!〈CAUTION〉!

このテキスト作品には、
グロテスク表現が含まれます。
















天使【てんし】
神の創造物の一種であり、従僕。
天の宮でその一生の殆どを過ごす。
神の代行として、「裁き」を行なう権限を持つ。
金色の髪と純白の翼をもつ。衣服を着ず、食事を摂らない。
生殖能力は無く、その出生方法はいまだ謎。
我々の天敵。


人間【にんげん】
神の創造物の一種。
高い知能を持ち、火を使うことができる。
神の支配の下、地上で農耕・飼育を行う。


魔物【まもの】
神の創造物ではない生命体。我々のこと。
大多数が人間や天使と同等の知能を持つ。
非常に多様な種族がおり、その中でも破壊衝動の強いものを「悪魔」と呼ぶ。


悪魔【あくま】
我々魔物の一種とされているが、その関連性は薄く、突然変異種と考えられている。
破壊衝動が強く、必要以上の殺生を好む。
両性具有であることが知られているが、多くは謎のままである。


〈月黄泉堂世界百科事典第7版より〉









『Crescendo』






うすい べにの いろに そまった

てんしを みたら おきのどくさま

しぬ かくごも できぬまま

くびと どうたい さようなら








C




『神』は世界の創造主。
秩序を保つ絶対の存在。

空高くに在る『天の宮』に住まう彼の手足となるべく、天使は生み出され、生きる。



天使は『生命の木』から生まれる。

木になった果実が地に落ち、割れると、中から幼い天使が産声をあげ這い出てくる。


しかし、その日は異なっていた。


枝に下がった果実が中から破られ、生まれたての天使は自ら外に出、落下した。

柔らかな下草が受け止め、幼児は無傷だったが、天の宮は騒然となった。


そのように力強く出てきた天使など、前代未聞だった。

天使たちは戦神の誕生と噂した。



生まれながらに周囲を驚かせたその天使は、その後も周囲の期待を裏切ることはなかった。

彼は戦闘能力に秀でていた。

天使は己の武器を己で創り出すことができ、その多くは真直ぐな両刃だが、彼の作り出す刃は大きな鎌の形をしていた。

その不気味な形の得物と彼の身体能力は手錬の天使をも翻弄し、
そして、
彼は神直々の命を受け、生まれてから5年という若さで処刑天使となった。






CC




日が昇り、空が蒼く輝きだすと、 天の宮の正門を抜け、数十人の処刑天使はそれぞれの仕事場へ、その雲の上の神殿から飛び立ってゆく。

その日の彼の仕事は、ある人間の国のリーダーの処罰。
罪状は家臣の妻との姦淫と殺人。

目的地まで、一直線にその翼で降下する。
行く手に雲はない。
神が処刑天使の妨げとなる雲は吹き散らしてくれているからだ、と教えられていた。

こまごまと地表に張り付くように住居が密集した人間の町の、その中心に立つ王宮の尖塔の先へ降り立つ。

町に住む人間たちが、自分の姿を認め、指をさした。
なにやら叫んでいるようだが、離れているので聞こえない。

処分するのは王一人。
探すのは面倒なので、精神を集中させ手のひらから白色の熱線を出し、隣の塔を倒壊させた。

ドォン…という派手な音に、案の定、町からも城からも人が大量に出てくる。
彼はよく響く、澄んだ声を上げた。

「この国の王を出せ」

ほどなくして、がっしりとした体格の、上等の着物を着た人間が一人、こちらに進み出、膝をついた。

