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「倉石庵…やはり、この茶番の黒幕は、お前だったのか」
柳崎は、憎悪と怒りを込めた言葉を吐く。
「睦実を傷付け、泣かせたくせに…性懲りもなく、よく顔を出せたもんだな。それに、なんだ? 他人の人生を滅茶苦茶にする気か? お前は」
いつもの丁寧口調は消え、怒気を孕んだ声で凄んだ柳崎は、庵を睨みつけた。
「お前に、そんな権利があるのか? 私の人生と睦実の人生を狂わせる権利が!!」
柳崎の声が、ホール中に響く。他の式の招待客や撮影のために外に出てきた花嫁と花婿等が、三人に注目する。
「睦実」
柳崎は一転して優しく、花嫁の名を呼ぶ。睦実は肩をビクリと震わせた。
夫となるはずであった人の素顔を垣間見た睦実は、今更ながらに彼が恐ろしくなった。
『悪魔』──。
そうだ。彼は、人の吐く虚構を見抜き、それを利用して一代で財を成した、『悪魔』なのだ。
「睦実、おいで」
「雅哉さん…。オレ、オレは…」
睦実の言葉を遮るように庵は、彼女と雅哉の間に立ち塞がる。
「睦実は、渡しません」
「なに寝言を言っている? キミは、夫婦になろうとする二人を邪魔して…いや、その前に。キミは、誘拐犯だ。人の妻を拐おうとした、凶悪犯なんだ」
雅哉の言うことはもっともだ。だが、庵には彼の言葉など、恐るるに足らない。
自分が、この世で最も恐れるのは。
睦実を失うこと。睦実が不幸になること。そして、睦実と離れ離れになること、だ。
「本人の意思が伴わなければ、確かに私は誘拐犯になりますね。ですが、睦実は私とともにいることを望んだんです。誘拐では、ないです」
「睦実がキミと居ることを望んだ? そんな馬鹿な。大方キミが、彼女をそそのかしたんだろう? ねぇ? 睦実」
雅哉は笑い、睦実に呼び掛けた。
「睦実、冷静になって考えるんだ。倉石さんはキミに、なにをした? 突き放し、無視し、嫌悪を露にしたろう?」
睦実の心の暗闇が、再び顔を覗かせる。一度裏切られた相手には、自然と猜疑心が強くなってしまう。庵に対する不信感が、睦実に蘇り始めた。
「私は、キミを裏切らない。なぜならキミを裏切ることは、即ち『死』だからだ」
睦実は雅哉の断定に、目を見開く。
そうだ、彼は。自分と同じ人間。『真実を見抜く力を持つ者』なのだ。
だから彼は、自分に嘘を吐かない。裏切らない。嘘を吐かれた時、裏切られた時の、身を切られるかのような苦しみや悲しみを、彼は身をもって知っているから。
「睦実」
雅哉が呼ぶ。
「睦実…」
庵は、引き止める。
二人の間で揺れる睦実を、誰が責められよう。睦実は、どうしたらいいのか分からず、頭を抱えて床に蹲りそうになった、その時。
「睦実!!」
睦実を呼ぶ人の声が、新たに加わる。
「し、れいかん…?」
睦実は平静さを取り戻し、上官が居るであろう礼拝堂を振り返った。
「睦実、考えるな!」
「考、えるな…?」
上官の不可解な言葉に睦実は一瞬混乱するが、次いで告げられた一言に、目から鱗が落ちたかのような心境になる。
「頭で考えるな、心で感じろ! お前が側にいたいと、愛しいと感じるのは誰だ?!」
――側にいたい? …愛しい? そう、感じるのは誰に対して、か…?――
「…庵の、そばに、いたい」
その答えは小さかったが、庵も、そして雅哉の耳にも、しかと届いた。
庵は素早く睦実を抱き上げて、柳崎が立ちはだかる玄関へ全速力で駆ける。
「止まれ倉石ッ!!」
「誰が止まるかアァァ!!」
怒鳴る雅哉、怒鳴り返す庵。二人が衝突する寸前、外から飛んできた清一が雅哉を突き飛ばし…いや、吹っ飛ばした。
「ッ!!」
柳崎は体が宙に浮いた感覚の後、床が前面に迫っていることに恐怖を感じる。雅哉は咄嗟に地面に手をつき、なんとか顔面殴打だけは免れた。
「睦実?!」
雅哉は安堵するとともに今の自分が置かれた状況を思い起こし、顔を上げ360度見回す。恋敵と未来の花嫁は、どこにも見当たらなかった。
「…倉石ィ…ッ!」
柳崎は怒りと悔しさと憎しみに充ち満ちた表情で憎きライバルの名を絞り出す。
「ごごごごめんなさいなのさ柳崎さん、怪我はないかい?! そうだ司令官、大変さ! 花嫁泥棒が柳崎さんのSP全滅させて逃走しちゃったさ! アツシ君が追ってるけど、捕獲網が役に立たないからどうしようもないさ!」
清一の報告に、ドラリンは呑気に答える。
「あー、あっちは囮だったみたいだから警戒体制解くわ。ホントの花嫁泥棒ドコ行ったのかな〜、アツシ君たち撤退させて後で対処方法を練ろうか」
ドラリンの言い様に、柳崎は怒りの矛先を向けた。
「ヒルダさん、仕組みましたね…?!」
「なんのことだ? 私には、人の心の中身は動かせんよ?」
ドラリンの言葉に、柳崎は気付く。
自分が睦実の心を完全に捕えられなかったことに。倉石庵に負けたのだ、ということに。
「睦実…」
雅哉はうなだれ、愛する人の名を、涙とともに溢した。
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「あんれぇ? ヘリが市ケ谷方向に帰ってく…。庵、うまく逃げたんかな? 始めの打ち合わせどおり、俺の実家に向かってんならいいんだけど…」
追っ手の引き付け役を担っていた右近は一人ごちて動きを止めるなり、抱えている人形を降ろし、頭を掻く。
「ま、いーや。実家行こ」
言うなり彼は、ヴェールを被せたマネキンの上に覆面を放り、小さなビルの屋上にそれらを放置したまま実家へと向かった。