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―――なんで。

―――なんで、なの?

 

翌日。
いつもの仕事場のいつもの自分のデスクの前で、睦実は考えていた。
ドラリンの家に泊まり、そのまま出勤したので、今日の睦実はドラリンコーディネイトによりアイスグレーのワンピースを着せられている。
だが、着慣れない衣装に違和感を感じる余裕などないほどに、睦実は考えている。考え込んでいるのだ、昨夜からずっと、同じ事を。

「ホワイト?」

突然コードネームで呼ばれた彼女が振り向いた先には、心配そうな明仁の顔。

「昨日のこと……まだ、辛い、よな?」

思慮深く心優しい彼は、睦実が朝からずっと悶々としているのは昨日老獪達から受けたセクハラのせいだと思っている。

「いえ、大丈夫ですよ。」

その気遣いが嬉しくて、睦実は口元の筋肉をようやく緩め、昨夜からずっと表情を強張らせていたことに気付いた。

「そうか……ならいいが、辛いことがあったら遠慮せずに言うんだぞ?」

明仁はまるで兄……いや父親のように睦実を大切にしてくれる。
昨夜のこと、いや、結婚してからずっと抱えてきた悩みを彼に打ち明けたらどうなるだろうか? と睦実はふと思い、

「ええ、ありがとうございます」

明仁に八つ裂きにされる庵の最期がやすやすと想像できてしまい、さすがにそこまでするのは忍びない、と思いなおし吐き出したいものを飲み込んだ。

違うのだ。

庵をひどい目にあわせたいわけではない。

そんなにカンタンに済むものではないのだ。

その報告書、手伝いましょうか?と睦実が問い、
いや、睦実のほうが仕事を抱えているだろう、と明仁が返した、その時だった。

「ホワイト、お客さんだよ〜ん」

いつの間にか司令室からいなくなっていたドラリンが明るい声で睦実を呼び。
睦実も、明仁も、清一も大治郎も光も彼女の声に振り向いた。

そこにいたのは、

「倉石っ…?」

庵だった。

『花嫁の父』として、嫁婿とはあまり顔を合わせたくないので、明仁がまず苦々しい声をあげ。

「なっ……司令官、なんで連れてくるんですか?!」

一歩遅れて呼ばれた張本人の睦実が抗議めいた声を上げた。

「庵も、なんで、朝早くから…、ここ、に…」

いかに深く激しく怒っていようと、その怒りの相手が突然現れたとなっては混乱して発言が支離滅裂になっても仕方がない。

「…それに変装もしないで」

庵は突然活動を辞めた元カリスマモデルで。
マスコミは雲隠れした彼の行方を今でもしつこく追っていて。
だから庵は在宅で株の売買をしたりして収入を得て極力外出を避け、外へ出るときは必ず変装をしているのに。
何を考えているのかその端正な素顔を晒したままで防衛省ビル内にあるこの部屋まで来てしまっただなんて、気でもふれたとしか思えない。

でもそんなんじゃない。もっと別なことで怒っている、のに。

「誰かに正体ばれたらどうするんですか? まだ、ほとぼりが冷めていないのに……っ」

心とは裏腹に。言葉は上滑りしてゆく。

「睦実に、会いたくて」

投げかけられた攻撃的な言葉にびくともせずに、庵は大股で睦実に歩み寄った。
彼の表情は真剣……というよりは鬼気迫るものを感じ、睦実は反射的に後ずさってしまった。
その腕を庵が掴む。

「ごめんなさい、睦実」

―――なんで。

庵は泣き出しそうな顔をしていた。
周囲には他人がいるのに。人に泣き顔なんて見せたくない、と言ってたくせに。

―――なんで。

今の庵はひどく不恰好だ。いつも綺麗に自分を装っていたくせに。

―――なんで。

「なんで、土下座はできるくせに、キスひとつできないんですか……っ」

昨夜からずっと、悩んでいたことを。
睦実は庵から目を逸らしたまま吐き棄てるように言った。

もうこれ以上、プライドをかなぐり捨てた彼を見ていたくはなかった。
そこまで尊厳を棄てられるのに、なぜ、彼は自分に触れないのだろう?

わからなかった。
理解できなかった。

ただ、寂しかった。

庵の瞳は僅かの間揺らぎ、そして睦実の苦しそうに歪んだ顔に定まった時、燃え盛る炎のような光がそこに閃いた。
ひたり、と彼女の頬に手をやり自分の方に向かせ、

庵はその唇に己の唇を強く押し付けた。

「?! んん……っ」

突然の庵の行動に睦実は仰天した。呻きが鼻からもれる。

痛い。

庵はその柔らかな唇の下で歯を食いしばっているのだろう。
接触された点から睦実が感じたのは口と口を合わせたとは思えない硬い感触。
そして庵の腕が睦実の背に回される。その手もまた、がたがたと震えている。

―――ちがう

体に寄せられた彼の胸を必死で押し返し、

―――ちがう!!

睦実は抱きしめてくる庵の体を無理矢理引き剥がした。

「こっ…、こんなこと、してほしかったんじゃない!!」

息も絶え絶えに言い放ち、そして一呼吸置いて睦実の目からは大量の涙が溢れ。
知らず知らずのうちに彼女は部屋を飛び出していた。

 

    

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