右近は湯船の中で、独り膝を抱えていた。
窓からは満天の星が見える。右近は眩しげに目を細めてその輝きをじっと見つめた。
「冗談、で済んで……よかった、か」
うっすらと感じてはいたけれど、確認するには恐ろしすぎるモノ、があった。
それは、自分が他人と生涯を共にできるか、ということ。
自分の両親は明らかに愛するもの同士の結婚だ。見ていればわかるし、最前線真っ只中で敵同士として出合った、という馴れ初めを聞かされたこともある。それは裏の世界に生まれた自分や兄弟に希望を与えた、が。
自分だけは、許されないのではないかと危惧していた。
それは自意識過剰とかそういう訳ではなく、真実として自分は『バケモノ』だから。この血を後世に残すのを許されることはないだろうと、ぼんやり思っていた。
それを確認する勇気をなかなか持てずにいたけれど。
今日、睦実に数ヶ月ぶりに再会して、女性に生まれ変わったと知った瞬間に、ようやく決心がついたのだ。
「痛かった、なぁ……」
結果は、予想していた最悪のケースだった。
結婚の意をちらつかせた途端に家族が見せた、困惑と悲しみの表情。
やはり当主から命じられていたのだろう。自分の血をここで絶やすように、と。
それがわかったのも痛かったし、もうひとつ、睦実が困惑したことも、痛かった。
真実を確認するために睦実を利用した、のも嘘ではないけれど。でも、睦実となら、許されるのなら夫婦になりたいと強く願ったのもまた事実だったから。
それくらいに睦実のことが大好きだし、傷ついているならば癒したいし、睦実を傷つける輩を許しはしない。
この気持ちが『恋』と呼べるのかはわからないが、『失恋』してしまったのは、わかる。
本心を隠して冗談めかしてしまえる己の性質を、ここまでありがたいと思えたのは初めてだった。
―――でも、いーんだよ。俺はバケモノだから。
この力が自分の子供にも宿ってしまったら、それこそ辛い。
それにいつ戦場で命を落とすかわからない身だ。先立たれる悲しみを大切な人に味あわせたくは、ない。
本心をごまかすのは、得意、のはずだったのに。
「ッヒう……っ」
湯船に雫が滴る。
窓の外。夜闇の中で、眩しすぎる星の光が滲んで見えた。
****************
夕食と、一番風呂まで頂いてしまって、右近の母が用意してくれた浴衣を着、睦実は縁側に独り座っていた。
右近の家は夜でも照明をあまり使わない主義らしく、室内も辺りも都内とは思えないほどに暗く、星月だけが異様に明るい。聞こえるのは、風に揺れる木々のざわめきと虫達の声のみ。
この普段の生活からかけ離れた環境に、睦実は戸惑いながらも心地よさを覚える。足をくずし、膝から下を縁の下に出してぶらつかせた。
「うわ〜、浴衣も似合うねぇ」
かけられた声に振り向くと、風呂あがりの右近が立っていた。甚平を着、濡れた髪をタオルで拭っている。
彼も睦実の隣に腰を下ろして、タオルを肩にかけなおした。明るい色の髪が月光を浴びて光る。
「なんか、強制的お泊りになっちゃって、ゴメンね。明日朝一で職場まで送るからさ。市ヶ谷だっけ?それなら1時間で着くし」
「ありがとうございます」
高尾〜市ヶ谷間が1時間ということは、高尾駅からここまで来た、あの猛ダッシュをもう一度味わうことになるのか、と睦実は内心おののく。でも、これは右近なりの厚意なので受け取らないわけには、いかない。
「すっごい田舎っしょ?ゴメンね。こんな所まで連れてきちゃって」
「さっきから謝ってばかりですね」
「え? そお?」
「オレ、ここ好きですよ。すごく…落ち着きます」
月明かりに照らされて微笑む睦実は、いつも以上に美しくて。右近は胸がキュウと締め付けられるのを感じた。
「よかったっ! むっちゃんに、見てほしかったんだ。大好きだし、すっごいキレーだから」
「えっ……」
戸惑い顔を赤くする睦実を見て、右近は可笑しそうに笑う。
「あのね、山のこと。大好きだしキレーなのは」
「あ、ああ……そうです、よね」
睦実は息をつき、高く揺れた鼓動を鎮めようとした、が
「いや、むっちゃんのことも大好きだしキレーだ、って思うけどね」
「えぇっ??!」
今度こそ慌てる睦実に、右近は真剣な表情を向けた。
「俺は、むっちゃんのことが大好きだよ。絶対に幸せになって欲しいし、そのためなら俺は何だって出来る。」
「右近くん……」
睦実は、なぜだか泣き出したくなった。泣いて、抱きしめて、ひたすらに謝りたい。なのに、体が動かない。
「大変、だったんしょ? 女の子になるのって。勇気もいるし。これからも、色んな目に遭うかも知んないよね?」
右近の言葉に、睦実は頷く。
「でも睦実は幸せになるためにそれを選択した。だから、俺は睦実を尊敬するし、大好きだ。」
もう一度、頷く。鼻の奥に熱いものがこみ上げてきて、睦実は目頭を押さえようとした。その前に、右近が睦実の両手を強く掴む。
「俺、いつでも助けるから。絶対、幸せになってね?」
涙が溢れた。
睦実の手を掴む右近の目からも、涙がこぼれていた。
正直なことをいうと、睦実には右近を恐れる気持ちが芽生えていた。
先程見せ付けられた右近の人ならざる闘い方。
庵と喧嘩したときにしばしば見かけた統制の取れた動きとは全く異なる、ただひたすら敵を殺し、生き残るためだけの動き。
右近は、自分達に見せていなかっただけで、こういう戦いを繰り返していたのだ。本当の、戦場で。
思わず戦慄してしまった睦実を責めることは誰にもできないだろう。脅威に対し恐れを抱くのは生物として当然の反応なのだから。
でも。
自分のために涙を流してくれる彼を、『恐ろしい』などと誰が言えるだろうか。
睦実は右近の両手を自らも握り返し。
目の前で泣く彼に、優しく微笑んだ。
幸せになってみせる、という決意と、この優しい友人の幸福を、祈って。