【桜咲く】

それから一ヶ月半後。
桜の開花予想がニュースで流れ始め、各地で花見ムードが広がる、初春。

庵は、一通の手紙を受け取った。
差出人は、彼の親友。

数枚の便箋には丁寧な字で、季節の挨拶と元気でいるかどうか、という内容。
そして最後には、今日の日付の13時 豊洲駅近くの公園で待っています、と書かれていた。

庵は目にも止まらぬ速さで携帯電話を操作し、マネージャーに電話をかける。

「もしもし? 今日の予定、全部キャンセルしてください。
…え? 今度こそクビ? 構いません、とにかく今日は私は一日オフにしますから。それでは」

マネージャーの悲愴な叫びに目もくれず、庵は一方的に主張して通話を切断した。
そして自宅の電話回線を引き抜き、携帯電話の電源を切ると時計を見る。

現在、10時。

まだ、時間はある。

庵は最高のコンディションで親友に再会したかった。
超特急でシャワーを浴び、とっておきのトリートメントで髪のケアをする。
ワックスで形を整え、一番似合うと言われた髪型にセット完了。

朝、髭は剃った。けれど念のため、もう一度電気シェーバーを使い髭を剃る。

仕上げに全身の肌を、化粧水で整えた。

お気に入りの服を一時間かけて選ぶ。
時計を再び見遣ると、短針は12と1の間を、長針は6を指していた。

準備は、万端。
今の自分は、何処に出しても恥ずかしくない。

「完璧、ですね」

庵は最後に、変装用に購入した、レンズ部が大きめのサングラスをかけた。

部屋を出、エレベーターに乗り込む。
階を知らせる電子板の数字が小さくなっていく毎に、心臓が高鳴った。
公園への距離が縮まる度に、歩調が自然と速くなる。

公園に着くと、そこは親子連れで溢れ返っていた。

そういえば今日は日曜だった、と庵は思い出す。
モデルの仕事は土日祝日は関係ないので、すっかり曜日感覚が失われていた。

目的をすぐに思い返した庵は、公園を見回す。
と、桜の木の下のベンチに腰を下ろし、本を読む一人の人物に、視線が釘付けになった。

庵は人とぶつかりながら、一直線に親友の許へ駆け出す。
数人から不満の言葉を投げかけられたが、構わず走った。

「睦実…」

四ヶ月ぶりに見た親友の名を呼ぶと。
睦実が顔を上げ、自分を見る。
そして、嬉しそうに微笑んだ。

彼は、昔よりも。
慈愛に満ちた優しい笑みをするようになり、美しくなっている気がする。

涙が、今にも溢れそうだった。

    ****************

考える前に体が動いていて。

庵は睦実を抱きしめた。

睦実が苦しくないように、優しく。
もう離れてしまわないように、しっかりと。

庵がこんなにも強く自分を抱きしめてきたことは初めてで、睦実は驚きに胸が高鳴るのを感じながら、そっと庵の背中に手を回した。

「庵、見つけてくれて、ありがとう…」

腕の中で自分を見上げ微笑んだ睦実を、庵は本当に美しいと感じた。目頭が自然と熱くなる。

「見つけるって、言ったじゃないですか」

それを誓った朝を思い出す。ひどく遠い遠い昔の出来事に思えて、庵は抱く腕に力を込めた。
あの時はまだ、こんなにも長い別離になるとは思ってもみなかった。

「そう、でしたね。…ありがとう」

睦実の胸がまたトクリ、と高鳴る。

自分で決めたこととはいえ4ヶ月と少しの間庵に会えないという事実はひどく寂しく辛いものだった。自分ですらそうなのだ。別れの言葉も無いまま突然の親友の失踪を味わった庵の動揺や喪失感はどれほどのものだっただろう。
それでも、庵は自分を待っていてくれた。探してくれた。

親友に辛い思いをさせてしまった後悔と罪悪感。でも、それが消し飛んでしまうほどの幸福感を込めて、庵をギュッと抱き返す。

心地良い、と庵はぼんやりと思った。
今まで睦実と抱き合った時は、たいがい動揺を隠すのに精一杯だったり、睦実が苦しくないか、睦実の心の痛みは和らいだか、を考えるだけで必死だったりで。
でも、今は、なぜだか余計な躊躇いや心配もなくただひたすら心地良いと感じていられる。睦実の体温が、鼓動が、柔らかな感触が―――

―――…柔らかい?

思考の流れが、引っかかって、止まる。

睦実の体はこんなに柔らかだっただろうか?先程見た限りではいつもと同じようにスリムなスラックスとすっきりとしたシャツを着ていて…いや、いつも襟首と第一を外しているボタンを、今日は襟首のボタンまでしか外していない……それはどうでもいいがとにかく、太った、というわけでもなさそうなのに何故か柔らかい。背中や腰はそれほどでもないが、特に、胸の辺りが……

とっさに、庵は睦実をグイと抱き寄せて、確かめるように自分の胸を睦実の胸に押しつける。

「い、いおり?」

突然の情熱的ともとれる行為に睦実は戸惑いの声を上げた、が、庵にはそれを聞く余裕はなかった。

なぜなら、睦実の胸の感触。男のそれとは呼べない柔らかさと弾力。むしろ、女性の、乳房に近い、のではないか?!

女性の胸に触れた経験など片手で足りるほどにしか庵にはないので、それは野性的な直感と言ってもいいだろう。
そこまで思い当たった途端に庵は睦実から手を離しズザァ、と後ずさる。

―――えーと、睦実は、男のはずですよね? でも、あの、胸があるということは女性というわけで…ということは睦実は女性?いやいやいや裏をかいてこの方は睦実じゃないのかもしれません。ただ顔がそっくりな…そう、睦実に実は双子の妹がいたのかもしれません!……そ、そうなると私は初対面の女性にいきなり抱きついたということになって……せ、セクハラをしてしまったのでは?! いえちょっと落ち着きましょう。実はコレは夢なのかもしれません。そうですよ現実なわけが……

睦実を見つめる庵の目はグルグルとした思考回路がだだ漏れで、睦実は心の中で苦笑し、庵のそばに寄った。

「庵」

「えっ?!はっ」

混乱し慌てる庵に睦実は優しく微笑み、その表情を見るだけで庵の心は少しばかり落ち着く。

「全て説明しますから、大丈夫ですよ」

「あ…、はい」

「その前に、場所移しませんか?」

うっかり忘れてしまいそうになるが2人が今いるのは家族連れで賑わう公園で、その中で抱き合った彼らは白昼堂々ラブシーンを見せつけたも同義であり、「お母さ〜ん、アレなに〜?」「シッ!見ちゃいけません!」とか言われても仕方がない、というか言われている。

睦実は衆人環視の的になったことに顔を赤くしているし、さすがの庵も羞恥心を感じずにはいられない。

「…近くにカフェがありますから、そこへ行きましょう」

 

    

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