「麗しき神の御使い殿。お目に掛かれて光栄で」

言い終わる前に、王の首は飛んでいた。
彼は得物の大鎌を一振りし、血のりを払う。

「お前は妻がいるにもかかわらず、家臣の妻を娶り、また家臣を殺した。」

周囲の人間どもは静まり返っていたかと思うと、一気に歓声を上げた。

「天使様!」

「よくぞ悪王を倒してくださった!」

「これで我々は自由だ!」

「ありがたき神の御使い!」

「神は見ていらっしゃったのだ!」

崇め讃える声を背に、彼は翼をはためかせ、飛び去った。
人間たちは残念そうな声を上げたが、それでも感謝の声はやまなかった。

彼にとって、人間たちの声などどうでもよかった。

それよりも、次の仕事が待っている。



太陽と雲の下を、地上を見渡しながら飛んでゆく。
飛び交う虫や鳥とぶつかり、殺してしまわないようなるべく高く。

時折、地上の生き物が自分の姿に気づき、見上げる。

彼は顔に受ける風を味わう気も眼下の景色に見とれる気もなく、ひたすら目的地を目指した。



空と地上をつなぐ梯子のように、高くそびえる建物が見え、彼は高度を落とす。
目的地だった。

任務は、この町の住人全員の処分。
罪状は、偶像崇拝と天を侵そうとする思い上がりすぎた思想。

この町の人間は天の宮に届くほどの高さの塔を造り、自分たちが神になろうとした。

彼はまず、高い壁に囲われたこの街の、東と西と北の門を熱線で破壊し塞いだ。
それから、町の住民たちが轟音に驚き住居から蟻のように出てくる中、町の北に建つ高い高い塔を南へ倒した。

人間たちは恐慌状態の中、逃げ惑った。
四方ある出口の、三箇所が塞がれているので、皆自然と南の門を目指す。

彼は南の門の上に降り立ち、人間が町から出る前に、結界を張り、門を閉ざした。
大方の人間が南門の前の広場に集まったところで、足元の鉄筋でできたこの建造物を倒した。

大量の悲鳴。

土ぼこりと叫びがおさまると、彼はようやく門の下の、瓦礫と死骸の山の上――滑らかな石畳だった地面に降りた。
残骸の中から這い出る生き残りを、一人一人仕留めていく。

足を引きずり逃げようとする青年も、

赤子を抱き、庇うようにうずくまる女も、

目を閉じ、胸の前で手を組んだ老人も、

何が起こったかわからず、呆然とする幼児も。

悲鳴と、彼を罵る声が響く。
「悪魔」
と口走る声に、彼は少しだけ首をかしげた。

自分は、天使だ。

心の中で訂正し、大鎌を一閃する。
首や、腕や胴が地面に落ちて動かなくなった。


そして

その町を静寂が包んだ。

目を閉じ、気を巡らせると、モノの形が消え、生きているものの魂だけが見えてくる。

北の塔の残骸に、隠れるようにして、ひとつだけ魂を見つけた。
彼は即座にそれを刈り、任務を、終わらせた。





CCC




「人間が時に私を崇め、時に私を罵るのはなぜでしょう」

彼は年上の処刑天使に尋ねた。
数十名存在する処刑天使の中で、この天使は彼の教育係も命じられていた。

「彼らは神の御創りになったもののなかで、最も頭の良く、気まぐれな存在だから」

「では、魔物が私たちを憎むのはなぜですか?」

「魔物は神の創造物ではないから。あれらは善い心を持ってはいない。」

「ならば」
言いかけて、彼は言葉を切った。


―――ならば魔物など根絶やしにしてしまえば良いのでは?


