!〈CAUTION〉!

このテキスト作品には、
グロテスク表現が含まれます。
















魔物【まもの】
神の創造物ではない生命体。我々のこと。
大多数が人間や天使と同等の知能を持つ。
非常に多様な種族がおり、その中でも破壊衝動の強いものを「悪魔」と呼ぶ。


悪魔【あくま】
我々魔物の一種とされているが、その関連性は薄く、突然変異種と考えられている。
破壊衝動が強く、必要以上の殺生を好む。
両性具有であることが知られているが、深くは謎のままである。


天使【てんし】
神の創造物の一種であり、従僕。
天の宮でその一生のほとんどを過ごす。
神の代行として、「裁き」を行なう権限を持つ。
金色の髪と純白の翼をもつ。衣服を着ず、食事を摂らない。
生殖能力は無く、その出生方法はいまだ謎。
我々の天敵。


人狼【じんろう】
魔物の一種。
本来の姿は2足歩行の狼だが、首に拘束具を装着することにより人間に近い姿と理性を保っている。
拘束具をつけた状態でも尻尾と耳は抑えられないらしい。
鋭い嗅覚・聴覚を持ち、俊足としても知られる。
本来は肉食だが、社会に適用し、雑食となってきている。


〈月黄泉堂世界百科事典第6版より〉









『Two Half moon』






町の北のあの丘には 行っちゃあいけないよ。
あそこには、

悪魔が棲んでいるからね―――…






¢




「流、学校に行くかい?」

問いかけに、子供は頭を振った。黒い、肩につかないくらいの直毛が揺れる。
深い青の瞳は、膝の上の本の文字を追ったまま。

問いかけた実の親は、諦めたような笑みを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。

魔物の住むこの街には学校があり、6歳になると子供たちは皆学校へ通った。
しかし、この子供―名前を流という―は10歳になるが学校に入学していない。

流が学校で習う程度の知識を3歳の時点で習得していたこと

親のケガレが流の意思を尊重していること

街に流が学校へ行くことを望む者はいないこと

がその理由だった。



流は毎日、丘の上の自宅から街の図書館まで通い、本を読み漁る。

本の種類は選ばなかった。

強くなれるのなら、何でも。

流は、魔物としてはひどく弱い存在だった。

流の黒い髪は父親に、青い瞳と透けるような白い肌は母親によく似ていた(父親曰く)が、 流はどの種の魔物とも異なっていた。

切り裂く爪も、噛み付く牙も、魅了する瞳も、流は持っていなかった。

ただ、翼だけは持っていたが、それは肉も皮も羽も付いていない、骨のみでできた、飛べもしない翼だった。

骨格のみの翼を持つ魔物など、流以外には存在せず、
街の魔物たちは流を異質な者として見た。



「向こうへ行け、『ボニー・ウィング』!!」


ボニーウィング――「骨の翼」。街の者たちが使う流の呼び名だった。
そこには蔑みと排斥の意しかない。

図書館へ向かう道をふさがれそう言われた流は、無表情のまま迂回する道へ進路を変え、その場を去った。

「何だあいつ」

「顔色一つ変えねえ」

拒絶の言葉を流に浴びせた子供たちは、苦々しい顔でその異様な翼の生えた後姿を見送った。

「気味悪い」



実際のところ流にとっては、街の者に翼のことで疎まれることなどどうでもよい事だった。 それよりも流が

・食物を口にしなくても生きられること

・両性具有であること

は絶対に知られてはいけない、とケガレは何度も流に言い聞かせた。

それは、一般的に悪魔の持つ性質として知られていたからだった。




¢¢




