しばらくして涙はようやく収まり、睦実はゆっくりと右近の腕から抜け出た。
「いきなり…すみませんでした」
あやまる睦実に右近はバツが悪そうに頭を掻く。
「や。……こっちこそ、ごめん。むっちゃん、オンナノコなのに今までみたいに抱きしめちゃった」
その謝罪に睦実の胸はチクリと痛む。
「いいんです。……女性って、不便です。」
庵にも嫌われてしまったし、という言葉は、あまりにも辛すぎて飲み込んだ。
だが口に出さなくても右近には丸わかりだった。彼は睦実の肩をポン、と叩くと、
「むっちゃん、遊びに行こう!」
明るく笑いかけた。
「……遊びに?」
「っそ! 庵いないから、俺と2人で遊ぼ! いい?時間だいじょぶ?」
睦実は少しの間呆けたが、右近の優しさが心に沁み、ようやく笑顔を取り戻す。
「ええ、今日は1日オフですから」
「やった☆ と、その前にさ、ケータイ貸してくれる? 俺今持ってないんだ。この辺公衆ないし」
「どうぞ」
どーも、と言って右近は差し出された携帯電話を受け取るなりすばやく操作し、どこかへ電話をかけた。
コールが数回続いても相手が出る気配はない。しかし、右近は待つ。
と、7回目のコールでようやく通話がつながった。
「もしもしー?」
しかし、電話の向こうは無言。
「もしもしー?おーい、いおり〜ん? みんなのアイドル右近くんからの電話ですよ〜?」
『いおり』という音を聞いて、睦実がおどろき右近に問おうとする、のを右近は手で制した。
「もしもしもしー?」
『……何の用ですか』
「今からね、むっちゃんとデートするから、その報告〜」
『勝手にしなさい』
庵の冷たい返答に、コレは異常事態だと右近は察知する。今までならば自分が睦実に少しでもちょっかいを出そうものなら、普段の気取った冷静さはどこへやら、彼はなりふり構わず逆上して睦実を守ろうとするのに。
「ふーん? 勝手にしていいんだ?」
ならば少し揺さぶりをかけるか、と右近は唇を舐める。声のトーンを低く小さく落とし、
「じゃ、むっちゃんのハジメテ、もらっちゃおっかな〜」
横にいる睦実には聞こえないが電話の向こうには聞き取れる声で、言った。
そしてスピーカーからはしばらくの沈黙の後、
『……私には関係ありません』
冷静さを装っているが、かすかに震えた声。
その必死で嘘を吐く声は右近を苛つかせるに十分だった。
「お前いいかげんにしろよ!! それでヒトの気持ち考えてるつもりか?!」
目一杯の声で怒鳴り、通話を切った。
「ケータイ、ありがとねっ」
一転して笑顔で携帯電話を返してくる右近を睦実は心配そうに見上げ、
「あ、あの……庵は、何て?」
「あー、『自分は仕事が忙しくて行けない』ってさ。そんじゃ、やっぱ2人で遊びに行こう〜♪」
睦実は人の嘘を見抜くことに長けている。が、そんな力がなくても今の右近の言葉はウソだということがバレバレだった。それでも、右近もそのウソもあまりにも優しくて、睦実には真実を言及することなどできなかった。
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「……何の電話だった?」
「貴女に言う必要のない内容、ですよ」
庵は一方的に切られた電話機をジャケットに仕舞い直すとソファから立ち上がった。
「用はお済みですよね? 忙しいのでこれで失礼します」
部屋の出口へさっさと向かう、その背中にドラリンは声を投げかける。
「庵」
庵は歩を止めるが振り返らない。
「なんですか?」
「先刻の言葉……睦実の前でも同じことが言えるか?」
嘘を見抜く睦実の前で。
大切な……親友、の前で。
庵は振り返えらない。
「……さあ?」
そしてドアを開ける。
「睦実の時も、こうやって別れたのか?」
今度は返答がない。
庵の背中は閉まるドアの向こうに、消えた。