【悪夢の中で見た光】
善太から鏡を渡された睦実は、しばらくバルコニーで夜景を見ていた。
冷たい夜風が、鏡を抱き締める手や素足や頬に当たっていたけれど。
不思議と、寒くはなかった。
「庵…体調、大丈夫かな…」
自分の上司は、庵は元気だ、と言っていたけれど。
あまり、元気ではないのではなかろうか。
「まだ、会うには早い、けど…」
一目でも良いから、彼の顔を見たかった。
****************
休暇を一日取った後の庵は、輝いていた。
憑き物が落ちたとか、そういった類の簡単な言葉では表せない変わり様。
血色が良くなり、目には生き生きとした光が戻っていた。
表情も明るく、内側からにじみだす幸せオーラは、誰の目にも明らかだ。
そんな彼の様子に、マネージャーは元より、彼に関わる全ての人は驚く。
様々な噂が飛び交う中、庵のマネージャーは問うた。
「RIOさん、なにかあったんですか?」
庵は今までの作り笑顔とは違う笑みを顔に乗せる。
はにかんだような、それでいて誰かに聞いてほしいことがあるような、幼い笑顔。
「いえ、なにも。ただ、私の大切なものが、見付かったのです」
「探し物、ですか?」
「…はい。ずっと探し求めていました」
「それは、よかったですね」
マネージャーの言葉に、庵は照れながらも頷いた。
「今日の撮影は、何処でしたっけ?」
「えぇと、お台場のフシテレビ前でアニマールのスーツの撮影ですね」
マネージャーは、生まれ変わったかのような庵の態度に、思わず涙ぐむ。
11月の終わり頃から庵は、スケジュールを言われるがままにこなすロボットのようになってしまっていた。
そんな彼が、次の仕事内容を訊いてくるなど、信じられない。
本当に、彼の探し物が見つかってよかった、とマネージャーはしみじみと思った。
「分かりました、アニマールのスーツの撮影ですね。…あ、それと、お願いがあるのですが…」
「はいっ、なんでしょう?」
意気揚々と尋ねてくるマネージャーに、庵は申し訳ないとは思いながら、ハッキリと述べる。
「仕事、減らしてください」
「は…ええぇ?!」
マネージャーは、周りの目を憚ることなく、驚きの声をあげた。
「そ、そんな、いきなり言われても…私、社長に殺されちゃいます!」
半泣きで訴えかけるマネージャーに庵は、困ったように微笑みかける。
「どうしても、やらなくてはいけないことがあるんです」
睦実は、この世界の何処かにいる。
生きて、生活しているのだ。
それだったら、彼を見つけることができるに違いない。
死んだ人間を探し、会うことは不可能だけれど。
しかし、相手が生きているなら、必ず再会することはできる。
だから、時間が必要だ。
自分自身が、睦実を探す時間が。
「仕事が軌道に乗ってきた所なんですから、冗談よしてくださいよ!」
「本気なのですが…困りましたね。もし、仕事を減らしてもらえないのなら…」
庵の次の言葉をマネージャーは察して、ごくりと唾を飲み込んだ。
「この事務所、辞めます」
「やめてくださいいぃ!!」
「あ、そうですか。じゃ、辞めます」
「違います違います! 『やめてください』ってのは、『辞めるのを考え直してください』って意味です!」
マネージャーの必死の弁解に、庵は強気で畳み掛ける。
心の中で大人げもなく「勝った」とガッツポーズをしていた庵は、「じゃあ、仕事、減らしてくださるんですね」と、有無を言わさぬ笑顔で庵は言い切ったのだ。
こうして彼は半ば強制的に、マネージャーを頷かせたのだった。
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「それじゃRIOさん、次は真正面でお願いしまーす」
カメラマンの指示を受け、レンズに対して正面を向く。
お台場のフシテレビ前で、庵は仕事を淡々とこなしていた。
数回連続でフラッシュをたかれ、少々目が疲れるので、マネージャーに目薬をもらい、両目に注す。
「RIOさん、良いね! 今日は、いつにもまして輝いてるよ?」
褒め言葉に、庵は微笑むことで感謝を表現した。
それにしても、そんなに自分は昨日とは違うだろうか?
確かに目覚めが爽やかだったし久々に、ぐっすりと眠れたのだが、自分の感情を表に出さないようにしてきていたというのに、一部の人間には変化が分かるらしい。
やはり彼らの仕事上、人の感情に対しては敏感になのだろう。
「それにしても、今日は野次馬が多いですね。RIOさんは、今をときめくカリスマモデルですからね!」
カメラマンの言葉を、庵のマネージャーは肯定する。
「ええ、そうですね。さすがはRIOさんです。それにしても、人の少ない時間帯を選んだのにこんなに人が集まるなんて…」
庵は、マネージャーの言葉に、なにげなく辺りを見回す。
と、一人の人物を目にした途端、思考を奪われた。
「……」
何事かを呟き庵は、全速力で、その人物に向かって走る。
その行動に撮影スタッフやマネージャーだけでなく、野次馬も驚愕し、声も出なかった。
「止まれ!」
野次馬の一人、二十代後半の男が叫ぶ。
聞き覚えのある声に庵は一瞬、躊躇した。
けれども警告を無視し、目的の人の許へ駆ける。
すると、警告をしたであろう人物が、庵の前に立ち塞がった。
「どけ!!」
怒鳴りながら庵は、邪魔者を押し退けようとした、が。
その力は受け流されて庵の手は、虚しく空を切る。
そして腕をガッチリと捕まれ、動かすことができなかった。
庵の目指していた人は、すぐ側の道路に停めてあった黒塗りの車に走り寄り、体を滑り込ませる。
その人物を乗せた黒い箱は急発進し、あっという間に見えなくなってしまった。
庵と男が押し問答をしている、数秒の間の出来事だった。
「貴様…!」
憎々しげに言葉を吐く庵に、彼の障害となった男は、ふ、と微笑む。
「相変わらず、だな」
「貴方は…」
先ほど聞いた声に覚えがあったのは、気のせいではなかった。
「久しぶりだな、倉石さん」
「名取さん…」
目の前に立つ男は。
前とは髪型は違う――オールバックの髪を下ろし前髪を作っている――ものの、確かに彼は、親友の職場の仲間。
名取 明仁、その人であった。
「RIOさん、どうしちゃったんですかぁ?!」
始めに我に帰ったカメラマンに尋ねられ、庵は何と言い訳しようか悩む。
明仁は、そんな庵の腕を放しカメラマンに詰め寄った。
「おぅおぅ、テメェんトコの事務所じゃ最近の若ぇモンにどういう教育してやがんだ! いきなりウチの組の大事なお嬢様に突進して来やがって!!」
堂に入った明仁の演技に、庵は感心すると同時に可笑しくて、笑いを堪えるのに精一杯だった。
が、明仁の台詞の『お嬢様』という部分に引っ掛かりを覚える。
庵が目指したのは、求めてやまなかった人。
親友の、笹林睦実のはずだ。
だが、彼は白いワンピースを着ていなかったか?
まさか。
睦実の上司であるドラリンが、また睦実に女装をさせるような任務に、就かせたのではあるまいか。
そのせいで睦実は自分の前から姿を消したのでは?
親友に女装姿を見られることを睦実はひどく嫌がっていた。
そう考えると、今まで自分を悩ませ苦しめてきた原因が、ドラリンにあるように庵には思えてしまう。
彼は密かに、ドラリンに対する怒りを腹の底に蓄積するのだった。