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「ここは……」

都内とは思えない、のどかな風景が、中央線高尾駅で下車した睦実と右近の前に広がる。

「一体どこに連れて行ってくださるんですか?」

「それはまだ秘密〜☆」

右近は悪戯っぽい笑みを浮かべ、駅舎の陰に入ると睦実に背を向けてしゃがみこんだ。

「むっちゃん、おんぶするから、のって」

「えっ……」

突然おんぶすると言われても、戸惑いを隠せない。
周囲には人影もまばらだけれども、それでも恥ずかしい。体重もそこそこあるし。

「じゃないと目的地いけないからっ」

はやく〜! と急かされ、睦実はためらいながらも右近の肩に腕を回して負ぶさる。
右近は睦実が自分の背に乗ったのを確認するとひょいと立ち上がった。睦実が自分の体重を心配したことが杞憂だったと思えるくらいに、軽々と。

「じゃ、しっかりつかまっててねっ」

言うなり右近は大きく跳躍し、駅舎の屋根の上に降り立つ。

「ひえっ?!」

睦実の悲鳴などものともせずに、屋根を駆け抜け再びジャンプ。今度は近辺の建物の屋上に飛び移る。
その人外の跳躍と疾走で右近は道を全く使わずに移動する。高速道路を走る乗用車並みのスピードで駆けるその先には高尾の森が迫っていた。

「右近くん、このままだと山に!」

入っちゃいますよ、という睦実の台詞が終わる前に、右近は本当に山中へ突っ込んでいった。
やはり地面には降り立たずに、枝から枝へ飛び移って移動する。
右近が配慮してくれているのか、睦実には木の葉ひとつ当たることはないが、それでも猛スピードで跳躍と着地を繰り返し、目の前に木々が迫ってくるのはあまりにも怖い。睦実はいつの間にか目を閉じ、ぎゅっと右近の背にしがみついていた。

そして。

「着いたよ〜」

右近の明るい声に睦実はおそるおそる目を開けた。あれからどれくらい経ったのだろうか。屈んだ右近からゆっくりと降りると、足はすぐに地面の感覚を捉えてくれた。

「ここは……」

辺りは木々が深く折り重なる山の奥の奥。振り返っても、登山道どころか獣道すらない。
でも。目の前には。堂々たる日本家屋が、建っていた。

「ここはー、俺の実家! むっちゃん、こっちだよっ」

右近が睦実を手招いて歩き出した、その時。

カチリ、と小さな音がし、突如地面に半畳ほどの穴が開いた。右近は舌打ちして穴に落ちまいと後ろに退く。

「ごめん、むっちゃん、ソコ絶対動かないでねっ!」

状況も右近の言葉の意味もつかめぬまま睦実はうろたえたが『動かない』という指示には従い体を硬直させた。
その頭上を風が吹き抜け、人影が二つ、右近に襲い掛かった。

「右近くん!」

片方は徒手空拳の使い手らしく突きと蹴りの連続攻撃を右近に繰り出し、もう片方は木刀を振りかざして右近に斬りかかる。そこへ更に、木立の陰から鉤のついたワイヤーが右近を襲った。
右近は右の手で突き出された拳をいなしてその腕を掴み地面にねじ伏せ、左腕で木刀を止めて拳の使い手の鳩尾に中断蹴りを叩き込み、そしてワイヤーを歯で受け止めそのまま噛み千切った。

