《54》
夕暮れの近づく薄青い空の下。
都心近くの小さな町の小さな定食屋の前で、二人組の男が足を止めた。
片方は小柄でアイボリーのスーツを着ており、もう片方は長身でスーツも中のYシャツも真っ黒だった。
そして、アイボリーの方が路地の向こう側からやってくる人影に小さく、でも嬉しそうに手を振る。
「早かったんだね!」
二人組とは反対方向からやってきた人物は形の綺麗なブルーグレイのスーツを着ており、そして人物自身の風貌もまた、目を引くほどの美しさを備えている。
彼もまた、二人に気付くなり嬉しそうに笑んだ。
「ええ。アポイントが急にひとつなくなりましたので。そちらは大丈夫なんですか? お仕事サボって経営不振に陥っても助けませんよ」
「僕らは午後イチで取材受けてそのまま直帰にしたから大丈夫。でも、決算の時はまたよろしくね、ブルー」
『ブルー』と呼ばれたスーツの男は複雑な心境をそのまま顔に出した。
「今さらコードネームですか……もう10年以上前に解散したでしょう?」
「でも今日だけはそう呼びたいな。久しぶりの再開なんだから」
ブルーの苦笑しながらの指摘に、はしゃぎ気味に言葉を返すアイボリーのスーツはグリーン、そしてその横に昔と変わらず無口無表情で立つ黒服はブラックだった。
ブルーは「まぁいいですけど」と一応の同意を見せると、ずっと店の前で立ち話をしていたのを思い出し、定食屋のガラスの引き戸を開け過去の同僚二人を招じた。
「グリーン、ブラック、入りましょう」
「うん!」
コードネームで呼ばれたのが嬉しかったのか、グリーンは普段よりも高めな声で返事をし、ブラックはその後をいつもどおり無言で付いていく。
出入口にかけられたのれんをくぐった先は定員15名ほどの飲食店で、4人がけのテーブル席が2つとカウンターに面した席が5つ。その調理カウンターの奥から声がかけられた。
「すんません。今日は貸し切りなんスよ」
3人は顔を見合わせる。
「僕らだよ、イエロー」
「えっ?!」
驚いた顔でばたばたとカウンター内から出てきた明るい色の髪の青年はイエロー…いや、元イエロー。
「来るの早かったな〜 料理まだできてないし…いやいいけどさー つか『イエロー』って…いやいいけどさー」
エプロンの上にオレンジのパーカーを羽織ったイエローは半ば独り言のように呟きつつ、テーブルを2台くっつけた広い席へ昔の仲間たちを座らせた。
「ビールからスタート?」
「いえ、とりあえず水をもらえますか?」
ブルーの注文にイエローは「はいよっ」と軽快に応え、厨房へ身を翻す。頭の後ろで括ったリスの尻尾のような髪がフワリと揺れた。
「食堂の店主らしからぬ格好ですね……」
長くなった髪や以前はつけていなかった銀のピアスに、ブルーは渋い顔をする。
その苦情が意図するところを、イエローは冷やを用意しつつ5秒かけてようやく思い当たり、にやりと笑ってみせた。
「完っ璧!オッサンの意見ですなぁ〜 いーじゃん、従業員俺オンリーなんだからっ それ言うならさ、経営コンサルタントさんとIT企業の社長さんと副社長さんこそ、早くからこんなトコ来てていいワケ?」
イエローの意地悪な指摘にグリーンはブラックと顔を見合わせてからにこやかに応える。
「インタビュー早めに終わったんだ。ブラック最近オーバーワーク気味で、休ませたかったし」
「そーかぁ。2人んトコ忙しそうだもんなぁ。今週も週刊誌のってたな『今話題の企業!』とかなんとか」
頑張りすぎんなよ?と言いつつイエローが差し出した2杯の冷やのグラスをグリーンは照れ笑いで受け取った。
彼ら―――…なんとかレンジャーが解散したのは10年ほど前。
人類存亡の危機と騒がれた隕石接近事件が防衛省の働きにより無事収束してから3ヶ月ほど後のこと、だった。
隕石騒ぎのときにあるものは有給休暇をとったまま、あるものは無断欠勤したまま会社に姿をみせなかった彼らの、社内での評価は『関わったらヒドイ目に遭う』から『在籍させているだけでヒドイ目に遭う』へと変わり。
元々会長のお気に入りということで多少の無茶を許されていた彼らは『危機的状況の中で会長すら助けに来なかった』と窮地に立たされてしまった。
