《42》

 

エレベーターが下降を止め、金属シャッター式の扉が開く。眼前には地上のエレベータホールと似た、しかしそれよりも二周りほど狭い空間が広がっており、その中心には人影が一つ、立っていた。

「来て、しまったんですね」

マル特部隊最後の一人でありブルーの数少ない友人の一人、笹林睦実だった。
ポーカーフェイスではあるが、その内側から抑えることの出来ない悲しさを滲ませている。

睦実は妙に勘が鋭いというか、嘘をすぐに見破ることができ、しかも頭の回転は恐ろしく良い。なので、ブルーの得意とする涼しい顔で大嘘ついて騙眩かすだとか、強引な理詰めで丸め込んりだとか、が通用しないのだ。だからこそ2人は仲良くなれたわけなのだが、対峙する場においてはブルーはめっぽう不利である。

「善太さんをお返しすることはできません」

「そう、ですよね」

無理は承知だった。友人と対峙しなければならないことも。それでもレッドを助けるという決意がいまさら揺らぐ筈もない。

「でも、行くのでしょう?」

「それを許してくださるのなら」

睦実と取っ組み合ったことはなかったが、彼がデスクワーク派だということをブルーは知っている。ブルーは秘孔術と合気道の心得がある。力づくで言うことを聞かせるのは簡単だった……が、睦実が非力だからこそ、友好の情が厚いからこそ、それがどうしてもためらわれてしまうのだ。

どうすることも出来ないまま、ブルーは睦実を見つめたまま立ち尽くしてしまった。
睦実もそんなブルーを見つめ、不意に冷静な表情を崩しフっと微笑んだ。

「どうぞ」

「え?」

突然の許可の言葉にブルーは驚くしかなかった。

「行かないんですか」

「え? いえ、行きたい、です、けど」

ブルーはただただ狼狽える。

「善太さんは、左の通路を直進して2番目の角を右に曲がった左手の部屋にいます。……扉にはプロテクトがかかっていますので、オレの許可なく外から開けることは出来ませんし、開ける気は、ありません。それでもよろしければ、どうぞ。オレはデータの修正が残っていますので研究室に戻ります」

一方的に言うなり睦実は踵を返し右の通路に消えてしまった。
後に一人残されたブルーは呆然とし、そして5秒後にようやく我に帰った。

「何なのかはわかりませんが…コレはチャンスですね」

呟き、左の通路に飛び込むと、睦実の言ったとおりの道順を全力で辿ったのだった。

 

 

何度目かの治療が終わり、レッドは微かな消毒用アルコールの香りの中でまどろんでいた。傷を癒すために、体が自然と睡眠を欲しているのかもしれない。その束の間の浅い眠りは、ドアの向こう側から破られた。

だん、だん、痛っ…… だん、だん……

静脈認証と暗証番号システムで厳重にロックされた扉が、叩いただけで開くはずもないし無理矢理ぶち破れるほど脆い造りでもない。それが判っていながらも無謀にドアを叩き続ける者がこの部屋の外にいる。
レッドはベッドから降り、ドアに近づいてその者の名を読んだ。

「ブルー?」

 

「レッド……」

痛む拳を下ろし、ブルーは扉の向こうの仲間を呼んだ。

「手、痛いんじゃないのか?」

「うるさいですね……わかってますよ!」

このドアの向こうにレッドがいるのだと、思ったら考える前にドアを無理矢理開けようとしていた。
その無謀な行為が今更恥ずかしくなり、ブルーはついつい攻撃的な声を出してしまう。

「今、ロックを解除する手を考えていますから……!」

「いや、いい」

「は?」

「顔見れないの残念だけど、出発する前に、声、聞けてよかった」

レッドの予想外の静かな言葉に、ブルーは呆然とした。

―――なにを、言っているんだ?

「これで、ブルーの声忘れない。もう会えないかもしれないもんなぁ」

―――はやく、逃げなければ

「あ、あとの3人にも、ヨロシクいっといてくれな」

―――ふ……

「ふざけるな!!」

ブルーは扉をもう一度、ガァン、と殴った。

「今逃げないでどうする?! 死にに行くようなモノなんですよ?!!」

「俺が行かなかったら、みんな死ぬぞ」

レッドの平然とした回答に、ブルーは体中の血液が逆流する思いで怒鳴り返す。

「人類のために貴方一人が犠牲になって良い訳が無いです!!」

「うーん…」

「全人類の命を背負って立つ義理なんて、無いんですよ!!」

「でも、助けたいヤツの中には、お前もいるからなぁ」

「な……っ」

一瞬、頭の中が真っ白になる。
そして、わかるのだ。ドアを隔てて居るこの男は、いつもと同じように呑気に笑っているに違いない。
ブルーは、腹が立って、腹が立って、仕方が無かった。

「馬鹿じゃないんですか?!」

人がこんなにも心配して、必死で、走って、ようやくここまで辿り着いたというのにこの男は!! ヒーローでも気取っているのか? 人に心配をかけて、自分を犠牲にして、そんな言葉がかっこいいとでも思っているのか??

「そんなことされてもちっとも嬉しくありません! 死んだほうがマシです!!」

「そんなこというな」

レッドの声が急に怒気をはらんだ冷たいものに変わり、ブルーは驚き口をつぐんだ。

「ごめん。ワガママ。」

「いえ……」

「でも、『死んだほうがマシ』いわれたら、オレ、行く意味わかんなくなっちまう」

「……」

ブルーは無言のまま頷いた。扉の向こうのレッドには見えないと分かっていても。
今、レッドはどんな顔をしているのだろう? きっと、笑ってはいない筈だ。
彼のこんなにも悲しそうな声を、ブルーは初めて聴いていた。

「ブルー」

「……はい」

しばらくの間の後、先に口を開いたのはレッドだった。その声はいまだにしおれている。

「トモダチ、できたか?」

その問いに、ブルーはすぐには答えられなかった。
レッドは返答を急かさない。じっと、待っているようだった。

高校時代から、ブルーは何度もレッドに言われていた。『お前トモダチいないな!』と。その度に無言で殴り飛ばしてきた、が。

「……いますよ」

ブルーは静かに答えた。

「そうか…よかった」

「なにがですか」

「それなら、オレがいなくなってもさみしくないな」

ブルーは胸の奥深くから熱いものがグワ、と押し寄せてくるのを感じ、それは熱い液体となって目から溢れ出した。

「どうした? まさかミエはって嘘ついたか?」

喋ることが出来ずにいるのをレッドは勘違いしたようだった。

「…う、……」

嘘ではない。大好きな友人ランキングベスト5をつくれるくらいになったのだから。その上位にランクインするのは他でもない―――

「だ、だれが……」

大粒の雫がバラバラと落ちた。
扉に額をつける。掠れた声でも、届くように。

「だれが、おまえ、なんかと、と…トモダチだ……ばかやろおっ……」

涙は、止まらず。
ブルーは小さな声で何度も何度も「ばかやろう」と繰り返した。

 

    

もどる