《11》

 

決勝戦の興奮覚めやらぬ会場のざわめきが、控え室のベンチに座る右近にも微かに届いていた。
右近はこの部屋に戻ってからずっと、シャワーも浴びず何も口にせずに試合の時の道着のまま、ただただ独り座り込んでいた。
その表情に、ヒーローインタビューで世界中に配信させたいつもの明るい笑顔は欠片もない。昏い瞳は虚空をさまよっていた。

手が、ふるえている。

右近は両の手をぎゅっと握り込んだ。それでも拳はふるえ、氷のように冷たい。

――怖かった。

右近は両腕を掻き抱いてうずくまった。

あの二人は、強かった。
強いから、普段よりも力を出して戦う必要があった。
だから、殺してしまいそうで、怖かった。

ジェスパーを投げたあの時、指をもう少し下顎の奥に掛けていたら、彼の頭部は胴体と別れていた。
ベックの顎を打ったとき、掌底ではなく手刀で打ち上げていたら、彼の頭蓋と脳は左右真二つに割れていただろう。

人外の怪力など持たずとも、力を掛ける場所や方向さえ的確ならば、どのようなモノでも簡単に壊すことができる。それが、鉄筋コンクリートの柱だろうと、ダイヤモンドの塊だろうと、…人間だろうと。

右近はその能力に長けている自分が、どうしようもなく恐ろしかった。
ほんの少しの手違いで、ヒトを肉塊に変えてしまう己の姿が、脳裏にちらついて離れない。

不意に、ドアがノックされ、右近は顔を上げた。
その一瞬後には右近目掛けてスポーツドリンクの容器が一直線に飛んできた。
右近は振り向きざまにそれをキャッチし、ドリンクの容器の後に入ってきたもう一人の控え室の主である左近を見た。
シャワールームから戻ってきた彼の髪からはまだ雫が滴っている。
そのサッパリと刈られた黒髪を見て右近は少し安堵し、ふと自分も2日前にそれとそっくり同じ髪型にさせられたことを思い出し内心だけで苦笑した。
そして、感情のスイッチを切り替える。

「ありがっとー」

喉乾いてたんだ、と右近は自分の片割れに明るく笑いかけ、容器に口をつけた。

美味そうにスポーツドリンクを飲む右近の横に左近は腰かけた。

「おつかれ」

「疲れてね〜よ。決勝以外ほとんど動いてねぇもん」

右近はドリンクから口を離すと、左近の方に体ごと向いてベンチに跨るように座り直した。

「活躍少なかったの根に持ってんのかオマエは」

「べっつにぃ?決勝まで、俺が弱いってみんなに思いこませといて、油断したとこを一気に叩く、ていう作戦だったもんなぁ。俺この世界じゃノーデータだしまさにうってつけ?」

「わかってんじゃん。ならいーだろ。」

「まーな。相手さんびびってたし観客も主催側も驚いてたし、いーエンターテイメントになったなー」

「だろ?俺ら格闘家は相手を痛めつけるために闘ってるんじゃない。観客を楽しませるために戦ってるんだ」

「左近」

「なんだよ」

「聞き飽きた」

「うるせぇ」

2人は互いに顔を見合わせて笑い出した。

左近の持論は彼の本心で、戦って糧を得る彼のプライドだった。

彼と彼らの一族がその看板を守る「御空加々見流古武術」は表向きはカウンター技と遠心力を利用した攻撃が特徴の格闘技だが、元来は武器を持たずに最大の戦力で戦う為の、『破壊』の為だけに昇華された武術。
左近ら分家が道場を守り、世間に「格闘技」としてその名を広める役を務める一方で、本家では江戸の代から変わらずに、「御空加々見流」本来の破壊術を用いて諜報から護衛、ひいては暗殺までをも請け負い、社会の裏側で忙しく活躍している。

右近は、分家の者でありながら一族の誰よりも、本家一の稼ぎ頭である信乃よりも、「御空加々見流」本来の術――破壊の能力に優れている。
いや、生まれながらに理解しているのだと本家の長は言った。
天賦の才、だとも。
しかし天賦の才だろうと開祖以来の天才だろうと、右近は戦いを好まない。むしろ、彼は戦うことによって人を傷つけることを恐れている。

左近は濡れた髪をタオルで乾かしながら、ロッカーの前で着替える弟の後ろ姿を眺めていた。道着を脱ぎ散らかす癖は直っていない。

この大会で優勝し、世界に「御空加々見流」をアピールすること、しかもより目立つよう双子で出場すること、というのが本家の命令だった。
優勝までの相次ぐ試合の中、右近を延々と戦わせるわけにはいかない。そんなことをさせれば彼の心は壊れてしまう。
それが、決勝戦まで右近を温存した、左近の本当の意図だった。