流は日がな一日本を読んですごした。

図書館にとどまると疎まれるので、抱えきれる限りの本を借り、丘の上の自宅の近くに一本だけ生えている木の下で読む。

そこが、流の定位置だった。



ある日のこと。

いつものように木の下で本を読んでいた流のすぐ近くを、歳若い猫が通りかかった。

流は字面から顔を上げ、猫を見ると、おもむろに読みかけの分厚い本で猫の頭を殴りつけた。

カラー図版の多い天文学の本は猫の頭蓋を一撃で割り砕き、その生物だったモノの内容物が飛び散った。

流は生命が消えてゆく様子を何の感情も含まない目で見下ろしていた。

この幼い子供にとって、今の行為は、木の葉っぱをむしるのと同じくらいに意味もない行動だった。

そして再び腰を下ろすと読書を再開した。



食事を終え、帰宅したケガレは驚いた。

流の傍らの猫の死骸と、血液やら脳髄やらが付着した本を平然と読む我が子に。

「何が…あったんだい?」

彼の問いに、流は首をかしげた。

「この猫を、食べようと?もしくは、この猫が襲い掛かってきた?」

ケガレは優しく問いかけた。
そうであって欲しいという願いを込めて。

流は全くの無表情で首を振った。

「流――――」

ケガレは、流の両肩に手を置き、この幼い我が子を見据えた。

「それならば、この猫を殺してはいけなかったんだよ。楽しみで、命を奪ってはいけない。」

流は親の顔を不思議そうに見、そしてようやく口を開いた。

「楽しくはなかった。これを動かなくしても、別に何も、変わらなかった。」

ケガレは眩暈を感じ、流の体をすがるように抱きしめた。



――前々から、虫を殺す姿はよく見ていたが――――



流は、彼の腕の中で少し苦しそうに声を出した。

「借りた本が汚れてしまった。きれいにする方法を教えてほしい。」



――ああ。



意識が昏くなってゆくのを感じつつ、ケガレは声を絞り出した。

「流、これだけは覚えておくれ。殺した命がひとつ、増えると、殺される可能性も一つ、増えるんだよ。」

流はわかったのかわからなかったのか、とにかく素直に頷いた。

ケガレは傍らの、大きく美しい木の梢を仰いだ。



それから、二人は猫の死体を葬り、本に付いた血やら何やらをきれいに落とした。




¢¢¢




流はその後もしばしば、生きるものの命を何とはなしに奪った。

その日、流は野鳥の首を片手で掴み、絞め殺した。

抗いが消え、そのつぶらな眼球が白く濁ると、流はようやく手の力を緩めた。

やはり、何も感じないまま。



その時だった。

「あ――――――!」

突然の声に顔を上げると、そこには自分と同じ年頃の少年が立っていた。

ゆるいウェーブのかかった腰のあたりまで伸ばし放題の薄茶の髪、
長い鋼の鎖の付いた皮の首輪以外には何もつけていない剥き出しの裸体。

その子どもは、流の目から見てもひどく変わったいでたちをしていた。

その、身体を恥ずかしげもなく晒す姿は一瞬天使を彷彿とさせたが、その柔らかそうな体毛に覆われた耳と尻尾から、人狼であるとすぐに分かった。

「おいしそぉ」

人狼の子供は、流の殺した山鳥にその黒い大きな目を釘付けにしたまま、よだれを少したらした。

「喰いたければ、喰え」

無造作に、彼の前に屍骸を突き出す、と、彼はパァ、と表情を明るくし、
「いいの?」と聞くと同時にそれを受け取るやいなやかぶりついた。

その、美味しそうに食べる様子を、流はしげしげと見守った。

流は食物を摂らないので、食事の光景を見たのはこれが初めてだった。
(ケガレは流に自分が食事をしている姿を絶対に見せないようにしていた。 彼の主食は人間の子どもだったからだ。)

