待ったをかけたのは、一人結婚式場に残った明仁だった。

「明仁さん!」

「名取さん…」

睦実は驚きとともに。庵は気まずさと恐れを持ち、その男の名を呼ぶ。

「倉石、君は…睦実を傷付け、泣かせた。それも、一度や二度じゃない」

明仁の指摘に、庵は眉を歪めて、唇を噛んだ。
彼の言っていることは、正しい。自分が何度も睦実を悲しませ、傷付け、涙を流させたことは明白な事実なのだ。

「これから先、君はきっと睦実を泣かせ悲しませる。だから、駄目だ。チャンスなど、もう、ない」

「これからは、絶対に悲しませません!」

「なら何故、招待状を受け取ってから、なんの動きも見せなかった?! 俺も清一も大治郎も……光も、そして司令官も、お前を待っていたんだ!!」

激昂した明仁は一気に庵に詰め寄った。そして左腕で庵の胸ぐらを掴み、睦実から離す。

「こんな、ベタドラマみたいなことしやがって…お前がしたことは、柳崎だけじゃない、睦実の面子も潰したんだ! 自分がしたことの重大さを…思い知れ!!」

言うなり明仁は右拳を庵の左頬に叩き込んだ。

「どうして、招待状が届いてすぐに来なかった! 睦実だって、心の奥底では、お前をずっと待っていた!」

明仁は、殴り飛ばした庵の胸ぐらを再び掴み、問う。
口の中が鉄臭い、と庵はぼんやりと思った。庵の口内は、明仁の拳の勢いと自らの歯によって、傷付いたらしい。明仁の一撃は、そのまま彼の想いのように、ひどく重たいものだった。

「けじめを、つけて、きました」

庵は、絞り出すように答える。明仁は、そんな彼の声を聞き逃すまいと耳を傾ける一方で、睦実の様子を全身で伺っていた。

「マスコミに追われるのが嫌なら、モデルを辞めればいいと、考えて。辞表を出しました。新聞社や雑誌社、関係者全員に頭を下げて…慰謝料の示談も終えて。身辺を整理してから、迎えに来たかった。それと」

庵が泣きそうなくらいに顔を歪めたのを見て、明仁は腕の力が強すぎたろうか、と一瞬案じる。しかし自分が手加減していることを自覚していたので、すぐに、庵の表情の理由に思い当たった。
彼はきっと、涙を堪えている。
明仁は、そう確信した。その証拠に庵の目は揺れ、紡がれる声も震えている。

「睦実が幸せそうだったら…邪魔をしては、いけないと思っていたんです。ドラリンさんや柳崎さんと出かけ、式の準備をする睦実は笑顔で、楽しそうで、幸せそうだったから、ずっと迷ってた…っ」

明仁の瞳の中にある怒りの感情が、一層強くなった。彼は怒りのままに、再度庵の頬に鉄拳を喰らわせる。

「睦実が、楽しそうで幸せそうだった、だと? そんなの…皆に心配かけないように、自分を納得させるために無理をしてたに決まっているだろう!!」

床に倒れ込んだ庵に、純白の衣装を着た睦実が駆け寄った。

「庵、大丈夫ですか?! …明仁さん…もう、やめてください!」

頬を濡らして懇願する睦実を制し、庵は明仁の前に立つ。

「いいんです、睦実…。私は、殴られても仕方ないことをした。だから…いいんです」

庵の言葉に明仁は笑い、言い捨てた。

「分かってるじゃないか…なら、何度殴られようが文句はないな?」

明仁の一言に庵は堅く目を閉じる。
睦実は制止の言葉を叫ぼうとした、その時。明仁の拳が、庵に届く寸前で、止まった。
そして明仁は破顔し、その握られた拳で庵の額を軽く小突く。

「…あ、きひとさん…?」

睦実も庵も呆然とし、笑う明仁の顔をじっと見つめた。

「始めの一撃は、睦実の心の痛み。二度目のは、司令と俺たちの怒り。最後の一撃は…二人の幸運を祈りつつも惜しい、という親心、だ」

そこまで言い終わると明仁は顔から笑みを消し、真顔に戻る。そして庵の名を、怒鳴るように呼ぶ。

「倉石 庵!!」

「はっ、はい!!」

「睦実を不幸にしたら、地獄の果てまでだろうが追い掛けて、ギッタギタに叩きのめすからな!!」

「はい、もちろんです」

本音で恐ろしいことを言った明仁に庵はおののきながらも、強い語調で返事をした。明仁の一言は、即ち自分を認めてくれたということに他ならないから。

「睦実」

「は…、はい」

今度は明仁は、庵の背後にいる睦実に声をかける。

「いつでも、俺たちはお前の味方だ。なにかあったら、いつでも言いに来なさい」

まるで親のような台詞が嬉しくて可笑しくて、睦実は涙を流しながら微笑み、頷いた。

「追っ手は、北西の方角に集中している。つまり」

「真逆には、遮る者は誰もいない?」

「そうだ」

庵が続けた言葉を、明仁は肯定する。

「…ほとぼりが冷めるまで、くれぐれも俺たちや柳崎さんの前に姿を現すなよ。それと睦実、銭別だ」

式場から出ようと背を向けた二人に明仁は声をかけ、睦実に紙袋を投げ渡す。それには、男物のシャツとグレーのパンツ、ベージュの薄手の上着が入っていた。
中身を確認した庵と睦実は振り返り、明仁に一礼するなり踵を返して、駆ける。『二人の幸せな未来』に向かって──。

「…そこにいるんだろ? 司令官」

明仁は二人を見送り、暫くしてから一人、呟く。と、壁紙が剥がれ…否、壁と同じ模様の布を手にしたドラリンが現れた。

「さすがは明仁…よくぞ隠れ身の術を見破ったな」

あっけらかんと笑うドラリンは、どこかぎこちない。

「テンパって囮作戦に引っ掛かるフリ、見事だったぜ」

「なんのことだか分からんなぁ」

「もしやと思って清一に後を追い掛けさせたら『司令官を見失った』と来たもんだ」

容赦ない部下の言葉に、ドラリンは苦笑した。

「相変わらず優秀だな」

「俺たちも戻って来たんだぜ、司令官。光が、司令の様子が普段と違う、って言うからさ」

ドラリンの褒め言葉に続けたのは大治郎だった。傍らには光もいる。彼らも、自分の態度の不自然さに気付き、引き返してきていたのか。

「私も…まだまだだな」

そう溢したドラリンは、どこか嬉しそうだった。それだけ部下は、自分を見てくれている、ということだから。

「さて、柳崎に土下座しに行くか〜…って、ヒギャー!!」

入り口の先、玄関ホールに目を向けた途端、叫んだドラリン。部下四人は上官の視線の先を見遣り、絶句する。
花婿と恋敵と花嫁が鉢合わせた光景が、そこにはあった。

 

    

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