抱いてしまった恐ろしい考えを、彼は喉の奥にしまいこんだ。





彼はひたむきに任をこなした。

もとより、仕事を放棄する天使などいるわけが無いが、彼の仕事振りは見事なものだった。

処刑天使の使命は神に代わって秩序を乱した者に裁きを与えること。


神を敬わない人間、不義を犯した人間、神を脅かすほどの力をつけた魔物…


その日は、人間を殺しすぎた血吸い魔物の一族を根絶した。

よほどのことが無い限り、天は魔物たちに関わろうとしない。
人間たちと同じく裁いていたら、終わりの無い戦いになってしまうであろう。

それを身をもって思い知らされた彼は、いつになく疲弊していた。

天の宮に戻った彼は、庭園の噴水の縁に腰掛けた。
人気の無い常春の庭園は、穏やかな風と香りに包まれている。
安息日も無く働いていた彼の、久々の休みだった。

飛沫の立つ水面に目をやると、魔物や人間の体液を頭からかぶった自分の顔が映った。
翼も、水気を吸っていて重たい。

武器の構造上、屠る際に血を浴びてしまうのは仕方の無いことだった。
両刃の剣ならこのようなことは無いだろうに。

彼は縁を跳び越え、水をたたえた大理石の噴水の中に飛び込んだ。


頭まで潜り、水中で少し息を止めてから水面に顔を出す。

長く伸びた髪を絞ると、薄い紅色の水が滴った。
何度も流水で髪をすすいだが、赤い色は流れ出続けた。






CCCC




「私たち処刑天使の任は、神の命ずるものの中でも最も大変なものなのかもしれない」

彼の教育係の処刑天使はこう言った。

「しかし、それだからこそ私たちの為すことには意義がある。」

彼は教育係の言葉を疑ったことは無かった。
それは、天使には当たり前のことだが。

「私たちは神の言葉を伝えるために在るのだよ。」



神の言葉が聞こえない者に慈悲を。

神の言葉を信じないものには教育を。

神の言葉に逆らうものには制裁を。



そして彼は、毎日反逆者を狩る。

狩られるものたちの哀願や怨言や悲鳴はまったく耳に入らなかった、が、
いつしか、自分がこう呼ばれていることに気づいた。


「薄紅の殺戮者」と。


彼は再び、庭園の噴水にその姿を映した。

彼の純白の翼と、白金色の髪は薄い赤の色に染まっていた。


――――「薄紅の殺戮者」は天使の姿をした悪魔だ。

――――今まで殺した者の血が奴を赤く染め上げた

――――あの赤い姿を見たら最後だと諦めな。


目から滴った水が、水面に落ち、像を歪ませた。






CCCCC




仕事が終わっては噴水で水を浴び、髪や翼を洗ったが、赤い色は消えるどころか日に日に深みを増していった。

水に、腰までつかり、しばし呆然とする。
目から、涙が流れ落ちていた。

「あの」

突然の声に我に帰ると、噴水のすぐそばに、天使が一人、立っていた。

彼よりも何年か若いのだろう。体の割にはあどけない顔立ちをしている。

その天使は振り返った彼の顔を見ると、噴水の縁から身を乗り出し、その濡れた頬に優しく触れた。
そこで彼は自分が泣いていたことにようやく気づき、顔を水で洗った。

「ここ、水浴は…」

水滴を滴らせる彼にたどたどしく声がかけられる。

「あ…ああ。わかった。今後は浴場で洗う」

観賞用の水場の中で体を洗っていた非礼にここでようやく気づき、彼は気恥ずかしくなり急いで水から上がろうと髪を絞った。

いつものように赤く染まった水が流れ出る。
その赤い色を、傍にいた天使は驚いたような目で見つめた。

「不思議…」

その言葉が一瞬、何のことかはわからなかったが。
「この色は、魔物や人間の血だ。」

水から出、噴水の縁に腰を下ろす。天使も、同じようにした。

「髪も翼も紅い」

「たくさん殺したからな。…明日はもっと、紅くなるだろう。」

天使は、彼の髪を眺め続ける。青い、綺麗な瞳だった。

「お前は…庭園天使か?」

任で留守がちな彼は、天の宮にいる処刑天使以外の天使の顔を良く知らない。

天使には処刑天使のほかに、天の宮の『生命の木』をはじめとした美しい園の世話をする庭園天使と、神や天使たちの身の回りの世話をする寝所天使がいる。その数は、それぞれ処刑天使とほぼ同数。