それでも、決勝戦を終えた右近の表情は、笑顔だけれども真っ青だった。
強くて、強すぎて、優しすぎる弟の事を考える度に、左近は泣き出したくなる。

パララー パーラーパーパーン♪

突然鳴り響いた「暴れん坊将軍のテーマ」に、左近は我に帰った。

「あ、悪ィ悪ィ。俺の着メロ。」

右近は上は裸、下は右足にジーンズを通した中途半端な状態で、慌てて鞄を探り携帯電話を取り出した。

「もしもしぃ〜?」

話を聴く彼の顔は普段らしからぬ真剣なものだった。
熱心に相槌を打ち、素っ頓狂な声を上げる。

「…んえぇ?! うん。わかった。じゃ、それで。…うん。切りますよ〜」

5分程で電話を切り、右近は左近を顧みた。

「電話。仕事仲間から」

「そーか」

左近は右近に「それよりも服を着ろ」という視線を送り、右近はそれを察してジーンズをきちんと穿き、Tシャツに袖を通す。

「お前の仕事先って、なんだっけ」

右近から目をそらし、彼の飲みさしのスポーツドリンクに少し口を付けつつ左近は思い出したように言った。

「生ダコを柔らかくするためにコンクリートの壁にタコをビターンビターンってぶつける仕事」

あっさりと偽回答する右近。それに対して左近は あぁ、またか としか思わなくなっている。

「前はベルトコンベアを流れてくる餅を葉っぱでくるんで柏餅を作る仕事って言ってなかったか?」

「そーだっけ?」

右近はわざとふざけた言動をするが、嘘は滅多につかない。その稀な嘘がコレだった。
だって、普通、言えない。自分、正義のヒーローやってます!なんて。

それに、時と場合によっては、肉弾戦だってしなくてはならない職種だ。普段相手にしているのは一般人に毛が生えたようなものだから、右近はデコピンをするくらいのユルさで戦っているし、基本的にはスタンガン(最大出力の)を使っているので精神的負担は全く無い。
それでも、左近は絶対に心配してくることがわかっているから、右近は今の職を訊かれても毎度はぐらかしている。

「次の任務て、いつ出発?」

「今夜7時。本家が専用ジェット出してくれるとよ」

本家からの右近への連絡は全て左近が請け負っている。結果、右近のスケジュールを管理するのも左近の役割になる。

「なんだよそれ〜行きはエコノミーで来て尻やばかったのにさぁ。信乃の手伝いとなるとこれだもんな〜」

「お前……痔?」

「違う違う!たちの悪い酔っぱらいに執拗に蹴られただけ!別に新宿2丁目とか行ってないし?そーいうシュミ無いし?」

「なんだよ俺は弟がどんな性癖を持とうと暖かい心で受け入れてやろうと思ってるぜ?」

軽口を叩き合うのが大好きな双子はすぐに話が脱線する。が、

「…あのさ、左近」

右近が急に真剣な表情をし、左近は少し驚き構えた。

「ジェットの行き先、日本にしちゃ駄目か?」

しばしの沈黙。
先に息を吐いたのは左近だった。

「さっきの電話か?」

「仕事先、大変らしくてさ……」

「大ダコが暴れてんのか?」

いや、やっぱいいわ。と右近は顔を伏せる。
本家の命令は絶対で、従わなければ最悪、削除 される。それに本人は勿論のこと、荷担した者…左近にも、制裁の手は及ぶだろう。左近を巻き込むわけにはいかない。そんなことは、あってはならない。
馬鹿なことを考えた、と右近は思っていた。

「行ってこいよ。信乃と本家には俺から言っとくから」

今度は、右近が驚く番だった。顔を上げ、双子の片割れを見る。

まぁ俺は個人戦のトーナメントも明日から始まるから一緒に行けないけどさ、と付け加えてから

「その代わり、今夜のメシ奢りな。出発までまだ時間あるだろ」

「……」

「感謝の言葉が聞こえない」

「……ちょーありがとー」

右近はようやく笑い、自分の肩に手を回して控え室から連れ出そうとする左近の横顔を見た。

(お前汗臭いわ メシよりシャワーやってこいよ 安心しろよ俺が洗ってあげるから☆ とか左近は言っていた)

自分と全く同じ造りの筈の左近の顔が、一瞬自分よりも遥かに大人びて見えたように右近には思えた。

 

    

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