実際のところは会長どころか人類を救おうと隕石の破壊に協力していたのだが、彼らが協力した防衛省マル特部隊は国家機密の存在であったため自己弁護のためにその名称を出すわけには行かず、株式会社○゛ンダ○特殊営業課「なんとかレンジャー」はあっけなく解散させられたのだった。
解散した後、グリーンとブラックはインターネットサービスの会社を立ち上げた。
ブラックがなんとかレンジャー時代から開発・運営していたネットワークゲームを主体に、プログラムの受注や開発を行っており、いまや世界有数のIT企業にまで成長している。
「でさー、社長さんの方は『紙一重な人』とか『ゲイ』とか下世話な雑誌には書かれてるんスけどー」
「そんなわけないじゃん! 信じちゃダメだよっ」
グリーンは怒りをちらつかせつつ否定する。そうやって慌てるのが記者の詮索魂に余計に火をつけるんだよな、とイエローは思ったが言わないでおいた。
世界有数のIT企業、の社長になってからもブラックのグリーンに甘える傾向はあまり変わっていない。どころか、企業を運営するということで心労の溜まり具合も平社員時代の比ではないのだろう。
グリーンに抱きついて『充電』する回数は減らないどころか社員達の前でもなりふり構わず求めてくるし。グリーンはグリーンでそのことに関しては長年の習慣の中で羞恥を感じることもなくなってしまった。
だが、なんとかレンジャーのような「変人奇人はお互い様」の面子とは異なり、彼らの社員達は副社長に抱きつく社長を驚愕の目で見るし。
社長が忙しさにかまけて食事をしないのを考慮し昼食とおやつを全社員…30数名分毎日作ってくれる副社長の性別や、社長室にあるソファベッドでほぼ毎晩一緒に眠る社長と副社長の性癖を社員達が疑いたくなるのは、どうしようもないことだったりも、する。
「低俗な雑誌の内容は9割方捏造ですよ」
不機嫌な表情でブルーは言うと、イエローの手からグラスを引ったくり、中身を一気に飲み干した。
ブルーはレンジャー解散後、1年弱ほどファッションモデルとして働いた。
活動期間は短かったものの、その美貌は一世を風靡し、女優と熱愛だのアイドルと結婚だのと現在のグリーンとブラック以上にあることないこと書き散らされ騒がれて。本当の結婚を期にモデル業をすっぱりとやめ、マスコミの前から姿を消したのだった。
「不名誉な噂なんて3年もあれば消えますよ。根も葉もなければ、ですが」
実際にトップモデルの彼を世間が忘れてくれるのに3年間ほど時を要したため、ブルーは在宅株取引などをやって人目につかないようにしてその期間をやり過ごした。その時期にグリーンとブラックの会社の運営を手伝ったのを土台に、ほとぼりが冷めてからは経営コンサルタントとして大いに活躍している。
「人の噂は75日、じゃ終わらないんだ……」
肩を落としつつも、ブルーのマスコミ被害の一部始終をグリーンは知っているので、自分達の不名誉な風評も長い時間をかければそのうちに消えるだろうと希望を取り戻した。
「とか言いつつさ、ブルーこの前テレビに出てたじゃん。マスコミに追っかけられるの嫌だったんじゃないの〜?」
イエローの『いらんこと言いマシーン』の実力は健在で、相手が逆上しそうなことを次々と平気で口にする。
案の定、せっかくの再開だからと今まで堪えていたブルーがついに声を荒げた。
「貴方達にだって出演依頼が○゛ンダ○の会長から直々に来た筈でしょう? むしろ何故私しかアレに出演しなかったんですか!」
ブルーの責めるような問いかけに残りの3人はバツが悪そうに首をすくめた。
「だって、会社忙しかったし……」
「さすがにアレに出るのは勇気いるよな〜」
「……」
ちなみにアレ、とは。
今年2月から放映が始まった『地球戦隊アスレンジャー』のことである。
なになに戦隊なんとかレンジャーの本来の名称である『地球戦隊アスレンジャー』は、今この場にいる彼らをモデルとして制作されたというチャレンジ精神溢れるヒーロー番組であり、さらにチャレンジ精神溢れることには「ぜひ本物にも登場していただきたい」と特別出演依頼が元アスレンジャー(なんとかレンジャー)の面々に来たのである。
が、依頼を引き受けたのはブルー1人のみだったので、彼はアスレンジャーの敵組織の幹部『青嵐大臣』として3ヶ月ほどアスレンジャーと戦うこととなったのだが。
「あ、あの、どうだった? 本物の役者さんたちとお芝居やったんでしょ?」
