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「よっ、ほっ、そりゃ!」

北西の方角を逃走する花嫁の誘拐犯は、ビルとビルの間を軽々と跳躍している。追跡者たちが自分を見失わないように、しかし決して捕まらないくらいの速さで、だ。

「お、自慢のAI部隊の到着だね?」

ヘリのプロペラ音が次第に近付いてくる。睦実の作った人工頭脳を搭載したヘリコプターは、肉眼で確認できるくらい近付いていた。

「じゃ、そろそろ降りますか〜」

右近は楽しそうに言うなり、ビルの屋上から飛び降りる。SPは、500mほど離れた地点にいた。追跡のヘリは、ビル群の屋上を旋回している。

「見失うなよぉ?」

右近は車道を走る車から車へと跳び移った。誘拐犯を追うSPたちは驚愕し、足を止める。

「な、なんて無茶なことを…!」

「花嫁共々、死ぬ気か?!」

彼らは犯人の大胆な動きに完全に翻弄されていた。

「ちょっとゴメンなのさー」

固唾を飲んで犯人の異様な逃走の仕方を見守るSPたちの間をすり抜け、ホンゲダバー1、異常事態に強い清一が追跡隊の先頭に追い付く。
彼は、人ならざる動きで逃亡する花嫁泥棒を一目見るなり、叫んだ。

「すごいさ! スパ○ダーマンがいるさー!!」

その雄叫びに追跡隊のSPだけでなく、誘拐犯さえもコケた。

「っと…危ねぇ!!」

右近は、予想だにしなかった清一の反応にバランスを崩し、車道の中央分離帯に降りる。もう一度、車伝いに逃走しようと思ったのが、いつの間にか道路は封鎖されていたらしい。
一般車両は姿を消していて、前後方からは自衛隊の戦車とトラックが迫っていた。上空にはヘリコプターが六台。
ドラリンのことだから、恐らく戦車とトラックとヘリコプターは無人であろう。その輸送車両の前方には、自分を囲むようにしてSPたちが居る。
今、この状況で逃げ続けることは、難しいように思える。
が、右近は、こういう危機的状況に慣れていた。それに、幸か不幸か、手加減するのが難しく、一番に殺してしまいそうな明仁や清一が、見当たらない。
右近が安堵したと同時に、空から降ってきた鋼鉄製のワイヤーで編まれた捕獲網が右近の動きを封じた。が、彼は、それをものともせずに鋭く研がれたままの右手の爪で、まるで紙で編まれた紐を斬るかのように切断し、自由の身になる。

「明仁兄ちゃんも清一兄ちゃんも居ない…。ラッキー☆」

覆面の下で呟くなり右近は、一番人数の少ないSPの層へと突っ込んでいった。

    ****************

「…どうやら、囮作戦は成功したようですね」

式場のシステムにハッキングしブレーカーを意図的に落としたのは連賀だった。
礼拝堂が暗闇に包まれた時。睦実はハンカチで口を押さえられヴェールだけを外されて、礼拝堂の誓約署名をする台の所に押し込められていたのだ。
庵が花嫁を隠している隙に、ヴェールをマネキンに着けてステンドグラスを割る逃走犯役は、右近が請け負ってくれた。
庵は式場から、誰も居なくなったのを確認してから睦実を解放する。

「…庵は」

うつ向きながら呟いた睦実の声を聞き取るために、庵は顔を近付けた。

「そんなにオレの幸せを邪魔したいんですか?!」

そんな庵に、睦実は勢いよく顔を上げ、怒鳴りつける。

「む、つみ…」

「なんなんですか?! 四ヶ月近く音信不通で、いきなり現れたと思ったら人が幸せになる邪魔に来て? オレを嫌悪しているからって、あんまりです!!」

まくし立てる睦実の瞳には、今まで向けられたことのなかった類の感情が宿っている。

「『嫌悪』、って…」

「女性、苦手なんですよね? だから、女になったオレを嫌いになったんですよね?!」

刺々しい睦実の言葉は、ひどく痛々しかった。まるで、その言の葉の棘で自らをも、傷付けているかのような。自責もしているかのような響きも持っている。

「嫌いになんか、ならない…」

「嘘だ! 庵は嘘ばっかりだ…嘘ばかり吐く…! 庵なんか、嫌い……大ッ嫌いだ!!」

一気に吐き出した言葉には、睦実の怒りも悲しみも憎しみも、そして隠しきれない愛しさもあった。

「睦実…」

「嫌い…嫌い…嫌いだ…庵なんか…」

うつ向き、うわ言のように繰り返す睦実の下の床には、数滴の雫が散る。
ワックスのかけられた鏡のような木目に落ちた温かな雨。それは割れたステンドグラスから洩れる陽の光を反射し、虹色に輝いた。
無限の色に、庵は背を押され。少しずつ、自分の心の内を明かす。

「睦実…私は、怖かったんです」

言葉を区切り、深呼吸をして庵は続けた。

「あなたの側に、いても。私には、あなたを幸せにできない…と、思いました。私は、自信が、なくて」

苦しそうに絞り出す庵の言葉には、一欠片の嘘もない。

「私は…人の愛情とか感情とかが、怖くて。恐怖から逃げるために、人から、いつも遠ざかって。…でも」

睦実の肩に手を置いた庵は息継ぎをし、続けた。

「あなたに、出会えて。私は、変われた。変われる…、変わろうと、思えた、んです」

睦実は涙を拭うこともせずに、庵を見上げた。濡れた瞳は、庵を映して揺れている。

「けれど、私は…その気持ちを、いつしか忘れていました。あなたが側にいるのが、当然になっていたから、かも知れない。けれど、今。かけがえのない友達のおかげで、その気持ちを、やっと思い出すことができました」

庵は睦実の頬を両手で包み込んだ。

「睦実、もう一度私にチャンスを、ください」

庵の言葉が、彼の瞳の中にある愛情が睦実の心の隙間を埋めていく。睦実は今まで庵への様々なプラスの想いを、隠し押し込めていた。
けれど今、その封印は、解かれようとしている。
が。
封印が解ける寸前に、待ったがかけられた。

「駄目だ」

 

    

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