《23》
着信を告げる『オペラ座の怪人』が鳴り、庵は思考を一旦止めて携帯電話をとった。
『庵、今よろしいですか?』
友人の、笹林睦実からだった。
彼は防衛省所属マル秘特殊部隊『ホンゲダバー』という組織の一員…なんとかレンジャーとは同業者の友人だ。彼の上司のドラリンと庵は仲が悪いが、睦実とは趣味や性格に似た部分があるのでよく連絡を取り合い、ファーストネームで呼び合うほどに親睦を深めている。
「えぇ、構いませんよ。丁度今、先日お借りした『量子学術二極読解』を読み終えたところです。とても興味深かったですよ。ありがとうございました。」
「良かった。また良い本お貸ししますね。 ところで、今はフランスでバカンス中でしたっけ?」
「えぇ、まぁ。煩い馬鹿共もいないのでのんびりしていますよ」
「馬鹿に囲まれてると疲れますよね」
彼らの似ている部分というのは、平たく言えばインテリなところと、丁寧口調で言うことが酷過ぎるところ。
2人が共闘戦線を張ればきっとどんなジャイアンも泣かすことができるだろう。
「そちらのイエローさん、WABCのタッグバトルの部で優勝されたそうですね。しかも双子のお兄さんは個人戦でも優勝だとか」
「そうらしいですね。仕事サボって何やっているんだか」
「いえ、すごいことですよ」
二人はいつも通りの和やかな会話を交わす、が、いつも通りすぎることに庵は違和感を覚えた。
これがわざわざフランスまで衛星回線を通して言いたいことなのだろうか?
あの不真面目イエローが世界的な格闘技の腕を持っていたことよりも、そっちの方が重要だ。
「……睦実、何でも仰って下さい。話しにくいことがあるのでしょう?」
電話口の向こうの、沈黙と幾つかの物音の後。
「もしもし〜?いおりん?」
「自害してください」
大嫌いな奴(ドラリン)の声に変なあだ名(庵 だから いおりん らしい)で呼ばれ、庵は反射的に殺意を解放してしまった。
しかし睦実から電話機をバトンタッチされたドラリンは明確な殺人衝動をものともせずに笑い声をあげる。
「ちょっとコッチに来て欲しいんだけどさー、予定大丈夫? もーすぐ迎えのヘリが着くから、ヨロシク☆」
言うなり、一方的に通話は切られてしまった。
「なんなんですか、今のは…」
予定ならば有給をまとめてとったので十分余裕がある。
しかし、親友の睦実が言いにくそうにしていたことといい、ロクなことではなさそうだ。
でも、あの常識外れの女のやることだから断ったとしても強引に引っ張られるのは目に見えている。ならばあの女を2、3こづきまわすために誘いに乗るのも悪くない。
庵はロッキングチェアから降り、出発の準備をするためにホテルへ向かった。