【バースディ・プレゼント】
「そっかぁ、ご両親と和解できたんだ。良かったね、むっちゃん」
「ええ、本当に……嬉しかった」
暖房の効いたあたたかなダイニングで。
幸せを噛み締めるような満面の笑みを浮かべる睦実に、右近も酢飯を握りつつ顔をほころばせた。
「あとは庵の両親か〜 どすんの? 逃げちゃダメよ?」
右近に問われるも、庵はムッツリと黙ったまま、不機嫌そうに酢飯を丸めている。
「あー、そんなにぎゅって握っちゃダメだってばー でさ、いっそのこと既成事実つくっちゃった方がいんでない? それから挨拶しに行けばさすがに反対されないっしょ」
「既成事実?」
庵よりも先に睦実が問い、
「こども、のコト」
右近のアッサリとした返答に若い夫婦は揃って手の中の酢飯と煮揚げをテーブルの上にボタリと落としてしまった。
「……右近」
ようやく口を開いた庵の声は、震えていた。明らかに、怒り、によってだ。
「今日は何月何日ですか?」
「2月の10日」
庵の怒りなどとうに慣れっこの右近は物怖じすることなく質問に答える。
「そうです。睦実の誕生日は明日ですよね? あ、し、た、この家でバースディパーティーが行われるはずですよね? なのに朝早くから突然我が家に押しかけてくるなり『ハッピーバースディ!』と玄関先でクラッカー鳴らすわ、台所を勝手に占拠して料理を始めるわ、私達にもいなり寿司を作るのを手伝わせるわ、一体、な、ん、な、ん、で、す、か?」
ねちっこく、それでいて直球な説教。
ダイニングテーブルの上には酢飯の入ったボウルと美味しそうな色に煮込まれた油揚げの入った鍋と、大皿に山と積まれた出来立てのいなり寿司。
右近はへこたれる様子もなく、飄々と酢飯を煮揚げの中に入れている。
「明日から『仕事』入っちゃったんだわ。だから1日フライングでお祝いして、ついでに明日のパーティーのご馳走作っていこーと思ってさ。おいなりさん美味しーから手伝って作り方覚えなよ?」
ね? と罪のない笑顔をニコッと向けられ、まず先に睦実が情にほだされる。
「右近くん、何から何までありがとうございますっ…… それで、あの、『仕事』って……」
また、命の危機に晒されるような内容なのか、と睦実の真剣な目は訴えかけている。
右近はその視線を真正面から受け止めるが笑顔は崩さない。
「今回はね、監視兼護衛かな。ドンパチやんないと思うから安心して☆」
彼の言葉に嘘はないことが睦実にはわかる。彼女はほっと安堵の息をつき、『頑張ってくださいね』と微笑んだ。
二人の間に暖かな繋がりがあるように見え、庵はいっそう不機嫌になる。
右近が『仕事』や『仕事の内容』を隠さずに話してくれるようになったのは何時からだったろうか、と庵は考える。
嘘を感知すると命が減るという睦実の病を、右近は知らない。だが彼は自分の嘘により睦実が摩り減ってゆくのを察しており、極力真実を打ち明けるようにしているようだ。
自分達には何年間も正体を隠し通してきたくせに、この変わりようはなんなんだ、と元同僚としては思わずにはいられなかった。
それは単なる嫉妬なのだ、と庵は自覚している。
婚礼のあったあの夏の夜に彼が言った『庵が睦実を不幸にするようなら、俺はいつでも睦実をさらいに行く』という言葉。
それは右近の本心に違いない。
今のところは自分達を(というよりは睦実を)親身になって案じてくれているので心配はないが、だからといって安心はしていられない。
いつ、睦実をさらわれるか。それは、己が睦実を悲しませないこと、にかかっているから。
庵は気を引き締めようとするあまりに手に力が入りすぎ、酢飯を手の中で握りつぶしてしまった。