ブルーの不機嫌メーターがピークを迎えるのを察して、グリーンはポジティブな方向へ水を向けた。
「ええ、やはりプロは違いますね。色々と勉強になりましたよ。……けど」
「けど?」
問い返すグリーンに、ブルーは厭世的な笑みを浮かべた。
「本家の……私達の方が遥かに無茶苦茶でした。スタントを使った特撮よりも」
そんなこと現実的にありえないでしょ?て何度もスタッフに言われましたよ……と沈んだ口調で話すブルーに、グリーンは力なく笑うしかなかった。
「まーいーじゃん! 青嵐大臣チョー人気だったんしょ? うちのカナもかっこいーって毎週見てたもん!」
「そういえば今日、カナちゃんは?」
グリーンははたと気付き、イエローの10歳になる養女を探して店内を見回した。本日貸切の小さな店内にはやはり彼ら4人しかいない。
「カナは今夜友達の家にお泊り〜 だからさーもーさみしくてー、集まるの今日にしたワケ。みんな来てくれてありがとねー!」
言ってイエローはおもむろにグリーンに抱きつくと、そのままカウンター裏のキッチンまで彼を拉致していった。
「で、お料理がまだ出来上がってないので手伝ってくださると嬉しいなー、なんて」
「うん、いいよ。エプロン貸してね」
グリーンはイエローの腕から抜け出すと上着を脱ぎシャツの袖を捲り上げる。
テーブル席ではブルーが「子ども達が喜ぶかと思って出演したのに逆に嫌われた」とかなんとかブラック相手にグチ溢しを続行していた。
その様をニヤニヤと見つつ、イエローは下ごしらえしておいた肉と野菜を炒めはじめる。
正義の味方を辞めた後、料理人の職へ復帰したイエローは、昔よりも格段に腕を上げた。
以前は何が入ってるか分からないカレーをよく食べさせられてヒドイ目に遭ったけど……とグリーンは回顧し、彼の料理上達振りに安堵する。
「なに? ぼ〜っと俺の顔見ちゃって。あー気持ちはありがたいが僕ら男同士じゃないか。君の愛には応えられそうにも」
「ち、ちがうよ!!」
イエローの悪ふざけを強く激しく全否定し、グリーンは溜息をつく。
「そうじゃなくって……右腕、なんともないんだなって、安心して……」
隕石を破壊し、人類の危機を救ったあの事件で。
屋上で気を失ったイエローは、あの後5日間ほど眠り続けた。小型隕石といえど、そして彼が『破壊の天才』といえど、隕石を生身の体で破壊した彼の体はあちこち損傷し、特に右腕は肩口から指先まで複雑に骨折していた。
事件の後、左腕を骨折したグリーンと共にすぐさま防衛省管轄の病院に搬送されたイエローは最先端の医療技術を駆使した手術を受け、2ヵ月後にはギプスも取れ、そして僅か6ヵ月後にはリハビリを終えて元の健康な腕を取り戻したのだ。
「もぉ10年以上前の話じゃん」
「そうだけど……イエローは料理人だから、右腕なくしたらどうするんだろうって、すごく、怖かったんだよ。治って……本当に、良かった」
まるで自分のことのように喜び安堵するグリーンに、イエローは照れた笑みを少し浮かべ、キーマカレーの入った鍋をグイと彼に押し付けた。
「それ、鉢によそっといて。んで、横にマッシュポテト……冷蔵庫にあるから、も添えて」
わかった、と気の良い返事をひとつして冷蔵庫の扉を開けるグリーンの背中を見ながら、イエローは誰にも聴こえない音量で呟いた。
「ったく……いくつになってもこんなに心優しくてだいじょぶかねグリーンは……あの時も相当心配かけたしさ……」
そしてテーブル席に目を転じると、ブルーの子どものグチがいつの間にか妻ののろけ話に変わっている。ブラックはそれを辛抱強くじっと聴いている。
イエローはフ、と口元を緩めて笑んだ。
「グリーンだけじゃないな……あいつらもすっごい心配してくれて……仲間不安にさせるなんて悪いやつだったよな、俺も、……レッドも」
呟きながらも、イエローは調理の手を止めない。
完成した回鍋肉を皿に盛り付けようと中華鍋をコンロから下ろす。その一瞬に見た最大火力で燃え上がる炎が、この場にはいないかつての仲間を髣髴とさせ、イエローは目頭が熱くなるのを感じてぎゅっと目を瞑った。
カレーをテーブルへ運ぶグリーンがイエローの変調にいち早く気付き、どうしたの、と声をかけようとした、その時だった。
「よお! 久しぶり!!」
引き戸が開く音と同時に、元気の良い大きな挨拶が店内に飛び込んできて、4人は瞬時に入口へ振り向いた。