その天使は頷いた。
最近任を遣わされたばかりで、この周辺一帯の管理を受け持っている、と見た目の割りにつたない言葉でたどたどしく喋り、

「名は、溜。」

と続けられ、彼は危うく背中から噴水の中に落ちそうになった。

「なっ…?!」

天使には、名を持つ習慣など無かった。

体勢を立て直し、心配げに手をとるその『溜』の顔を見る。

「自分で…つけたのか?」

「はい。」
溜は、嬉しそうに答えた。

「なぜ、『溜』と?」

「それは…」

溜は言いかけ、恥ずかしそうにうつむいた。
その姿は、彼の目にほほえましく映った。

「では、私にも名をつけてくれないか?」

彼の突然の依頼に溜は驚いて顔を上げた。

「すぐにとは言わないけれど。」
言って立ち上がり、一度だけ翼を開いて水気を飛ばした。

「また、ここで会うときにでも」

「…はい!」

溜は、笑顔で応えた。

そして彼は、噴水の園をあとに、寝所へ向かった。






CCCCCC




次の仕事を終えたのは、それから丸二日が経った頃。
罪人を探すのに意外と手間取ってしまったのだ。

天の宮に戻ると、まず寝所の隣に建つ浴場へ向かった。
もう噴水で体を洗わないという溜との約束を守るために。

浴場には数人の処刑天使が、同じように任務によって付いた汚れを洗っており、 彼が浴場に入ると、全員が彼に注目した。

人気の無い隅の水場を選び、手足を洗っていると、天使が一人、寄ってきた。

「あの、その髪と羽、元は白かったって、本当ですか?」

その天使は彼よりも歳若く、キラキラとしたまなざしで彼を見つめている。
彼はその視線に居心地の悪さを感じ、顔を背けたままで一応返事をした。

「ああ。」

「では、本当に、今まで裁いた人間や魔物の血で、ここまで紅くなったんですね」

「おそらく」
手早く、髪をすすぐ。

「すごいなぁ。僕も、貴方のように強くなりたいです!」

「だったらなればいい」
彼は、年下の処刑天使を振り払うように立ち上がった。
丁寧にはできなかったが、一通り、体を清めることはできたので、そのまま浴場をあとにする。

周囲の天使の、赤い自分に向ける畏敬の念が近頃は嫌でたまらなかった。
赤い色を強さの証と褒め称えられても。

―――白さを失う戸惑いなど、知りもしないくせに



薔薇で作ったアーチをくぐり、噴水のある園に入ると、噴水の傍に溜が座っているのが見えた。
溜もこちらに気づいたようで、嬉しそうに手を振る。

「ロゼ!」

一瞬何のことかわからなかったが、もしかすると…

「それが、私の名か?」

溜の隣に腰を下ろし、訊くと、溜は頷き、そして少し不安げに彼の顔を覗き込んだ。

「ああ。…気に入ったよ」

途端に、溜の表情が明るくなる。

「ロゼ…ロゼか。なぜ、この名に?」

溜は少し考え、それから気恥ずかしそうに、口を開いた。

「ロゼ…は『紅』と同じ。その、髪と、羽の色が…とても綺麗だったから」

少し言葉を切り、そして申し訳なさそうに続けた

「本当は、綺麗とか言ったらダメだよね。その色は、お仕事で人間とか魔物とかを斬って、それで付いた色で、好きで紅くなったわけじゃないのに、そんなこと言ったらダメだよね。」

溜は、少し目を潤ませて、しかし彼から決して目を背けなかった。

「でも…その紅い色を、本当に、綺麗だと、思ったから…」

膝の上に置いた手に、水が滴るのを感じた。

いつのまにか、涙があふれていて。彼は溜に背を向けた。
どうしたのかと気遣い差し伸べられた手を握り、彼は涙をぬぐった。

「ありがとう」

彼は心の底から感謝の言葉を贈った。

硬く絡まった糸がほどけていくような気がした。






CCCCCCC




それから彼は『ロゼ』となった。

髪と翼がどれほど赤くなっても、『ロゼ』という名があるなら、この赤を綺麗だと言ってくれる友がいるなら、彼は恐れずに血に染まれたし、他の天使が『紅い天使』を褒め称えようとも平気だった。

