《40》

 

合金製のシャッターが閉まり、地下へのエレベーターが下降を始めると、ブルーは長く息を吐き壁にもたれかかった。
先の電気ショックと走り続けた疲労が今になって体に重くのしかかってきたようで、彼は体重を背後に預けたままズルズルとしゃがみこんでしまった。ブラックが貸してくれた黒いジャケットが、ひどく重たく感じる。

地下870メートルを目指すエレベーターは、気圧の急激な変化を防ぐためか、割りにゆっくりと下降しているようだった。
それでも下りエレベーター特有の宙に浮くような感覚はやはり感じる。微かに聞こえるモーターの重低音の中、ブルーの思考は次第に麻痺し、彼は疲労感に身をゆだね、目を閉じた。

 

 

地下層の一角、清潔で明るい個室のベッドの上で、レッドは半身を起こして怪我の手当てを受けていた。

「ここも、もう完治しましたね」

「なぁ、ハカセ」

レッドの背中の銃創…今はもう綺麗な肌に戻った場所に、念のため消毒薬を染み込ませた脱脂綿を当てながら、『防衛省マル秘特殊部隊』の一人・笹林睦実は、なんですか? と彼の声に応じた。

レッドは白衣を着ている睦実を『ハカセ』と呼ぶ。おそらく、白衣を着ていれば彼にとっては誰でも『ハカセ』なのだろう。

「ハカセ、元気ないな。どうした?」

背中越しのレッドの声に、睦実の手が一瞬止まった。疲労しているそぶりを見せた覚えはなかった。これが野生動物並み、とブルーに形容された勘の鋭さか、と睦実は声には出さずに少し笑う。この男に隠し事など無用なのだろう。

「庵が、こちらに向かっています。あなたを連れ出しに」

「んー… そうか」

「驚かないんですね」

直情的なレッドならば、もっと激しいりアクションをすると思っていたのに。逆に睦実の方が内心驚いていた。しかし、レッドが冷静であろうとなかろうと、関係は、ないのだ。

「オレは、あなたを逃がすわけには行きませんから、庵と闘わなくてはいけないんです」

睦実の司令官であるドラリンは「好きにするといい」と彼に伝えた。
なんとかブルー…庵は、睦実にとってかけがえのない友人だ。そしてレッドも、楽しい時間を共に過ごした友人に違いなかった。それでも、自分の勝手な感情で全人類の命を危険にさらす結論など、睦実には出せなかった。

レッドは、静かに睦実の治療を受けている。その雰囲気からは、怒りの感情など欠片も感じられない。いっそ、激怒して殴ってくれれば良いのに、と睦実は思いながら、レッドの背中の最後のガーゼを剥がした。

「ハカセさ」

「はい?」

「ハカセ、さっきブルーを『庵』て呼んだから、ブルーとトモダチか?」

突然あさってな方向の質問をされ、睦実は戸惑った。
こちらを振り返り答えを待つレッドの表情からは、他意など感じられない。睦実は、素直に頷いた。これから、その彼と闘うというのにその事実を肯定することは睦実にとってはまるで懺悔のようだった。

レッドはそれを見るなりパァ、と表情を明るくし、満面の笑みを浮かべる。

「よかった!すごくよかった!」

今までの落ち着いた態度とは一転、喜びを体中で表現し、ベッドのスプリングの反動で上下に揺れながらレッドは子供のようにニコニコする。その反応を、睦実は呆然と見ているしかなかった。

「ブルーな、あ、昔は庵って呼んでたけど、庵がブルーになってからはブルーて呼べ、ってなってな」

なんとかレンジャー結成後、ブルー…庵は、変身中に本名で呼ばれることを嫌がり、レッドにコードネームで呼ぶよう何度も何度も根気よくしつけたという過去がある。どうやらレッドはその事を言っているらしい。

「でー、ブルーはトモダチいない。オレは高校でブルーに初めて会って、たくさんブルーに勉強教わってな、ブルーたくさんオレのこと怒って、殴ってだったけど、他の奴らと話してるときは笑ってたけどな? でもオレに怒ってるときの方がよっぽど目がキラキラしてて、楽しそうだった」

レッドは一気に長く喋って疲れたのか、大きく息を吐き、唇をなめて、そして睦実の目をじっと見上げた。

「ハカセといるときのブルー、目ぇキラキラしてるか?」

睦実は咄嗟に頷くと、レッドはますます嬉しそうに笑った。
勢いではあったが、実際に自分といるときのブルーは楽しそうなのだ。最初のうちはレッドの言うように本心など見せてはくれなかったが、少しずつ、打ち解けてくれるようになった。なったと、信じたい。睦実の胸がまたチクリと痛んだ。

「あのなあのな、イエローとかグリーンとかブラックといるときも、前よりはキラキラしてたけど、それでもやっぱオレにしかぶつかってこないこともあってな、でもあの3人とならブルーもそのうちたくさん笑って、たくさん怒れるようになると思う。それに、ハカセがトモダチ! 安心した!」

喜びに興奮するレッドの喋り方は普段よりもいっそう理解し難くなっていたが、睦実はなんとか彼の意思を読むことができ、そして目の奥が熱くなってくるのを感じた。

―――彼は、純粋に庵を心配し、そして庵のためにこんなにも喜んでいる。そしてその喜びの先にあるのは―…

「ハカセ、ブルーと仲良くしてくれ、な?」

レッドは睦実に笑いかけ、そして明るく言った。
しかしながら明るい言葉と表情に彩られたそれは、遺言とも、とれるものだった。
彼は自らの死を覚悟している。その上で自分がいなくなった後の友人の心配をしているのだ。

睦実は返答をためらった。今度は素直に頷けるはずもない。
と、内ポケットの中の装置がアラートを鳴らした。地上と地下を結ぶエレベーターが、地下に到着した時に鳴る方の報知音。それは、ブルーがついにすぐそこまでやってきたことを示している。

睦実はつばを飲んだ。コクリ、と喉が鳴る。

「ちょっと、出てきますね」

睦実は腰を上げて医療器具を片付けると、静脈認証と暗証番号システム付きのドアを操作し、退室した。
部屋の中ではまだ、レッドがニコニコしながら「よかった、すごくよかった」と呟いていた。

 

    

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