「あ、そーだ、むっちゃん、圧力鍋ってある? あったら悪いけど出してくんないかな? 肉好き連中のために豚の角煮も作っときたくて」
「わぁ、いいですねぇ」
「いっしょに煮卵と味染み大根もつくるからさっ 一晩寝かせるとスッゲ美味しいよ〜」
楽しみですねぇ、と嬉しそうに言いつつ、睦実はキッチンに入り床下収納をごそごそやり始めた。
その隙を突くように右近は庵に顔を近づけてきて、庵は僅かに戸惑い後ずさってしまった。
「ぎゅって握っちゃダメだってば」
その見透かすような言い方に庵は苛つきを覚え、手元の作業に集中したまま黙り込む。
「庵さぁ」
先よりも少しボリュームを落とした声。
庵はあえての無反応。
「もぉむっちゃんとえっちした?」
囁くようなトーンの質問はあまりにもさらっとしていて、何を言ったのか一瞬わからなかったけれども。
意味がわかった途端、再び、庵の手から作りかけのいなり寿司が落下する。
庵は驚き顔を上げた。その視界にまず入ったのは、右近のイタズラっぽい笑顔。
―――安心は、していられない
自分に強く言い聞かせ、庵はキ、と視線を右近に合わせた。
「まだですけど、そうですね……折を見て」
そして余裕たっぷりに微笑んでみせる。
「ふーん」
庵のその落ち着いた態度に、右近は内心驚いていた。
以前ならば猥談のワの字が出ただけでも動揺して拒否反応を起こしていた庵が。成長したなぁ……としみじみとしてしまう。
もう二人の行く先を心配しなくても大丈夫なのかもしれない。そう安堵した右近の心にいくばくかの寂しさがよぎり、俺は花嫁の父かよ、とこっそり苦笑した。
そして、最後にもう一度だけせっつくか、と用意したあるモノに意識を移す。
「これ、庵にプレゼント」
右近がパーカーの中からごそごそと取り出し庵の手に押し付けたのは、一本のDVD。そのパッケージにはあられもないポーズのナース服の女優と、その上に踊る『天使の白衣を脱がさないで』というタイトル文字。まごうことなき、成人向けDVDだ。
「こ、これっ、……右近!!」
先までの余裕の態度はどこへやら、あたふたと動揺する庵に、右近は意地悪く笑む。
「学習用教材としてお使いくださいv いちお、ノーマルなの選んだから。ナースモノだけど@$##とかないし……」
そこまで言ったところで、右近は真っ赤になった庵にDVDのパーッケージで頭を思い切りひっぱたかれた。
ばしん、と予想以上の大きな音に、二人に背を向けシンクで圧力鍋を洗っていた睦実が異変に気付いてダイニングテーブルの二人に駆け寄ってくる。
右近はあわててDVDを取り上げると、庵のニットセーターをめくり、腰とベルトの隙間にパッケージを滑り込ませセーターを元に戻して何事もなかったかのように庵からはなれた。
「どうしたんですか?!」
睦実が二人の下に辿り着いたときには、新妻にはけして見せられないソレは庵のセーターの下に見事に隠しおおせたので、危機レベルはさほど高いものではなくなっていた。
「いえ、ちょっとカッとなって……」
「俺がちょっとシモネタ言っただけで怒って叩くんだよ〜? 庵ってマジ心狭いよねっ」
二人とも、いちおう嘘はついていない。ので、睦実もこれ以上悟ることはなく呆れたような溜息をついた。
「も〜… 調理中はケンカ禁止って、前に約束したのに〜」
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
しおらしく頭を垂れる二人に、睦実は「わかればよろしい」とばかりに笑みを向ける。
その笑顔があまりにも可愛らしくて、庵の胸は高鳴ってしまった。
一方、妻に見惚れ再び顔を紅潮させる庵を横目で見た右近は「こりゃ尻にひかれるの決定だな……」と心の中だけで呟いた。