ロゼは任務を終えると浴場で体を洗い、それから噴水の園で溜に会うのが常となっていた。

この人気の無い園は処刑で研ぎ澄まされた心を解きほぐしてくれ、溜の口数は少ないがその代わりに見せる多彩な表情は、仕事柄か生まれつきか、表情に乏しいロゼを和ませた。



ある日、いつものように園へ行くと、溜はいつにも増してぼんやりと、芝の上で膝を抱えていた。

「どうした?」

隣に座り、声をかけると、そこではじめてロゼの存在に気づいたように、溜は驚いて彼を見、それから安堵の息を漏らした。
このような溜を見るのは初めてで、ロゼは眉をひそめた。

「何があった?」

「……」

溜は、宙を見たまま、答えない。
しばらくの間二人は無言でいた。風と、木々のざわめきと水音が園を包む。

「ロゼ」

「ん?」

「天使も、罪を犯したら、裁かれる?」

予想外の溜の言葉に、ロゼは一瞬言葉を失った。

「なぜ、そんなことを?」

溜は答えない。じっと、問いかけの答えを求めている。
ロゼは少しだけ息を吐いた。

「天使が大罪を犯すと、堕天する。真っ黒な翼を持った堕天使は、即座に処刑天使によって処罰される…らしい」

「らしい?」

「堕ちる天使など、滅多にいないから」

溜は再び、何かを考え始めた。ロゼは何も言えず、溜の伏した目を見ていた。

「あのね、ロゼ、…もしも……」

「うん?」

溜はそこで言葉を失い、少し俯いてから再び顔を上げ、にっこりと笑った。

「なんでもない」

ロゼも少し笑んだ。
しかし心の中ではひどく動揺していた。

溜の質問の意味。
溜は何か罪を犯してしまったのだろうか?






CCCCCCCC




それからの溜は、考え事にふける時間が増え、ぼうっとしては、ため息をついていた。
そしてそれに反比例するかのように、心から笑うことが減っていったように、ロゼには思われた。

しかし変わらず溜は無二の友人で、ロゼは仕事が終わるたびに溜のいる園へ遊びに行った。

そして、2年という暦が過ぎた。

いつにもまして元気の無い溜に、ロゼは水で希釈したレンゲの蜜を持っていった。
溜はその場では飲まなかったが、後で飲むと約束した。

そして次の任務を聞きにロゼが行こうとした際、溜はいつに無く大きな声でロゼを呼び止めた。

「ロゼっ!」

振り返り見た溜は、自分の出した声の大きさに戸惑っていた。

「ううん。…あの…お仕事、がんばって、ね」

引きつった、笑顔を見せる。

「溜も、頑張れよ」

ロゼも微笑むと、二人は、別れた。



任務中も、溜の、あの泣いたような笑顔が頭から離れなかった。

あの蜜はちゃんと飲んだだろうか、と考え始め、あわてて思考を振り払った。

ここは戦場。
突然変異の巨大毒蜘蛛を前に、ロゼは大鎌を握り直した。

―――帰ったらすぐに溜に会おう。





ロゼが天の宮に戻ったのはそれから12時間後のこと。
柔らかな雲の上に降り立つと、宮全体の空気がいつになく慌ただしいことに気づいた。
胸の中に、なにかモヤモヤしたものが湧き出、ロゼは噴水の園へ急いだ。

