《34》
個室に独り、テーブルに両肘を掛けて体重を預けるように俯き思考していたドラリンは突然のノックに僅かながら驚いて我に返り、そして入室したグリーンの痛々しい姿にもう一度驚いた。
「明美くん、腕!」
「骨折してる、そうです」
三角巾に吊られた左腕を撫で、グリーンは少し眉を寄せた。
ドラリンは色の濃いサングラスの下で目に涙を溜める。
「おのれ右近……『天狗』だろうが殺戮機械だろうが知ったことか……この私が直々にケシズミに……」
ゆらり、と立ち上がり部屋を出ようとするドラリンを、グリーンは残る右の腕で必死に止めた。
「あ、あの、もういいんです! イエローが手当、してくれましたし!」
ドラリンの予想以上のキレっぷりに、グリーンはこの姿を見せたのは失敗だったか、と心の奥で反省する。
自分の使命は、今この場に特殊部隊司令官であるドラリンをつなぎとめておくこと。グリーンは覚悟を決め、唾を一度飲み込んだ。
「そ、それでですね、片方の腕が使えないので……」
紙製のバッグを、彼女の前に出した。中には、自衛隊仕様のモスグリーンのシャツ&カーゴパンツ。
「部屋に、着替えとして置いてあったので、いつまでもドラリンさんから借りているワンピースを着ているわけにもいきませんし、その……服を返すついでに、着替えを手伝ってもらえませんか?」
お願いします、という目でドラリンを見上げると、彼女は真顔のまま固まっていた。
ちょうど、宝くじで前後賞合わせて3億3千万円が当たった時のような、ゴルフコンペでビギナーズラックでホールインワンした時のような、突然に訪れた幸福に思考がついていかない時の顔だ。
そして僅か0.3秒の後に彼女はまるで菩薩のような慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべた。
「勿論いいとも」
グリーンには手に取るようにわかっていた。
この、少年幼女愛好趣味のある女性の脳内は『ハィィー!喜んでェェ! ウッヒョ〜 マァジでェ?やっべ幸せすぎるだろこれは?!私今月誕生日じゃないのにいいのかなぁいいよねぇー ウッヒョヒョ〜イ!!』というフェスティバル状態になっているに違いない。
「良ければシャワーも浴びるといい。体を洗うのも手伝うぞ?」
優しい顔と優しい声。しかしその瞳はサングラス越しでもわかる程にギラギラと獣の目のように光っている。
グリーンは頭の中で『エマージェンシー!エマージェンシー!』とパトランプが真っ赤に点滅し、背中には冷や汗が伝うのを感じていた。
ディスプレイに映る基地の見取り図で目的地と自分たちの位置を確認すると、ブラックはモバイルパソコンをジャケット内に収納し、再び歩を進めた。
一方、そのブラックに腕を掴まれたまま引っ張られるようにして歩くブルーは、自分の手首を拘束する長く骨ばった指が不意に緩んだのを見逃さず、一気にそれを振り払い逆方向へと駆け出した。
一瞬の間の後、ブラックが追ってくるのが足音でわかり、ブルーは振り向かないままで苛ついた声を上げた。
「何故、追ってくるんです?!」
先程まで引きずられつつ来た道を、走る。
「勝手に、貴方だけで行けばいいでしょう?!」
返事は無いが、足音は徐々に近づいている。
ブルーは顎を引き、足に力を込めた。
「私はレッドの顔をみる気は無い、それだけですから」
もっと速く。追いつかれないように。
「……だから、放っておいて下さい!」
「え〜、やだ」
突然の前方からの声に顔を上げると、イエローがいつもの愛想のいい笑顔を浮かべて立っていた。
彼は床を踏み切ってブルーとの距離を一気につめ、真正面から抱き止めた…というよりはホールドしてブルーを制止した。
「ほい捕まえた〜 ナニ逃げてるさブルーはも〜」
イエローはブルーを後ろ手に押さえ床に組み敷く、とそこへブラックも追いついた。
「今いるのが5階で、レッドがいるのは地下870メートルの研究室、か〜。地下層までは階段?だよな〜」
「非常階段、すぐソコ……」
「地下では、エレベーター使いたいけどな〜どーかな〜〜」
頭上で自分を無視したまま交わされる会話に、ブルーは首だけを持ち上げかろうじて声を挟んだ。
「いい加減に、離しなさい!」
先程から自ら脱出する試みはしているが、振り払うどころか無様にジタバタともがくのが精一杯だった。
「離したらブルー逃げるじゃん」
ブルーはイエローを睨み上げる、が、イエローはそれに堪えた様子も無く、少し息を吐いた。まるで、呆れているかのように。
「ブルーはホンっト姫? いや女王様だよなぁ〜 素直じゃないし超ワガママー」
「ハァっ……?!」
貴方だって先刻散々暴れまわって、仲間に怪我まで負わせたじゃないですか、とブルーは言い返したかった。しかし『仲間』という単語になぜだか喉が詰まり、何も言えなくなる。
「可愛くってケナゲな姫は、俺らの動きがバレないように一人で囮になってんだよ。借金のカタに売られた町娘が悪代官の前で帯を解くかのごとくにね〜。そこまでしてもらってまだ、行かない、とか言うワケ?」
『姫』がグリーンであることは容易に想像がつく。そしてこの場合の『悪代官』が誰なのかも。
ブルーが口を開く前にブラックが踵を返して走り出そうとし、「オマエまで帰ろうとすんな!」と、イエローが素早くそれを止めた。お陰でブルーの戒めは解け、彼はようやく立ち上がってイエローと対等に目線を合わせた。
「グリーンが、勝手にやったことでしょう?」
イエローはブラックの肩にすがりつき、今度こそ盛大にわざとらしい溜め息をついた。
「あのね、全ッ然、バレバレなワケ! それとも自覚してない? 普段のブルーだったらちょっと触っただけでヒトの手フルパワーで振り払うし背後に立ってるだけで裏拳なのにさ、ちっとも元気ナイじゃん! 心ココにあらずーみたいなさ! 何に気ィ取られてるかわかってんのか、つか、わかれよ!!」
イエローのまくし立てるような言葉のマシンガンに、ブルーは呆然としてしまった。
そこへ足音が複数、3人の耳に届いた。
がらんとした廊下に響きながら、こちらへ近づいてくる―――
「ちょっと、言い合ってる場合じゃなくなったな」
イエローが低く言い、ブラックはブルーの手を素早く掴み、2人、と1人は、非常階段へと走った。