彼の歯はとても丈夫なようで、足の骨まで残さず食べつくすと、満足そうに息をつき、
そして流に向き直って

「ありがとお。ごちそうさま。」

と、頭を下げた。

「いや……美味かったか」

「うん、すごぅく!」

その顔は、とても幸せそうで、生きる者のあるべき姿に思えた。
と同時に、
流は自分がひどく不自然な存在に思え、珍しく口もとが歪んだ。

「ねー、」

人狼の子どもは、いつの間にやら流の隣にちょこん、と座っていた。

「名前、なんてゆーの?」

その、舌足らずの問いかけに、流は驚いた。

「お前…俺を知らないのか?」

この、異様な翼を見ても。

「?うん。」

当然のように答えるこの子供の目は、非常に澄んでいた。

流は少し迷ってから、

「流、だ。」

ケガレ以外には呼ばれたことの無かった名を、初めて、人に名乗った。

妙に、顔が熱かった。

「僕はね、ケン! 賢い、て書くんだって。よろしくね、リュウちゃん!」

そして見せた賢の目いっぱいの笑顔に、流は味わったことのない浮遊感を感じた。



初めて見た、他人の笑った顔。
それは、流の心に温かく染み渡った。



「賢?あぁ、あの子か。」

帰宅したケガレに、今日のことを告げた。
いつに無く楽しそうに喋る流の様子を、ケガレは喜ばしく思った。

「あの子も、君と同じ年頃だったね。学校には、行っていないらしい」

「なぜだ?」

流の問いに、ケガレは少し悲しげな表情を見せた。

「あの子は、親に好かれていないから」




¢¢¢¢




それから、賢は毎日、丘の上の木の下の流の元へやってきた。

その度に読書は中断されたが、特に嫌な気持ちにはならなかった。

賢は、丘の向こうの森や、町の中などへ流を連れまわした。


彼は素敵な場所をたくさん知っていた。

白い花が一面に咲く野原、美味しい果実がたわわになる木。

魚や亀の棲む澄んだ池では服の裾をまくり、水遊びをした。

街の、排水溝の下は便利な近道となる下水道が広がっている。

猫がなぜかいつもたくさん集まる路地裏もあった。

そして、賢は最も好きな場所へ案内してくれた。
上半分が壊れてなくなった旧時計台の、瓦礫に埋もれ知る人のない梯子をのぼった先の動力室。

今は停止し歯車やボルトが散乱する、壁の一部が崩れたこの部屋が、この街で一番高いところで、自分の居場所だと、賢は教えてくれた。

崩れた壁から、赤い光が差し込んだ。
二人は、夕日に染まる町並みを見下ろした。

血液とはまったく違うようで、しかしどことなく似ているこの空の色を、流は深く心に焼き付けた。


二人は、毎日共に遊んだ。


素敵な場所を教えてもらった礼に、流は賢に文字を教えた。

賢は決して飲み込みも物覚えも良くなかったが、それでも自分の名をようやく書けるようになったときは、二人で手を取り合って喜んだ。



その日も、賢は流の元へやってきた。

いつものように、二人は遊びに出かける。今日は、街へ。

「今日は、どこへ?」

流の手を引きながら、賢は嬉しそうに応える。

「むかで道の、ながながビルの裏に住んでる犬が赤ちゃんを産んだんだ。見にいこう!」

『むかで道』も『ながながビル』も賢が勝手につけた地名だった。

彼のしゃべり方や思考には独特なものがあったが、流はすぐにそれに馴染んだ。
むしろ、彼の純粋さから成るそれを、流は好いていた。

『きのこ角』を曲がり、『むかで道』に入ったその時、

「馬鹿犬!」

突然の罵声と共に、石が飛んできた。

石は賢のこめかみにあたり、赤い血が一筋、日に良く焼けた肌の上を流れた。

賢は、悲鳴を上げることもなく、呆然としていた。

石を投げたのは彼らだろう。数人の、流たちと同じ年頃の子供たちが二人を取り囲んだ。

「駄犬、お前最近妙に楽しそうじゃん?」

『駄犬』というのが、どうやら賢の蔑称のようで、流はそれを聞いた途端になぜか胸がむかむかした。

「こいつとつるんでたのか?」

『こいつ』とは、流を指す言葉だった。

「知ってるか?こいつは悪魔なんだ。お前なんざ頭から食い殺されちまうぜ!」

