の気のない顔をしているが、それ以上に今の彼は顔色が悪いように見え、グリーンはどうしたの、と声をかけようとした。が、突然に、本当に突然にブラックはグリーンに抱きつき、グリーンの声は半ば覆い被さるようなブラックの長身にくぐもってかき消えた。
「!?」
その光景を見て驚き、ガシャン、とフライがえしを取り落としたのはイエローだけだった。レッドとブルーは内心はともあれ特に何のリアクションもせずに視線を元に戻す。
そして当のグリーンはいたって冷静だった。
――時々、あるんだよね。
今までに何回かこういうことがあって、グリーンは密かにこれを『充電』と呼んでいた。
ブラックは何を考えているかわからないように見えるが、割にナイーヴな部分があることをグリーンは知っていた。
傷ついても無口な性分なので何も言わずにひっそりと耐えているのだろうが、ごくたまに精神的疲弊の許容量を越えると、ブラックはグリーンの元に『充電』しにやってくる。
『充電』後のブラックは、普段よりも生命力に満ちた感じがして、1分程度彼の抱擁を受け入れる理由などそれだけで十分だ、とグリーンは考えている。
ただ、日中はさして何事も無かったのに『充電』しに来るなんて。しかも皆がいるというのに。十中八九、仕事場を出てからここにくるまでに何かあったんだな、とグリーンはブラックの体を支えたままぼんやりと考えていた。
思い当たる要因は…
「端から見るとゲイみたいですよ、ブラック」
居間からの声にブラックの体が強張るのをグリーンは感じた。
平然と酷いことばかり(今も現在進行形で)言うブルー。彼こそがブラックを傷つけた張本人に間違いなさそうだ。
「私とカップルを装うのはあれだけ嫌がっていたのに、グリーンには自ら行くんですね。……あぁ、もしかして貴方は」
「あぁーっと、グリーン?!テーブルって、このちゃぶ台だけ?」
イエローが必要以上に大きな声を出し、ブルーの台詞を遮った。
「もぉちゃぶ台はイッパイイッパイだよー」
2人用の卓にはグリーンの作った料理――人参の赤色とインゲンの緑色が鮮やかな肉じゃがと、キュウリとワカメとカリカリのジャコの酢の物――と、グラスが4つと湯呑みが1つ、割り箸5膳が押し合いへし合いかろうじてのっかっている。
「これじゃー俺が作った、岩海苔とカツオブシがどっさりのったヤマイモとオクラの梅肉和え、たっぷりネギとエリンギのバター醤油炒め、焼きカボチャはマスタードソースに粒コショウがアクセント!そして鷹の爪が大量に入った炒り豆腐はウナギのたれがかかった甘辛味、クリームチーズに刻んだカシユーナッツとワサビを混ぜ合わせた特製ディップ!これらをクラッカーにのせるもよし、そのままちびちび酒に合わせるも良し、もちろん白飯にのせてカッこんでも良し!好きに食べてくれ☆ が並べられないじゃん」
まいったねーとイエローは大袈裟に困った素振りを見せる。
グリーンはブラックの骨ばった背中をポンポン、と優しく叩くと、ゆっくりと彼の長い腕を自分の体から外した。
「ブラックの家からテーブル持って来てくれない?」
ブラックはこくり、と子供のように頷くと、自分のすぐ後ろのドアをくぐり出ていった。
その後を
「俺も手伝う!」
とイエローが騒々しく付いて行く。
一連のイエローのタイミングの良いフォローに心の底から感謝しつつ、グリーンは深い溜息をひとつ吐き。
そして室内を、言葉の暴力の加害者を顧みた。
「ブルー、今のはひどすぎるよ」
グリーンは彼にしては本当に珍しく、厳しく言い放った。それでも、ブルーは飄々としている。
「ブラックを喋らせようと思ったのですが、いささかやりすぎましたね。」
グリーンは小走りで台所を横切りブルーに詰め寄った。
「ブラックは仲良くなればなるほど話さなくなるんだよ!ブルーだってわかってるだろ!?」
滅多に見ないグリーンの怒った表情に、ブルーは少し目を丸くし口をつぐんだ。すると突然、いままで金魚に見入っていたレッドが笑い出した。
「ブルーは仲良くなればなるほど毒舌になるからなぁ!」
ブルーは即座にレッドにの頭にチョップをくらわせた。
(メショ、と、いけない感じの音がした。)
そして彼は窓際に移動すると、窓の外に視線を固定したままふてくされたように押し黙ってしまった。
レッドは叩かれてもなお笑っている。
その2人の様子がおかしくて、グリーンも込み上げる笑いを抑えきれず、吹き出して笑った。