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次の日の朝。彼は両腕を組んで、鉄柵に乗せている。
視線は、空に向いているのか住宅街を向いているのか、あるいは海に向いているのかは分からない。
庵はガラスをゆっくりと開け、睦実の背中に声をかけた。
「睦実、おはよう」
睦実は振り返ることも返答もせずに、ただ、空を眺めている。
聞こえなかったか、あるいは考えごとをしていて、気付かないかだろう。
気を取り直し、庵は睦実の肩を軽く叩く。
睦実は驚き、小さく跳び上がって叩かれた肩の方を向いた。
「あ、庵…?」
「おはよう、睦実」
「え? あ、はい。おはよう…ございます」
珍しく朝早く起きていた睦実が、これまた珍しく滑舌の悪い口調で話している。
やはり昨日、なにかあったのではなかろうか。
週刊誌の内容は、いつものデッチ上げだし、それを気にするようにも思えなかった。
「やはり昨日、なにかあったんですか? 睦実」
問われ、睦実は胸が締め付けられるような心地だった。
昨日は、あまりにも沢山の出来事がありすぎた。
上司に告げられた事実。
週刊誌に書かれた『とある男性と愛人関係にある』という言葉。
極めつけは、明美の『男2人で暮らしてるのって、そんなに隠したいこと? 恥ずかしいこと??』の一言。
睦実は顔を庵から逸らし、部屋に戻る。
「睦実…?」
「庵、オレ、やり残したことがあるので…仕事場に戻りますね」
言うなり睦実は自分の荷物を持って、玄関ヘと続く廊下に出た。
そんな親友の様子を見、おかしいと思った庵は、睦実の腕を掴んで再び問う。
このまま帰してしまったら、睦実がどこかに居なくなってしまう気がして。
「睦実、どうしたんです? なにがあったんですか?! 教えて下さい!!」
「…庵」
自分を心配して必死の形相で訊いてくれる彼に向き直り名を呼ぶと、睦実は微笑みかけた。
精一杯、普段どおりに、振る舞って。
「もしオレが、どこに居ても、どんな姿になったとしても。庵は…いつかオレを、見つけてくれますか?」
問いかけの意味が分からずに一瞬、庵は硬直した。
が、優秀な頭脳を持つ彼は、すぐに答えを出す。
「どういう経緯で、その台詞が出たのかは分かりませんが…。私は睦実が、どんな姿形になっても、どこにいようと、必ず見つけてみせます」
言いながら言葉のクサさに庵は赤面してしまったが、正直な気持ちなので訂正はしなかった。
と、睦実は、心からの笑みを向け涙を目に浮かべながら、一つ、言の葉を落とす。
「ありがとう」
そして睦実は、庵を抱き締めた。
自分から、彼を抱擁したのは初めてだ。
『男である自分』の、最初で最後の抱擁。庵は僅かに硬直したが、そっと背に手を回してくれた。
「む、つみ…?」
「ありがとう、庵。…これから寒くなるから、体に気を付けて。
ちゃんと三食、バランスも考えて食べてくださいね。タンパク質とか、トマトばかり摂ってはいけませんよ? いくら好きだといっても、これから冬。トマトは体を冷やすんですから…。ね?」
言い終わると睦実は庵から離れて手を振り、最後に一言だけ告げる。
「それじゃ、さよなら」
――オレが、どんな姿になっても、どこにいても見つけると約束してくれた。
迷っていたけれど、やっと生まれ変わる決心をすることができました。ありがとう、庵。
男のオレとは永遠に『さよなら』だけれど。貴方がオレを見つけてくれるなら、また会える。その日を待ってます――
睦実の声色も口調も、いつもと変わらない。
だから庵は、なんとなくいつも通りに返した。
もちろん、急に抱き締められた驚きもあったから、彼は、そういった反応しか出来なかった、というのもある。
「え、ええ、さよなら」
ドアが閉まったのを見て、庵はリビングに戻った。
そして、昨日から放置しっ放しだった雑誌を手に取る。
そして、睦実が見ていた雑誌の記事のコメントに初めて目を通し、気付いた。
睦実が昨日、これを見て泣きそうな顔をしていた理由に。
何故その場で、この内容を確認して、気に病むことはないとフォローしなかったのだろう。
それに、睦実は。二十歳になると言った途端、表情を曇らせた。
どうして、そんな顔をするのか訊かなかったのだろう。
そこまで考えて庵は、本日最大のミスに気付く。
睦実の別れ際の言葉が、いつもの「また」ではなく、「さよなら」であったことに、なんの疑問も感じず、彼を帰してしまった。
後悔の波が押し寄せてきたが、今は、そんな自己嫌悪してる暇はない。
一抹の不安が脳裏をよぎった庵はエレベーターホールに駆けたが、案の定、そこに人影はなかった。
部屋に慌てて戻り携帯電話のリダイヤルボタンを震える手で押した。
が、コール音が鳴るどころか、『この電話は現在使われておりません』というアナウンスしか流れない。
睦実の自宅にもかけたが、同様だった。
「睦実、どこに行ったんですか…!」
庵は次に、特務部に電話をかける。
平日朝だからなのかも知れないが、電話には誰も出ず、留守番電話に切り替わってしまった。
庵は、変装するのも忘れて駐車場に下りて車を飛ばし、市ケ谷の防衛省に急ぐ。
防衛省に到着し、車を降りて。
いつものように、受付で免許証を見せドラリンの居る司令室の内線番号を伝えた。
そして彼女の一言があれば即、入省可になるのに。
ホンゲダバー司令室の内線番号を伝えるなり「そのような部署はありません」と冷たくあしらわれ、門前払いをされた。
それから、特務部の電話も「現在使用中止」のアナウンスが流れるようになり、ホンゲダバーの面々へ電話もかけられず。
彼らへのメールも手紙も、届かず戻ってきてしまうようになり。
『特務部』──もとい『新生へなちょこ戦隊ホンゲダバー』は、庵たちの前から、完全に姿を消してしまったのだった。