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「司令官、ちょっといいですか? 相談したいことがあって…」
パタパタと歩み寄る睦実の頭を軽く撫でてからドラリンは、頷く。
「誰に聞かれるか分からんから、ウチの部の司令室に行こうか」
その提案に反対する必要もないので睦実は首を縦に振った。二人は、全員が帰宅して誰もいなくなった特務部の仕事部屋を突っ切って司令室に足を踏み入れた。
「…で、相談、とはなんだい?」
優しく問うドラリンに、睦実は躊躇することなく、ここ最近の自分に起こる現象のことを話した。性転換をする際、なにか分からないことや不安があったら、どんな小さなことでも相談しに来なさい、と言われていたからだ。
「…ということがあって。これって、なんなんでしょう?」
睦実の話を聞いていたドラリンは、腕を組んで酷く重い唸り声を出す。
「う゛〜ん…」
「…司令官?」
「イヤハヤ、おめでとう、と言うべきか…なんと言うべきか」
「…?」
「睦実、安心するといい。それは、病気じゃない」
自分の回答を聞き安堵の表情を浮かべる睦実を見て、ドラリンは胸を痛めた。
これから自分が告げる事実は、睦実の苦悩となろう。いや、睦実だけではない。庵にとっても、混乱の元になるだろう。
だが、言わねば。でなくば、二人は前に進めない。未来に、行くことができなくなるのだから。
「睦実」
「…はい」
改めて名を呼ばれ、睦実は姿勢を正した。ドラリンがこれから告げることは、真面目な話であることが彼女の雰囲気で察知できたから。
「お前は、完全な女になりつつあるのだ」
今の自分の性別が『女』であるので睦実は、なにを今更、と笑い飛ばそうとした。が、ドラリンの真剣な瞳が、それを許してくれない。
「今までのお前は、庵と、その…性交渉をしたいとか、思ったことはなかったろう?」
「そ、そりゃ…だって、庵は男だし、オレも…」
「今は、女、だろう」
睦実はドラリンの言わんとすることに気付き、目を見開く。その鳶色の瞳に在るのは、恐怖のみ。
「睦実、受け止めなきゃダメだ。お前は、完全な女になろうとしているんだ。…だから、庵に触れれば本能が働き、受け入れる準備をし始めるのだろう。己の意思とは…関係なく」
「受け入れる、準備…?」
繰り返した睦実に、ドラリンはしばし逡巡し、ポツリと告げた。
「…体の、ある部分が…潤わないか? 庵に暫く密着したり、キスしたりすると」
「あ、ある部分って、ど、どこ…?」
『潤う』場所に覚えがあるものの、やはりきちんと聞かねばならないと思った睦実は訊く。
「……陰部」
端的な答えを耳にし、睦実は意識が遠のきドラリンの声が小さくなっていくのを、まるで他人事のように感じていたのだった。
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「お疲れ様、睦実」
ラボに戻ると、庵が笑顔で迎えてくれた。彼は、この事を知ったら、なんと言うだろう。
睦実は、思考が次第に暗い方向へと落ちていってしまうことに気付きながらも、それを浮上させることができないでいた。
「睦実? また奴らに嫌がらせを受けたんですか?!」
夫を心配させてはならないと思い、睦実は顔に笑いを乗せようとした。だが、顔の筋肉が思ったように動かない。
とりあえず、ただいまを言い、追求を仕事の話だから、ともとれるような言い方をして、その場を取り繕った。
庵は何を思ったのか、過去を回想している睦実に大股で歩み寄り、彼女を抱き締めた。
「ッ!!」
と。睦実は、咄嗟に庵の胸を押し返して彼と距離を取る。
「む、つみ…?」
庵は呆然と、睦実の顔を見た。傷ついた瞳を向けられて、睦実は、自分の行動を弁解する。
「あ、あの、ちょっと体の調子が良くなくて…。あまり、近付かない方が良いと思って…」
睦実は、嘘を吐くことができない。嘘を吐けたとしても、胸が引き裂かれるように痛くなってしまうので、すぐにバレてしまう。
だから、嘘にならない範囲で、どうとでも取れる意味の言葉を並べた。
「…分かりました」
庵は寂しそうではあったが、同時に微笑みを乗せて、睦実から離れる。
「ごめんなさい…庵」
「いえ、そういう時もありますよ。行きましょう、ドラリンさんが待っています」
謝罪する睦実に庵は、穏やかに微笑んで、家に帰ろう、と促した。そんな庵に睦実は、心の中で何度も謝罪しながら頷く。
二人は、なんとなく気まずくてエレベーターの中でも無言であった。
──このぎこちなさも、すぐに元どおりになりますよね? 睦実──
庵は、こっそりと呟きながら、小さく溜め息を吐いた。
だが、そんな彼の予想に反して睦実の態度は日に日によそよそしくなるばかり。その内、抱き締めることはおろか手を繋ぐことさえ、できなくなるのであった。