《35》

 

足音が廊下に反響する。当然、追手になるであろう人たちがそれを聞きつけ、近づいてくるのもわかっていた。それでも、それに構っている余裕は彼らには無かった。
廊下の突き当たり。緑色のランプに照らされた鉄製の扉をイエローが開け、ブラックと、ブラックに引っ張られたままのブルーを先に通した、というよりは無理矢理押し込んだ。

「この私になんて手荒なマネを…! それに、私は行く気は無いと先程から」

「あーもー、そんなコト言ってる場合かよ!!」

イエローの常ならぬ苛立った声に、ブルーは少し驚き声を切った。

「じゃ、ブルー、俺の代わりにレッドを一発ぶん殴ってくれ。約束だかんな!!」

言ってイエローはブルーを突き飛ばすと、鉄扉をすばやく閉めた。廊下側から。

「イエロー、何してるんです?!」

ブルーはあわてて扉を開けようとするが、向こう側でイエローが押さえているのか、ノブが回らない。

「なに勝手なことを言っているんですか?! イエロー!!」

鉄扉を、その向こう側の人物の代わりに叩き、殴る。その腕をブラックは静かに止めた。
ブラックはブルーと目が合うのを待ち、そしてゆっくりと首を横に振る。

「ブルーは嫌でも、行かなきゃいけない。……イエローと、約束、したから」

突然の強風が二人を襲った。
建物の外側に付けられた鉄筋作りの非常階段には風をさえぎるものが何も無い。足を滑らせればすぐ、宙に放り出されてしまう。
ブラックは、「早く行こう」と言う代わりに、再びブルーの手首を掴んで歩き出し、ブルーは今度は、その手に抗いはしなかった。

 

 

「俺よりレッドとの付き合い長いんだから、ブルー、お前が行くべきだよ」

鉄の扉の向こうが静かになったのを確認し、イエローはようやくノブから手を放して廊下に向き直った。

「それに、俺にはやることあるし」

ライトグレーのスーツの3人、明仁、清一、ピンク、がイエローを取り囲んでいた。しかしイエローは物怖じすることも無く普段どおりの笑みを浮かべる。

「お揃いでどうしたんすか〜 兄さん達?」

「右近くんこそ何をしていた? その先には非常階段しかないぞ?」

言葉は穏やかだが、3人の張り詰めるような気勢は否応無く伝わってくる。きっと、自分達が何をしようとしているのか彼らにだって察しはついているのだろう。
仕方ないよな、さっきあれだけ暴れたんだから、とイエローは心の中で舌を出した。

「せっかく樹海に来たんで、昆虫採集しよーと思」

イエローが言い終わるのを待たずに、ピンクの8cmピンヒールの突き刺すようなハイキックが襲い掛かってきた。イエローは扉を背にしたまま、紙一重でそれを避ける。

「わかっているわ。善太くんを脱走させようとしている。あなたの仲間たちはその扉の先に行き、あなたは足止め役。違う?」

「違わない」

イエローはヘラリ、と笑った。
ピンクはその笑みを挑発と受け止め、拳を固めた。今度は突き上げるような右フック。
イエローは身を低くしてそれを避け、彼女の腹に掌底を叩き込んだ。ピンクの口から息と胃液が漏れ、膝をつく。

「だからこの扉を通すわけにはいかねーっすわ」

イエローは手を無造作に開くと、膝をつき蹲るピンクの背中に、10の指を突き立てた。

―――御空加々見流・裏奥義『閑雨』

脊椎を刺激し神経を麻痺させる技により、ピンクのがっしりとした体は痙攣する間もなく、コンクリートの床に静かに落ちていった。

「……まず、一人目」

ニューハーフではあるが一流の戦士でもあるピンクを造作なく気絶させたイエローのその動きを、明仁と清一は呆然と見ているしかなかった。イエローもそれに気付き、視線が、かち合う。

「こっちから、いっていいすか? 大丈夫です。痛くないし後遺症も無いっすから」

そうして笑ったイエローの顔は、先刻司令室で牙を剥いた時の異様な笑みではなく、普段と変わらぬものだった。
それが余計に粟立つような悪寒を感じさせ、清一は堪らず言葉を吐き捨てた。

「信じられないさ! ……友達だと、思ってたのに」

「ごめん」

イエローの謝罪の言葉と、掌底突きは同時だった。清一はそれをかろうじてかわし、後ろへ跳んで距離をとる。
それをさらに追おうとするイエローに、明仁の拳が襲い掛かった。
イエローはそれを受け流し、その反動を利用して明仁の懐に入り、彼の下顎を打った、が明仁もイエローの側頭に掌底を叩き込み、2人は揃って呻き声をもらした。

「2人がかりは卑怯だったか?」

距離をとった明仁を、イエローは今度は追わなかった。

「ぜんぜんオッケェっすよ」

「友人といえど馴れ合って良い状況でないこと位分かっている。気にするな」

「スンマセン」

「だから……」

気にするな、という明仁の台詞はイエローの右拳によってかき消された。鳩尾の少し上、肋骨がぐにゃりと歪んだ感覚がし、明仁はたたらを踏んだ。
そこにイエローの連続攻撃が嵐のように降り注ぐ。明仁は反撃する間も見つからず、痛めた胸部を庇いつつ攻撃をかわすしかなかった。

―――謝りたいのは、グリーンの左腕を折った時のことです。俺は、清一兄ちゃんの心臓を壊そうと…殺そうと、していた。

少し暴れて、脅せば、自分の要求を呑んでくれるだろうという甘い考え、だったはずなのに。
あの瞬間、自分は己の力を制御できず、ただ破壊するだけの機械に、成り下がっていた。ただただ全てを壊してしまいたいという衝動に溺れ、友人を、仲間を、殺してしまうところだった。

―――俺、あの時、皆に、武道に、生命に、失礼だったんです。

清一の腕が背後からイエローの首に絡み、後方に投げ飛ばされる、前にイエローは身を屈めてその腕をすりぬけ、彼の脇腹と首筋に一撃づつ手刀を叩きこんだ。清一はそれだけで悲鳴を上げる間もなく意識を失った。

二人目、と、イエローは今度は心の中だけで呟く。今度は違う、と。

―――今度は、絶対に、殺しはしない。

己の内に眠る恐ろしい破壊の才ではなく、御空加々見流の技でもって追手を足止めし、ブルーをレッドに会わせる。そう、決めたのだ。

ただ一人残った明仁は、呼吸は荒いものの瞳から闘う意志は失われていなかった。

「凄い技だな」

「御空加々見流・奥義『剄鶴連撃』っす」

イエローは自分の頬に手をやった。自分が今、笑っていないことの確認。そして、あの時自分を止めてくれたグリーンの平手打ちの痛みの確認。
先ほどの掌底で消えてしまった気がしたが、まだ思い出すことが出来た。

「明仁さん、防弾チョッキとか、着て下さい」

「君こそ、戦闘スーツに変身しないのか?」

「いいんです」

「俺もだ」

 

    

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