「知るわけないさ。駄犬は馬鹿だからな!ボニー・ウィングの翼のうまそうな匂いに惹かれてんだろ?犬にとっちゃ、骨はご馳走だもんなぁ!!」

子供たちは、いっせいに笑い出した。

その、脳にひどく響く声を振り払うように、流は怒鳴った。

「五月蝿い!!」

流自身も驚いた初めての大声に、子供たちは笑うのをやめ、一斉に流を睨みつけた。

「何だよボニー・ウィング」

「文句あんのか」

流は問いかけには応えなかった。
応えることさえ腹立たしかった。

憎悪に満ちた視線を、同種のもので返す。

「何とか言えよ!」

静寂を破るかのような背後からの一撃に、流はバランスを崩した。
追い討ちをかけるかのように足を引っ掛けられ、地面に転倒する。

「…ハハッ!」

かすれた笑いがひとつ起こり、そして広まる。

子供たちは笑いながら、流を足蹴にした。

「調子に乗ってんじゃねーよ!」

「気味悪いんだよ!」

「俺らがお前を恐れてるとでも思ってんのか?!」

「お前なんかぜんぜん怖くねぇんだよ!」

幾本もの足に蹴られる中、視界の端に羽交い絞めにされている賢が映った。

「やめて!」と何度も叫び、もがいていた。
その姿に、蹴られる痛みよりもはるかに鋭い痛みが胸を刺した。

「やめろ」と言いたかったが声が出ない

「何だよその目。言いたいことがあるなら言えよ。お前、悪魔なんだろ?俺らを殺してみろよ!」

頭の中が一瞬、真っ赤に灼けた。

その時、


「お前たち、何をやっているんだ!!」


大人の怒鳴り声が響いた。

子供たちはぴたりと暴行を止め、一斉に逃げていった。

「…ったく…君たち、大丈夫かね?」

二人を助けたのは、額に一本角を持っている中年の男だった。
彼はへたり込んだ賢を立たせてやり、

「君も、大丈夫かい?」

言って、流に手を差し伸べようとして、固まった。

流の背の、骨の翼を見たからだ。

彼は流が身を起こす前に立ち上がり、

「大変だ。血が出ているじゃないか」
と、そらぞらしく、賢の額の手当てを始めた。

流は一人で、何も言わず立ち上がり、その場を去った。

丘の上の、木の下へ。




¢¢¢¢¢




翌日、流の元へやってきた賢は、一瞬誰だかわからなかった。

伸ばし放題だった髪はきれいに短く切りそろえられ、大人ものらしいブカブカの白いシャツに、布靴と、きちんと服を着ていた。

「びっくりした?」

無言の流を、驚いていると解釈し、賢は嬉しそうだった。

「昨日助けてくれたおじさんが、髪の毛切ってくれて、服と靴くれたんだ。ちょっと、動きにくいけど。」

「…そうか。よかったな」
「うん!」

顔が凍りついた様に固まって、うまく笑えた気がしなかった。

「それでさ、今日は…」

「二度とここへは来るな」

流の言葉に、賢の表情が固まった。笑顔のままで。

「…え?」

賢の黒く丸い瞳が不安から動揺へと色を変えてゆく。

流は彼に背を向け、自宅へと歩き始めた。
「もう会わないと言っている」

賢が後をついて来るのがわかった。
「なんで?どーして??」

「お前と馴れ合うのに飽きた」

賢の顔を見ないまま。流は感情を殺した声で答えた。

「流ちゃん…」

「俺は悪魔だ!人狼ごときが俺とナカヨクできるとでも思ったか?!」

自宅の玄関を開け、中へ入ると賢の鼻先で思いっきり力を込めて戸を閉めた。
バン!という音が頭にひどく響いた。

しばらくの間、鍵のかけられた戸のノブが回り、ノックと自分を呼ぶ声が止まなかった。
流は部屋の奥にうずくまり、耳を塞いだ。

――――帰れ!帰れったら!!


やがて音が消えた。

恐る恐るドアを開けるとそこに賢の姿は無く、閑散とした丘の上を風だけが吹き抜けていた。

「ううっ……」

あばら骨に囲まれた身体の最奥から刺すような痛みが広がり、流は胸を押さえてその場に膝をついた。



これで良かったんだ。


賢には家族がいなくて

賢の体にはよく見ると傷跡がたくさんあって

俺と一緒にいると賢まで皆に嫌われてしまう


だから

これで良かったんだ!


