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倉石庵は、僅かながら困っていた。

今日は仕事が珍しく早く終わったので、すぐに親友の睦実と連絡を取った。彼と共に自宅で夕食を作り、そのまま睦実はお泊り――と、話がまとまって。真っ直ぐに帰宅したのが午後5時半。
睦実は7時には来ると言っていた。それまでに軽く部屋を片づけて、風呂を沸かして、そして時間が余ったので今のうちに……とあるモノをリビングのテーブルの上に広げた、時にインターホンが鳴ったのだ。
睦実が予定より早く来たのかと玄関を開けると、そこにいたのはかつての同僚、鳥ノ井明美、しかも半泣き……だった。

「どうぞ」

ガラス板とスチールで出来たテーブルの上にダージリンティーのカップを置く。明美は憔悴した目でそれを見つめるだけで、口を付けようとはしなかった。嗚咽は収まったものの、彼はいまだ泣き出しそうな顔で身を縮ませている。大き目のソファに座っているのもあり、元々小柄な彼がよりいっそう小さく見えた。

明美は素直で気の優しい性分だが芯は思いのほか強い。滅多なことで怒ったり、こんなにボロボロになるまで泣いたりすることは無い。余程のことがあったのだろう、と庵は考える、が、
チラリ、とテーブルの下を見遣る。
そこには先ほど咄嗟にテーブルの上から払いのけた―――写真週刊誌数冊とスポーツ新聞数紙。全て、自分関連の記事が掲載されているものだ。これらを、睦実が来る前にスクラップしておきたかった。
自分のことをどのように捏造され書きたてられているのか興味があるし、仕事をする上でもどのように見られているかは知っておいたほうが良い。それになにより、ナルシストの彼としては印刷物に自分の写真が載る、それがもう純粋に快感なのだ。モデルの依頼を受け、今ではその仕事を本業としている動機としてはそれが一番大きいのだから。

しかし、自分の出ているファッション誌やら1st写真集やらは嬉々として人に見せる庵はであったが、週刊誌の捏造記事のスクラップだけは秘密裏に行いたかった。特に、睦実にだけは絶対に見せたくない。彼はおそらくきっと確実に、気に病むに違いないからだ。
睦実と2人で歩いていると周囲の注目を集めることがよくある。睦実は過去の体験から、それをひどく嫌がる。いつかは睦実のことも記事にされるのではないか、という不安はあるだろうし、不安にはさせたくない。

「いきなり来ちゃって……ごめん」

「いえ、気にしないで下さい」

庵も明美の対面に腰を下ろし、サイドボードの上の置時計をチラと見る。6時50分。睦実が来るまであと10分しかない。それまでに、この状況を何とかできないものだろうか。この、週刊誌だけでも!

思考は視線という形になって露骨に表れていたのだろう。明美は視線の先にある雑誌に、気付いてしまった。

「最近、すごいニュースになってるよね。アイドルとか、モデルさんとかと」

「ええ、まぁ」

「本気のヒト、いないんでしょ…? 否定しないの?」

明美の指摘に庵は顔を僅かにほころばせた。明美の、さりげなく聡い部分を庵は好ましく思っている。
睦実のことを記者に知られないためにも、全くのでたらめ記事を書かれても庵は反論や訂正を全くしない。それらが親友を隠すためのスケープゴートになれば、と思っているのだ。

「一々否定するのも面倒くさいですし。 男と女が一緒にいるだけで勘違いして騒ぐような連中ですから」

「まぁねぇ。 やっぱり、男女っていうと、そうなっちゃうよ」

明美の顔にも笑顔が少しだけ戻った……かと思いきや何かを思い出したように再び曇ってしまった。

「やっぱり、男と女じゃないと、だからなのかなぁ……」

「なにが、あったんです?」

早く明美に立ち直って、帰ってほしい。その思いが庵を普段ありえないほどの親切な相談役にさせていた。

「連賀が……僕のこと、」

土田連賀は、庵の元同僚で明美の親友。以前の職を離れてから2人は小さいながらも会社を興し、寝食を共にしながら頑張っている。お互いがお互いを信頼しあっているパートナー同士だと、庵は傍から見てそう認識していた、が。
明美は言葉を切り、しゃくりあげた。

「『彼女』って……人に、言って………」

ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれる。

「僕、オトコだよ? そりゃ、小さいし…女顔だし…童顔だし…年齢不詳だし……でも、連賀がそんなこと言うなんて思ってなかった。 男2人で暮らしてるのって、そんなに隠したいこと? 恥ずかしいこと??……」

『女に見える』『子供に見える』『少女に見える』は明美のコンプレックスで地雷であることは、過去に共に活動していた時期に既に明白だったし、仲間内での暗黙ルールだった(が、それをわかっている上で明美を『かわいい』とからかう輩も若干名、いた)。連賀もそれを判っているはずなのに、どうしてわざわざ地雷ワードを口走ったのか。

連賀の馬鹿アホ駄目人間……と心の中で毒づき、明美にティッシュボックスを差し出した、ところで。睦実がリビングに入るドアを開けたまま立ち尽くしているのに気付いた。

「睦実?」

「あ、あの、すみません。玄関が開いていて、チャイム鳴らしても、呼びかけても返事が無いんで、何かと思ってお邪魔したら……すみません」

顔を赤らめ非礼を詫びる親友に庵は優しく笑いかける。

「いえ、こちらこそすみませんでした」

「あの、僕も、睦実さん来るのにお邪魔しちゃって、すみませんっ」

ティッシュペーパーで顔を拭いつつあたふたと頭を下げる明美の姿に、そして3人で謝りあうこのおかしな状況に、睦実の顔にも笑みが乗る。

「全然、構いませんよ。ねっ、庵?」

「ええ……」

睦実に笑みを向けられると、庵の心は120%ほど広くなる性質を持つ。

「明美も、夕食食べますよね? 泊まっていっても構いませんよ。 どうせ連賀のいる自宅には帰りたくないのでしょう?」

「うん、ありがとう!」

泣き顔から一転、ニコッと花の咲いたように笑う明美は、やはり乙女のように可愛らしい、と庵も睦実も思ったが、口には出さないでいた。

「どうせなら、連賀が土下座して謝りに来るまで、ここにいてもいいですよ?」

「土下座って……」

「絶対、土下座です。」

庵の過激な台詞と明美の柔らかいツッコミのやりとりに、睦実はクスクスと笑う。その一方で、先ほど思いがけず耳にしてしまった明美の言葉が頭にこびりついていた。

『男2人で暮らしてるのって、そんなに隠したいこと? 恥ずかしいこと??』

 

    

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