全ての攻撃の手が止み、山中特有の静寂が戻る、と右近はワイヤーの切れ端をプッと吐き出し、鬼気迫るほどに張り詰めていた表情を和らげた。

「も〜… トモダチ連れてきたのにその歓迎はないっしょ? 怪我させたらどーすんだよ」

その声に倒れていた二人は起き上がる。やはり、こちらも笑顔。

「腕を上げたな右近。だが腕での防御はイマイチだ。痛めてないか?」

「それよりわが息子! トモダチだと?! 珍しいじゃねぇかオイ!」

「あらあらあら、このお嬢さんのこと? 可愛らしいわねぇ〜!」

木刀を使っていたクセ毛の若い男は右近に歩み寄り木刀を受け止めた右腕の具合を診る。
徒手空拳の作務衣の中年の男と、もう一人、ワイヤーを操っていたであろうクセ毛の中年女性は木の影から姿を現すなり、睦実に殺到した。睦実は驚いて一瞬身を引いてしまった。

「むっちゃん、コワがんなくてイイよっ 俺の親父とお母んと、一番上の兄貴だからっ もー1人、双子の兄貴いるんだけどさ、今は海外遠征中なんだ。 …と、進兄ィ、そんな心配しなくてもだいじょぶだって!全然痛くねーもん」

それでもまだ右近の腕を開放せず念入りにチェックする兄を結果的に引っ張って、右近は睦実へ歩み寄った。

「この方はー、睦実さん」

「あ…はじめまして、笹林睦実です。いつも息子さんにお世話になっております」

睦実はまだ僅かに動揺していたが、それでも礼を尽くした挨拶をし、頭を下げるのを忘れない。右近の母はそんな睦実に好印象を抱いたようでにっこりと微笑み挨拶を返すし、父にいたっては

「うおお、なかなかかなり素敵なお嬢さんじゃねーか!グッジョブ!!」

息子に対して親指をグッと突き出す。
右近君って顔はお母さん似だけど、性格というかテンションはお父さん似なんだな……と睦実はこっそり思った。

「だろだろー? かわいーしキレーだし、すっごく優しいし!」

「右近くん……」

人前で堂々とべた褒めされ、睦実は恥ずかしくなって右近の台詞を遮ろうとし、

「もー、お嫁さんになってほしーくらいだよっ」

「えっ……?」

続く彼の言葉に、固まってしまった。
いや、睦実だけではない。
父も、母も、兄も、「えっ?!」の表情で固まっている。

その全員がストップした様子に、右近は一瞬真顔に戻ったかと思うとたちまち破顔し、プーッと吹き出した。

「アハハハハハ!! 冗談だよっ 単なるトモダチ! だぁって、むっちゃんには大切な人がいるんだもん!!」

右近のその明るい笑いに、彼の家族もようやく表情を和らげる。

「冗談で言うことじゃねぇだろがバカ息子!! 『えっ…睦実ちゃんが俺の娘に……』的な期待しちまったじゃねーかよ! 俺のドリームを返せぇぇっ!!」

「俺の責任じゃねぇよエロ親父!! 大体帰ってくるなり攻撃してくる親があるかよ?! むっちゃんドン引きだっただろ?!」

「そりゃオマエが『任務』終えて羽田に着くなり連絡もせんと行方不明になるからだろが心配させやがってこのバカ息子が!! 今までドコほっつき歩いてたんだ?!」

「むっちゃんとデートに決まってんだろ?!」

「なんだと?! 2人っきりか? こんな美女と2人っきりか?? ちくしょおおお羨ましいぞコノヤロウォォオオ!!」

息子の首に(わりかし本気で)ヘッドロックをかけ、父は右近を母屋へと引き摺っていく。その後を溜息混じりに微笑む兄が続いた。
そのあまりにテンションの高い父子の様子を睦実は呆然と見ているしかなかった。

「睦実さんも遠慮なく上がってね。あの子無茶苦茶やるから、疲れたでしょう?」

残る右近の母に背中を優しく押され、睦実は右近の実家に足を踏み入れ……る前に、

「あ、お母ん、トラップ全部解除してくれよっ」

「あら忘れてたわ。このままじゃ睦実ちゃんがウッカリ串刺しになったり落とし穴に落ちたりしちゃうわね」

右近と母親の会話により、睦実はもう一度、ギョッとせざるを得なかった。

 

    

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