なのに

どうしてこんなに痛いんだろう――――?




¢¢¢¢¢¢




それからも、賢は毎日丘の上の流の家へやってきたが、流は返事もしなかった。

家にこもってひたすら本を読む生活が続いた。

本の内容はまったく頭にはいってこなかったが、他にすることも無かったし、賢と一緒にいるときには忘れていた、強くなりたいという飢えた感情が再び流の心の中心を占めるようになっていた。



街には行きたくなかったが、本の貸し出し期限が切れるのはどうにもならない。
流は大量の本を両腕に抱えて丘を下りた。

賢に遭わぬよう祈りつつ、彼のいそうな裏路地を避け、表通りを行く。

人通りの多い中を、冷ややかな視線を浴びながら歩く。
賢と二人で街で遊んでいたときには忘れていた痛みが蘇る。

一人で歩くことは、こんなにも心細いものだったのか?

先の角を曲がると図書館が見える。

流は歩調を上げた。

その時、麻痺した耳に声が飛び込んできた。

「おい、ケンカだとよ。」
「また。ガキどもか?」
「ああ。また、駄犬を、な。」

『駄犬』という通り名が聞こえ、流の胸は高鳴った。

「しょーがねぇな。ガキは自分より下の奴には容赦がねぇからな」
「痴子に生まれた駄犬も運がねぇんだよ。親にも捨てられちまうしよ」

道端のゴミ箱に腰掛けた、会話の主の青年二人に、流は走り寄っていた。

「どこだ?!」
「なっ…?」

流は二人に掴みかかる勢いで訊いた。

「賢はどこにいる?!!」

場所を聞くと、流は両手一杯の本をその場に置き、走り出した。

その後ろ姿を二人の若者は、そして周囲の魔物たちも、呆然と見送っていた。
誰もが皆、『ボニー・ウィング』の声を初めて聞いたのだ。

「俺らも…行くか?」

珍しいものが見られるかもしれない。

多くの魔物が、流の後を追った。




¢¢¢¢¢¢¢




訊き出したその場所には、人だかりが出来ていた。

時にはあおり、時にはなじる野次馬たちをかき分けると、賢の薄茶の柔らかな髪が紅いもので汚れているのが見えた。

賢は服を引き裂かれ、鉄柵に針金で両腕を括り付けられて動きを封じられていた。
その彼に対して、あのときの子供たちが石を投げつけている。

握りこぶし程もある石が賢の体に当たるたびに、歓声と悲鳴が上がった。

見ている大人たちの中には、かわいそうに、と顔を覆う者もいたが、彼らが賢を助ける気配は無かった。



体内の血液が一気に湧き立つ感覚を覚えた。

体は熱いのに、頭の中は不思議と冷めていた。
周囲はうるさい筈なのに、何の音も聞こえない。

飛びかかるように輪の中に飛び込むと、そのまま子供たちの一人に体当たりを食らわせた。

彼らは振り返り、何事かを自分に言ったようだが、全く聞こえない。

――――二足歩行生物の急所。

「音」は、脳の中に響いていた。

先に転ばせた子供の持っていた鉄のパイプ管を拾い、近くにいた子供の頭部をよこざまに殴りつけた。

――――『こめかみ』

殴られた子供は首をおかしな方向に回し、倒れた。
他の子供が、血相を変え、流とのそれと似たようなものを持ち、こちらへ駆けてきた。

――――秒速推定2メートル。加速プラス0.2メートル。運動は直線。

わずかの動きで鉄パイプを避け、

――――『膝』

左足を普段とは逆の方向に曲げ、子供は大地にぶつかった。
残る子供たちは一斉に流に向かってきた。

――――『顎』

――――推定エネルギー14キログラム。横の力を加えプラス5キログラム。誤差60度。

――――『鎖骨』

コロス。

――――『骨盤』

シネ。

――――

シネ。

――――



シンデシマエ。



「もうやめて!!」

賢のありったけの声に、流は我に帰った。

