【花の居場所】

「綺麗ですよ、睦実…」

雅哉は純白のドレスに身を包む花嫁に、心からの笑みを向けながら話しかけた。

睦実が着ている花嫁衣装は、ビスチェドレス。
胸元からしかない型のドレスであるが派手な作りにはなっておらず、レースが両胸の間に逆三角に近い形で少しだけ、あしらわれている。
スカートはペチコートの入ったフレア仕立てのロングスカート。
二の腕をすっかり覆う丈のあるシルクの手袋には、細かな刺繍が施されている。
緩くパーマのかけられたボブになりかけのショートヘアは、滑らかな曲線を描く頬を縁取っていた。
襟元には二連のパールネックレス。
頭頂部にはダイアモンドとパールのティアラ。
ヴェールは今は、後ろに捲られている。

控室に姿を現した睦実は、普段にも増して艶やかで美しく。
控室にいた全員は一瞬、絶句してしまった。
もちろん、花婿でもある雅哉も、である。

そんな彼らの様子を、一緒に衣装合わせに行ったドラリンだけが満足そうな笑みを浮かべていた。

本来ならば睦実の母親が衣装合わせに同行するのであろう。
が、彼女は海外出張している夫を説得するため、ほんの数日前まで、ずっと外国にいたのだ。

 

本来の親族控室に花嫁花婿の家族は、睦実の母、一人だけしかいなかった。

あとは、全くの赤の他人。お互いの職場の人間と、友人だけだ。
柳崎は幼い頃に両親を亡くしていたし、きょうだいもない。両親は親戚と縁を切って駆け落ちしたらしいので、彼の親戚も、誰一人としていない。

一方、睦実の父親は、性転換をした息子にどんな顔をしたら良いのか分かないのだろう、海外出張から戻ってこられないと言っているらしい。
睦実の妹弟は、睦実とは兄弟の縁を切っている。都合がつかないと言って、彼らも欠席していた。

だから今、控室にいるのは雅哉と彼の会社の直属の部下、そしてホンゲダバーのメンバーであるドラリン、明仁、清一、大治郎、光のみ。
その中で明仁は、花嫁とバージンロードを歩く花嫁の父役を請け負っているため、一人だけスーツではなくて燕尾服を着ていた。

 

夫となる人の素直な言葉に、睦実は頬を赤らめながらも微笑み返した。

「ありがとうございます、雅哉さん」

その、あまりにもよそよそしい台詞に雅哉は苦笑する。

「なんだなんだぁ? まだ『さん』付けで呼んでるのか睦実は?」

ドラリンの遠慮ないからかいの一言に、明仁は反撃した。

「睦実は年上には、つい『さん』付けで呼んでしまうんだよな?」

明仁のフォローにドラリンは頬を膨らまし、睦実はぎこちない笑みで頷く。

「司れ…『社長』は意地悪ですねぇ」

明仁はドラリンを睨みつけながら、言う。
今、この場にいる花婿が柳崎であることが、余程ドラリンは気に入らないらしい。
上官は先程から──いや、恐らくは結婚式の招待状が、ある人物に送り届けられたであろう日から、かなり機嫌が悪い。自分達にしか分からないくらい抑えてはいるが、彼女の背後からは、その人物への悪口雑言の波動がだだ洩れであった。

式の進行役をつとめる女性が、新郎新婦、そして新婦の父以外は礼拝堂に行くようにと指示を出す。
柳崎の部下は上司に祝福や激励の言葉をかけ、ドラリンと仲間は、睦実に話はせず目で微笑むだけだった。

「では、花婿はこちらへ」

柳崎が先に案内され、控室には睦実と明仁の二人になった。

「睦実」

明仁は、睦実を弟のように可愛がっていた。今は、娘のように思っている睦実の幸せを、祈っている。だからこそ明仁は、訊かねばならないことがあった。

「倉石さんのことは…もう、いいのか」

自分を見ていた睦実の瞳が庵の名を出した瞬間、僅かに揺れる。だが、感情が小波だったのは、ほんの一瞬で。睦実の目には、すぐに暖かい光が宿る。

「…はい。オレは、雅哉さんと人生をともにすると決めました」

睦実の言葉に、嘘はない。あるのは、ただ、雅哉を想う気持ちと。幸せになるという決意だけだ。

「…そうか」

「はい」

睦実と幸せを作り出していけるのは、自分が見込んだ男では、なかったか。
明仁は怒りと絶望と悲しみとを織り交ぜた感情を表に出さないようにし、精一杯、睦実に微笑んでみせた。

ドラリンが不機嫌なのは、招待状を受け取った『睦実の一番』が、なんのアクションも起こさなかったから。正直、明仁も『彼』に対しては腸が煮えくり返っている。
睦実が、誰のために人生を変える決心をしたのか。『彼』は、全く分かっていない。

しかし、明仁は気を取り直し、どこか寂し気ではあったが心からの祝福の笑みを睦実に向けた。

「…幸せになると、誓ってくれるか?」

「…はい。必ず、幸せになります」

明仁の願いに、睦実は満面の笑みと、誓いの言葉を返す。

「ではお二人とも、礼拝堂へどうぞ」

付き人の内の一人の女性が、控室に入り、そう促した。
明仁は睦実に腕を差し出す。睦実は明仁の腕に自らの手を絡め、二人は無言で礼拝堂に向かった。

    ****************

バージンロードの先、礼拝堂の入り口のドアが開けられ、お決まりの曲が礼拝堂に鳴り響く。
雅哉は一人、花嫁が現れるかを心配していた。
礼拝堂には、倉石庵他、睦実の友人は一人も来ていない。確か睦実は友人五人ほどに、招待状を出していたはず。自分には友人と呼べる人が一人もいないので、少しだけ羨ましかったから覚えているのだが。

その友人が全員、欠席。「なにかある」と、雅哉は直感的に、そう思った。

もし、倉石庵が睦実を拐いに来たら? そうでなくても、もし睦実が結婚を怖いと思い、挙式を拒否してしまっていたら?

雅哉の不安は尽きないのだ。

一方、礼拝堂の外では。

「睦実…?」

ドアが開いたのに、睦実の足は動かなかった。ヴェールのせいで表情はハッキリとは見えないが、今にも泣き出しそうな顔をしている、と明仁は察する。
マリッジブルーだろうか。いや、やはり今まで男だったので、改めて、男と結婚することが怖くなったのかも知れない。

「睦実…。大丈夫か?」

心配そうに自分の顔を覗きこむ明仁に、睦実は「なんでもない」と笑おうとした。
なのに。
笑顔が作れない。心の何処かが軋んで、悲鳴をあげているような気がした。

やはり自分が、一生をともに過ごすことを、側にいることを望むのは──。

そこまで考えた睦実の脳内に、上官の言葉が蘇る。
『庵は女になった自分に嫌悪感を持っている』、ということ。
それを思い出し、自分の選択は間違っていない、と、睦実は自分を勇気づける。そして明仁の目を真っ直ぐに見据え、「行きましょう」と笑顔で告げた。

 

    

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