いつもの薔薇のアーチをくぐると、いつもの景色が広がり、いつものように溜が芝の上で膝を抱えているはず、だった。

「何…だ……?」

穏やかな常春の園に、今まで存在しなかったもの。

おびただしい量の血液と、抜け落ちた白い羽毛。

それが、柔らかい芝の上に散らかり、その上をそよ風が通り過ぎる。

「溜…」

その名の主の姿は見えない。

「溜っ!」

園のあちこちを歩き、探し始める。

「どこに隠れている?」

噴水の陰も、沈丁花の茂みもアカシアの林も。

「なにをふざけているんだ?」

どこにも、姿は見えない。

「りゅう―――――――!!」






CCCCCCCCC




目を覚ますと、寝所の寝床の中にいた。

「気が付いたか」

寝台の横には、ロゼの教育係の天使が座っていた。

「庭園で倒れている君を見つけ、盟友たちがここまで運んでくれた。」

頭の中はまだ、霧がかかったようにぼんやりとしている。

「あの園の管理者…『溜』と名乗っていたか」

その名を聞き、ロゼは撥ねるようにして半身を起こした。

「あの…」


「堕天した。」


ロゼは、自分の耳を疑った。

「え…?」

「君は、あの天使と仲が良かったね。落ち着いて聞きなさい」

教育係はロゼの肩に手をやり、再び寝床に横たわらせた。



「溜はあの園で、仲間を殺めた。 さらに堕天した溜を魔物が連れ去ったそうだ。」





この事件の発生と成り行きを天使たちに伝えたのは、他でもない、神自身だった。

疑いようが、無い。

「なぜ、溜は仲間を?!」

教育係は虚空を仰いだ。

「『溜』は…変わった天使だ。名を名乗るとは。」

「…」

「あの天使は、『母』となるはずだった」

「母…」

ロゼも、その存在のことは知っていた。
天使を産み落とす、『生命の木』。あれは、『母』と呼ばれる特殊な天使が、神と交わることによって変化した存在である、と。

『母』は滅多に生まれず、ゆえに非常に貴重な存在である。


「溜………が…?」


「『母』となる天使は他の天使にない性質を持つといわれている。溜は名を持ち、そして」

教育係は言葉を切り、もう一度、宙を見上げた。

「ひとり、を愛した」

「愛…?」

天使は万物を均しく愛するように出来ている。ロゼも、又。

一人を愛するというのはどういうことなのか。それは生きとし生けるものを愛する感情とは異なるのか。

自分が、溜を好きだと思っていた気持ちとは異なるのか――――


「しかし相手は天使。溜の想いは理解されなかったそうだ。そして、溜は思い悩んだ末に相手を殺害した」

「わかりません!」

ロゼは声を上げた。教育係は困ったように眉と眉を寄せる。

「私にも、わからないのだ。神は全てを語ってくださったが、天使の私たちには理解できなかった」


では、自分にもわからないのだろうか?死ぬまで、溜の気持ちは―――


「そして殺害後、溜は魔物に連れ去られた」

「なぜ魔物が」

「ここは、結界も張られていない、開いた場所だ。どのような存在でも、出入りは、出来る。それに、神によると、溜は自ら魔物について行ったという」

ロゼは目を見開いた。教育係は溜息をつく。

「溜の居場所は、神には見えているそうだ」

「では、処刑に…?」

「いや。当面は保留、との神の命だ。……本当に、理解できないことばかりだ」

教育係はもう一度深い溜息をつき、立ち上がった。
部屋から出る前に、水杯をロゼに手渡す。

一人になったロゼは、中の液体を少し口に含んだ。

希釈されたレンゲの蜜だった。

最後に会ったときに、溜に飲むよう渡したものと同じ飲み物…

色々なものが一気に押し込まれた脳の中で、ひとつの言葉が叫びをあげていた。


―――溜―――――


杯の中に、涙が落ちた。

あの後、溜はちゃんと飲んだのだろうか?
今はどうしているのだろうか?
辛い思いはしていないだろうか?
一緒にいる魔物とは、どのような者なのだろう?
なぜ魔物についていったのか?
なぜ仲間を殺したのだろう?
なぜ一人で思い悩んでいたのだろう?
なぜ悩みを自分に言わなかったのか?