足元には血まみれの子供たち。立っている者はいなかった。

「あ……」

何かを言おうとしたが、言葉が見つからなかった。



「やりすぎだ」

周囲の人ごみから声が上がる。

「限度を知らないのか」

「大人しくしてると思っていたが、やはりこいつは悪魔なんだ。」

「あの目を見たか?恐ろしく冷たい――――」

ざわめきは増幅し、恐れと憎しみの視線が流に降り注ぐ。
流はたじろいだ。

「俺は…」

「皆落ち着け」

消えそうな流の声の変わりに、聞き覚えのある声が響いた。

人垣が割れ、ケガレがこちらにやってきた。
流の頭をなで、そして賢の戒めを解いてやる。
賢はそのまま意識を失い、ケガレの腕の中に納まった。

「庇う気か?」

ケガレにも、責める声が飛ぶ。
彼は町の人々を顧みた。
「この子のやったことは認める。しかしそれは賢を助けるためだ。」

「だが」

「むしろ俺は問う。賢が受けた虐待をお前たちはただ傍観していた。その責は?」

魔物たちは、一瞬静かになった。が、

「たかが子供のケンカじゃないか」

ケガレはその言葉に薄く笑い、
「『たかが子供のケンカ』ならば、お前たちが流を責める必要も無いだろう?」

「しかしこいつは!」

「『こいつは』…なんだ?」

ケガレの笑みは、すでに消えていた。

「俺の子どもが、なんだというんだ?」

その瞳は刃のように冷たく鋭く。彼らは口をつぐんだ。

ケガレは賢を背負うと流を抱き寄せ、そして二人を連れてその場を立ち去った。

丘の上の、大きな木の傍らの自宅へ。




¢¢¢¢¢¢¢¢




「なぜ何も言わない?」



自宅に戻り、ソファに座らされ、流はようやく声を出すことができた。

「何をだい?」
ケガレは賢をベッドに寝かせると、薬箱をキャビネットから引っ張り出した。

「俺は…本当にあいつらを…殺そうと……した」

今になって自分のやってしまったことに恐ろしさを覚えた。

「それが?」

ぬるま湯で賢の体の汚れを拭き取りながら、ケガレは言葉を促す。

「それは…いけないこと……。命を奪っては…いけない…から…」

うつむく流は正面にケガレの気配を感じ、身を硬くし目を閉じた。



体に、暖かな感触。

流は目を開けた。
ケガレは、流を抱きしめていた。

「その言葉が聴けたから」

きつくきつく抱きしめられたが、息苦しさは感じない。
むしろ…嬉しかった。

「もう何も言うことはないよ。」

流から体を離し、ケガレは極上の笑みを浮かべた。
そしてわが子の頭をクシャクシャとなでると、ベッドサイドに戻り、再び賢の手当てを始めた。

頭が、ぼうっとしていた。

体にはまだ、ケガレからもらった暖かさが残っている。
ベッドの上で、賢が包帯で白くなってゆく。

流はたまらず立ち上がり、家の外へ出た。





木の下にこうして座るのも久しぶりだった。

風に枝が揺れ、サワサワワと心地よい音色が生まれた。
木の幹にもたれ耳を幹にぴったりとつけると、さらさらと水の流れる音がした。

この木も、生きている。

流は目を閉じ、木の鼓動を聞き続けた。




¢¢¢¢¢¢¢¢¢




気づくと、すでに日が暮れていた。

赤色も褪せた薄闇の中で目をこすった。
少し、眠っていたのかもしれない。

「流ちゃん」

自分を呼ぶ声。

大好きな声に顔を上げると、賢が立っていた。
月光のせいか顔は青白く、体じゅうにに巻かれた包帯が痛々しい。

今すぐにでも駆け寄って、その体を支えたい衝動に駆られたが、あの日の決意を思い出し、体をようやく押しとどめた。

「助けてくれて、ありがとぉ」

賢がいつもと変わらぬ愛らしい笑顔でこちらへ歩み寄るのを、鋭い声を出して止めた。

「来るな!」

