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「それにしても…母さんが善太さんから手紙を受け取った時…来なかったのには、なにか理由があったの?」

母は、見たところ自分と庵の結婚を反対しているわけではなさそうだ。それなのに、どうして五ヶ月前のあの日、母は来てくれなかったのだろうか?
睦実に問われ、秋菜は悲しそうな微笑みを我が子に向ける。

「私が行ったら…枷に、なると思って」

「『枷』…?」

「あなたの幸せを願う反面、結婚式を台無しにされた柳崎さんに申し訳ないと思う気持ちもあって。どうしても、あなたたちに会う決心がつかなかったの」

睦実は母の苦悩に今さらながらに気付き、そして庵と自分の招待に応じなかった母を、心の何処かで責めていた自分自身を恥じた。

「母さん…ごめん、なさい…」

睦実の頬を温かな雫が伝う。

「オレ、来てくれなかった、母さんを…恨んで、た…ッ」

しゃくり上げながら言葉を紡ぐ睦実を、秋菜は抱き締める。

「謝らなければならないのは私の方。幸弥(ユキヤ)を、あなたの父さんを説得しきれなかったこと…あなたたちと一緒に行く勇気が持てなかったこと…全て」

泣き叫ぶ親子に、睦実の父も庵も困り果てて、ただ見守ることしかできなかった。暫く号泣していた二人の嗚咽は次第に小さくなり、互いに顔を見合わせて笑う。

「ひどい顔…」

「母さんだって、そうだよ」

「あら、私はあなたのお父さんを泣き顔でオトしたのよ?」

「庵だって、オレの泣き顔を可愛いって言うもん」

言い合いを始めた女性二人によって居堪まれなくなった男性陣は、それぞれの妻をなだめて黙ってもらったのだった。

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「ええと、それでですね…今日こちらに伺ったのは、私たちの結婚を認めて頂きたかったからです」

庵は姿勢を正し、本題を切り出した。
やっとのことで本来の目的を話すことができ、庵は内心緊張しつつも安堵していた。
今日はケジメを付けるために、此処に来たのだ。なあなあにしてしまっては、男が廃る。

「秋菜さん、幸弥さん。睦実さんとの結婚を許してください。必ず、二人で幸せになります!」

庵の真剣な目が秋菜を、そして幸弥を見つめる。
その目には、誤魔化しも見栄も、嘘の欠片もない。
ただ、愛する人との婚姻を許して欲しい。もし許されなくても、許されるまで来続ける。引き離されることになったら、拐ってでも一緒になる。
そんな想いが詰まった瞳に射抜かれて、秋菜と幸弥は一瞬たじろいだ。が、すぐに申し出をしてきた青年に答えるべく、問う。

「許さない、と言ったら…どうするつもりなんだ?」

「許して頂けるまで、通い続けます」

「睦実をキミから引き離したら?」

「取り戻します。どんな手を使ってでも」

「誹謗中傷や悪意から、守ってやれるか?」

「守ります。持ちうる全ての力をもって!」

男同士の問答を、秋菜と睦実は無言で聞いていた。睦実は恥ずかしさのあまりに赤面していたが、二人から目を逸らすことはしない。

「…キミの名は、なんと言ったかな」

「倉石 庵です」

名を聞くなり幸弥は表情を緩め、庵に頭を下げた。

「倉石 庵くん…睦実を、何卒よろしくお願いします」

妻の父親の行為に庵は数秒の間、呆ける。が、すぐに自分も頭を下げ、感謝の気持ちを言葉にした。

「許してくださってありがとうございます、幸弥さん。必ず…必ず、幸せになりますから!」

幸弥は頷き、目頭をこすって笑いかける。我が子が、人生のパートナーとして選んだ男に。

「あの、秋菜さんは…私たちのことを、認めてくださいますか?」

庵が再び姿勢を正して問うと、秋菜は満面の笑みで頷いた。

「…ありがとうございます…!」

「父さん、母さん…。あ、りがとう…」

庵も睦実も喜びに、静かに涙を流す。

「ただ、皐と悠宇は、まだ…心の整理ができてないわ」

皐(サツキ)は睦実の四つ離れた弟、悠宇(ユウ)は皐の三つ下で、睦実とは七歳離れている妹だ。
元々弟妹とは、あまり仲が良くない。
常人離れした頭脳を持つ自分と比べられることはもとより、昔、両親が離婚の一歩手前まで行ったイザコザの原因が、自分だったから。
だから、弟も妹も、自分のことを快くは思っていないだろう。16歳と13歳では、まだ割り切ることができないのは当然かも知れない。

いつだったか、庵に自らの過去の出来事を語ったことがあった。

自分は周りの人間よりもIQが、ずば抜けて高かった。そして、自分は両親のどちらにも似ていない。
そのことが発端となり、父と母が、常に言い争いをしている時期があった。小学校の知能テストの結果を密かに聞いた両親は、喜びと同時に不安を募らせた。

【この子は、本当に自分の子なのだろうか?】

と。

母親は、自分の腹を痛めて産んだ子だから、疑う余地はなかった。けれども、あまりにも頭脳レベルが高すぎる、と恐ろしくなったらしい。
父親は、自分が産んだわけではないから、我が子と自分が似ている部分を見付けるなどして、信じるしかない。
幸弥は、信じることができなかった。妻のことを。

幸弥は、睦実が恐ろしかったのだ。
我が子が自分に、似ていない。頭の出来も、性格も顔立ちも、なにもかも。
だからこそ、幸弥は疑ってしまった。我が子と妻を信じることができなかった。DNA検査の結果が出ても、どうしても認めることができずにいた。
毎日のように繰り返される喧嘩に、睦実は心を痛めていて。だから、睦実は教授に留学を勧められた時、二つ返事で了承したのだ。

けれど、その確執は完全に融解しつつある。
皮肉にも初めの切っ掛けは、睦実が巻き込まれたアメリカでの監禁事件。そして、今回の騒動。
二つの出来事によって、幸弥と睦実の間に初めて親子の絆が生まれた。

そして、その日。
睦実と庵、そして秋菜と幸弥は、今までの時間を取り戻すかのように、沢山のことを語り合ったのだった。

 

    

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