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庭先からの楽しげなざわめきを聞きながら、睦実は千鶴にお色直しをしてもらっていた。

「さー、次はこの晴れ着よ! 紅地に白牡丹でちょっと派手だけど、睦実ちゃん若いから着こなせると思うの」

「千鶴さん」

着る本人よりもワクワクして振袖を衣紋掛けから下ろす千鶴に睦実は控えめに声をかけた。

「なぁに?」

「……あの、なにからなにまで、ありがとうございます」

言って頭を下げた襦袢姿の睦実に千鶴は歩み寄り、その肩に振袖を優しくかける。

「あらあら、おしろいが流れちゃうわよ? ……礼なんていいのよ。」

「でもっ……皆さんに祝福していただけて、こんなに嬉しくて暖かい結婚式が出来るなんて思ってなくて、全部、千鶴さん達のおかげで……っ」

睦実の嬉し涙は止まらない。

「睦実ちゃん……」

彼女をなだめようとした千鶴に他方からも声がかけられた。

「私からも礼を言いたい。」

襖の向こうから聞こえてきたその声はドラリンのもの。

「入っても良いですか?」

「ええ、どうぞ」

庭からは見えない位置の襖を開けて、千鶴はドラリンを招きいれた。
ドラリンは入室するなり千鶴の前に膝をつく。

「睦実に素晴らしい結婚式をさせてくださって、どうもありがとうございます」

頭を下げる彼女に、千鶴は困ったように笑った。

「式が『素晴らしく』なったのは、あなた達のおかげ。人前式って怖いのよ?その場で結婚妨害しようと思えばできるし、何が起こっても目に見えない神様の責任には出来ないんだから」

だから良い式になったのは睦実ちゃんの人望とお客様の人格のおかげなの、と、こともなげに言う千鶴の目には強い光が宿り。その瞳が、彼女もまた壮絶な困難を乗り越え愛する者と夫婦になったことを物語っている。

「あ… あと、宴の席まで用意していただいて、ありがとうございます。あれだけの人数分の料理を用意するだけでも骨が折れたでしょうに」

「あのご馳走はウチの右近と明美くんがほとんど作ってくれたのよ〜。私はお料理が得意じゃなくて。昔っから右近が作ってくれてて、それが高じてあの子料理人になったけど。……さ、できた」

千鶴は金糸の小花模様の飾り帯を結び終え、白無垢姿から一転、鮮やかな晴れ着を纏った睦実を満足げに見渡した。そしていいことを思いついたとばかりに目をドラリンへ転ずる。

「ね、あなた未婚でしょう? 振袖着てみない?? その金の髪に似合いそうな群青桔梗柄の着物があるのよ! 帯は黒地に銀の流水紋ね!」

ドラリンに迫る彼女の目はキラキラ輝いている。
その姿にドラリンは既視感をおぼえた。そうだ。この目は明美くんや睦実に自分のお洋服コレクションを着せるときの自分の目に似ているのだ。

「いえ、あの、私は結構です……」

遠慮しつつ。
ドラリンは自分の趣味が周囲になかなか理解されない理由の切れ端を見た気がしていた。

「あらそう?残念だわ〜。 じゃ、私もご馳走食べに行くからお二人は水入らずで積もるお話をしてちょうだいね」

そして千鶴は、自分は着替えず黒の留袖姿のまま部屋から出ていった。

程なくして睦実は閉じられた襖から自分の上司、そして母のように慕っている女性に目を転じた。

「司令官…… 来てくだすって、ありがとうございます」

ドラリンは睦実の傍に寄り、その黒髪を優しく撫でる。

「私こそ、嬉しいよ。幸せになるんだぞ、睦実」

その言葉が最後の引き金だった。
睦実は優美さを保ってきた顔をくしゃりとくずし、泣きじゃくる。

「し…っ… しれいかっ……」

ドラリンは何も言わずに、子供のように泣く睦実を優しく抱きしめた。

「オレっ… しあわせ、ですっ…」

嗚咽に上下する肩を優しく叩く。そのぬくもりが嬉しくて、睦実はドラリンにしがみついた。
月明かりの差し込む室内に、睦実の泣声だけが静かに響く。

「母は…… 来ませんでした」

少しづつ涙が治まってきた睦実は、ドラリンの胸の中でポツリとこぼした。

「式場から逃げる時、明美さんが逃走用の車を用意して外で待っていてくださって……母も明美さんに保護されて、車に乗っていました。でも」

睦実は小さく鼻をすする。
ドラリンは何も言わず彼女の背中をさすっていた。

「庵とオレを見るなり『あなたの好きにしなさい』と、それだけ言って、車を降りました。それきり一度も振り返らずに、……母は去りました」

ドラリンの服の端を握る睦実の手に、ぎゅう、と力がこもる。
彼女の体のこわばりが少しでもほぐれるように、ドラリンは睦実の背をさすり続ける。

「……庵は、何て言ってた?」

「少し、時間を置いて、落ち着いたらご両親に挨拶に行きましょう、と。 親子の縁が切れるなんてあって良い筈が無いから、って……」

「うん」

「庵、自分のことは棚に上げて……」

右近の実家に辿り着いてから、庵は睦実に自分のコンプレックスを全て打ち明けてくれた。
彼が両親の愛情とは無縁のまま育ち、今も事実上絶縁状態であることも。
そして絶縁状態であるのに、いつ、向こうの都合だけで縁談を押し付けられ結婚させられるかわからない、ということも。

「だから、庵のご両親にも、挨拶に行こうと、思うんです。」

いつか。近い未来に。

それはとても怖いことだった。
でも、
皆が自分達を祝福してくれたから。
きっと、大丈夫だ、と。

幸せになれる、なってみせる、と。

勇気が、湧いたのだ。

「睦実」

ドラリンはそっと睦実から体を離し、彼女に改めて向き合い、常に着用しているサングラスを外した。
深い海の色の瞳が真剣な眼差しで睦実を捉える。

「私は、お前を誇りに思う」

そして彼女は穏やかに微笑んだ。
睦実も、泣いた後の濡れた頬で不器用に笑む。

と、そこへ、襖を軽く叩く音が聞こえ、次いで向こう側から右近の声がやってきた。

「おじょーさまがた、お取り込み中すみませんが、これから我らが御空加々見流が誇る演武がはじまりますよ〜 ドラリンさん、俺らの手合わせ風景見たい言ってたっしょ?」

「うおお、マジで?! 見る見る!!」

彼の言葉を聴いた途端、ドラリンはサングラスをかけなおして立ち上がり、勢いよく襖を開けて庭へ駆け出していった。
その後姿に睦実は目を細める。

「ありがとう、司令官……」

その言葉は、眼差しは、嫁いでゆく花嫁が母親へ送る、言い尽くせないほどの感謝と尊敬の念をこめたそれと同じ、いやそれ以上の強く暖かな想いに満ちていた。

 

    

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