賢は素直に立ち止まり、困ったような顔をした。

「恐ろしかったと正直に言え」

「そんな…」

「俺はあいつらを本気で殺そうと思っていた!」

流の剣幕に、賢はびくりとした。
流は乗り出していた半身を再び木の幹に預け、賢から目をそらす。



「あのね…」

賢はたどたどしく言葉を探した。

「こわくなかった はウソ。
でも…流ちゃんが助けに来てくれて、僕…嬉しかったぁ……」

ほやぁ、と笑った賢に、流はどうしたらいいのかわからなくなった。
できることなら、今すぐ抱きしめたい。

けど…
けど……!



流はボタンが引きちぎれるほど乱暴に、自分の服を脱いだ。


あまりにも突然のことに、賢は声も出せなかった。

ボトムも下着も脱ぎ捨て、流の全身が月光に照らされ夕闇に白く浮かび上がる。

「見ろ」

晒すことを禁じられていた裸体。
賢は言葉に素直に従い、その身体を眺めた。

胸はわずかなふくらみを帯び、下半身には雌雄両性の外陰器。

賢にも、その身体はあってはならないものだと本能的にわかったらしい。
彼は表情を凍りつかせていた。


「俺は両性具有。…本当に、悪魔なんだ!」


流の声が、丘中に響き渡った。

残響のなか、二人は無言だった。
互いの顔を見つめあいながら。





「だからなんなの?」

しばらくして、賢がポツリとつぶやいた。

「流ちゃんが悪魔だと、何で一緒にいちゃいけないの?」

「それはっ…」

「僕は流ちゃんが悪魔でもいい!流ちゃんと一緒にいたいんだっ!!」


頭の中が、真っ白になった。

賢が、抱きついてきた。

流はその、薬品のにおいのする体を、優しく抱き返していた。





「街の者に嫌われるぞ」

「いいもん」

たった数センチしか離れていない、まっすぐな黒い瞳。

「俺はお前を殺すかもしれない」

賢は首をフルフルと振る。
柔らかな髪が頬を掠めくすぐったい。

「流ちゃんは絶対殺さない。」

絆創膏だらけの賢の手が、流の頬に触れた。
ジュウ、と何かの焼けるにおいがした。

「!?」

「ナミダ。」

賢の指をぬらした透明な液体が、彼の肌を灼いていた。
それは、流の目から溢れ出ていた。

「あ……」

滴り落ちるそれを自分の手で受ける。
流の手の上では、水は冷たいままだった。

「むかし、聞いたんだ。」

賢は少し顔をしかめて笑った。

「涙はね、キヨラカな生き物にしか出せないんだって
魔物は、涙に弱いけど、でも、」

言葉を切り、もう一度強く、賢は流に抱きついた。

「魔物も、心がきれいなら、涙を流すんだって」

「賢…」


「流ちゃん、大好き。」


涙が、止まらなかった。

涙は賢の身体に火傷をつくったが、それでも賢は流を抱きしめ、笑んでいた。

二人の頭上で、梢が嬉しげにザワワと揺れた。



そして、丘の上の家に、家族が一人、ふえた。




To be full moon...












『Birthday』←    →『Crescendo』












あとがき。


あ〜、長かったー!!

『Birthday』よりもはるかに長くない?

読んでくださった方、お疲れ様でした!

今回はいちゃらぶシーン無かった分書きやすかったけど、
虐めシーンは書いててへこみました。

「もうやめろ〜!」て。

話自体は『Birthday』の次世代の話ですな。
前回の主人公の存在感のうすさったら。

あと二つ、この系列の話を書こうと思っております。

ので、「よーし、付き合ってやるぜ!」という強者は待っていてくださいまし。

タイトル使用許可をくれた友人に感謝。

前回の小説の挿絵と漫画を描いてくれた友人に感謝。

読んでくださったすべての方々に感謝。

2004.7.18