第二章
【悲しみの雨に散らぬよう】
「いおりんは別に、お前のこと嫌いになったとか保身とかゆーんじゃなくてさ。お前をゴシップに巻き込みたくないから、そーゆー態度とったんじゃねぇの?」
『でも、連絡…全然くれないんですよ?』
特務部の司令官であり、睦実の良き相談相手になっているドラリン。
彼女は、部下が電話で泣き付いてきたことに対して、少なからず腹を立てていた。
睦実は、男として生きた今までを、半ば捨てて女になることを選んだ。
それは、もちろん彼の今までの体験から、女性への羨望と憧憬があったからだ。
だが、睦実は、やはり女性になることへの躊躇いを、しばらく持っていた。
女性になれば、月に一度は生理が来ること。
それに日本の男社会では、女性は生きにくいこと。
両性具有などという『異端』な者に対しての視線は元より、性転換をした人間が、今までと変わらず生きていけるのか、ということ。
それらに加え様々なリスクについて、三日三晩、外部との接触を一切遮断して二人で話し合った。
そんな睦実の背中を押したのは、庵の存在なのだ。
例え、ゴシップになるにしても。
相手が男と女、噂になる場合、どちらが望ましいか。
当然、女と噂になる方が何倍もいい。
だから睦実は最終的に、女になることを決意したのだ。
それなのに、庵ときたら。
睦実を思っての行動なんだか、イジケてるのか、単にどんな顔をすべきなのか分からないからなのか、知らない。
知らない、が、睦実を傷付けたことは明白だ。
睦実を弟のように──もっとも今は『妹』と言うべきなのかも知れないが──可愛がっている身としては、庵の睦実への対応は、許しがたい。
「こっちから連絡したのか? 留守電は?」
『入れました。でも、番号渡してから二週間…電話をかけてから一週間が経つのに、何の連絡もないんです』
「一週間?!」
ドラリンは、その事実を耳にした途端、電話口を塞ぎ盛大に溜め息をつく。
そして、庵に対して心の中で毒付いた。
──あンのバカ、なにしてやがる! ちょっとナルシストが治ったと思いきや、人を思い遣る気持ちは皆無なんかい!!──
『それって、女を選んだオレのことなんか、もう嫌になったってコトじゃ、ないんですか…?』
ドラリンは、そんな弱気な睦実を叱咤する。
「ストップストップ、そんな風にマイナスに考えるな!
お前と別れた後、マンション入口でマネージャーに待ち伏せされてて連行されたんじゃねーの? で、そのまま撮影のために海外に行ったんじゃねーの?」
上司の言葉に、睦実は暫く無言でいてから、ボソリと溢した。
『…まるで見てきたように言うんですね…』
「だってさぁ、いおりんのことだもの。お前から手紙が来るなり、スケジュールおっ放って、公園に来たに決まってんじゃん。そりゃ待ち伏せも強制連行もされるわい」
ドラリンの好き勝手な発言に、睦実は可笑しくなって、声を立てて笑う。
おかげで、幾分か心が軽くなったように感じた。
『ありがとうございます…司令官』
「いんえ〜。あ〜、それにしても、大治郎監督『マイ・フェア・レディ』は面白かったな〜☆」
『その話、もうヤメてください…』
話題転換するドラリンに、睦実は心底、疲れきった口調でもって話す。
「だってさぁ〜睦実、かなり可愛かったんだもの! 髪伸ばしてさ〜フレアスカートはいてさ〜。
内股に歩く練習とか、座る時に足閉じる習慣とか、言葉遣いとか…。もう、可愛いったらないわぃ!」
叫びつつドラリンは、かつての睦実の、訓練風景を思い浮かべていた。
睦実は、ドラリンがトリップしているのを察知する。
そして、地獄のような日々を思い起こすのだった。