―――――――――――――――――――――――――――なぜ?







夢を、見ていた。

昔の、記憶だった。

穏やかなあの園で、ロゼは芝に体を預けて横になり、その横には溜が…

「あのね、ロゼ。言うね。」

いつもの、舌足らずの声。何を?とロゼは返す。

「『溜』の、意味。」

溜は初めて出遭った日と同じように、顔を赤くしている。

「『溜』は、止める、こと。

 みんなの涙を、『溜め』たくて…つけたの」

ロゼは微笑んだ。

「では、私も泣くのをやめる。もう、泣かないよ。」

――――――――泣かないよ。





ロゼは、目を開けた。

泣きながら眠ってしまったのか、頬に涙の乾いた跡が残っていた。

それを少し撫で、手のひらを握り、歯を食いしばった。


――――――――もう、泣かないよ。


溜に何があったのかはわからないが。


私は、もう泣かない。




CCCCCCCCCC




ロゼは雲の上の宮から、下界を目指し飛び立った。

雪に白く覆われた地上は、太陽の光をキラキラと照り返していて少し眩しい。



ロゼは、天の宮でもっとも強い処刑天使となっていた。



ロゼよりも強かった、ロゼの教育係の天使は、死んだ。

あの事件から、1年が経った頃のことだった。


溜が魔物の子を身篭ったことを知り、神は溜と魔物とその子の処分を決めた。
堕天した天使には、生殖能力が備わる。
そして、魔物と堕天使が交わると、強力な…天をも脅かしかねない悪魔が生まれる。

神にとっても、苦渋の選択だったという。

ロゼは、処刑の役を申し出たが、教育係に止められた。
「本当に、君に友が殺せるのか?」
といわれ、引き退がるしかなかった。

教育係が、行くことになった。

ロゼは、出立する師を門の前で見送った。

それが、彼の最後の姿だった。



溜を連れて行った、あの魔物に、返り討ちにあったそうだ。

そして溜は、子を産むために『生命の木』になったと、神は教えてくれた。

木となった溜は子を産み、魔物がそれを育てたが、彼らを処刑する命が出ることはなかった。
その理由を、神は教えてはくれなかった。



疑問ばかりが溜まり、ロゼの心に憎しみが生まれた。

溜をさらい、師を殺した魔物への。


―――「魔物は神の創造物ではないから。あれらは善い心を持ってはいない。」


師がずっと昔に魔物について云った言葉が思い出された。


―――ならば魔物など根絶やしにしてしまえば良いのでは?


封じられていた感情が、蘇る。

ロゼは任務以外でも、暇さえあれば地上へ下り、魔物を狩った。
体はますます赤くなったが、溜にもらった「ロゼ」という名がある限り、彼は平気だった。

そしてロゼは、天の宮のどの天使よりも強くなった。



ロゼに命が下ったのは、そんな折だった。

その年は異様なまでに雪が降り、地上も天の宮も真っ白になった。

その積雪の冷たさで、宮の『生命の木』が枯れはじめ、天の宮は混乱の渦に陥った。
『生命の木』は、一本しかないし、溜がいなくなってから、『母』の素質を持つものは生まれていない。

このままではいずれ天使はいなくなってしまう。

種の根絶に、天使たちは恐怖した。


神の命が下ったのは、その時だった。


道は残っている。

地上に根を下ろした溜を連れ帰ることは無理だが、その溜の産み落とした子に、確かに『母』の素質を感じる、と。

そして、ロゼはその子どもを天の宮に迎える命を受けた。

嫌がるようなら、力ずくでもかまわない、とも。


溜と、あの魔物の産んだ子―――――


穏便に済ませる気は無い。ロゼは知らぬうちに笑んでいた。

笑ったのは、溜がいなくなってからじつに20年ぶりだとは、彼自身も気づかずに。



目的地の、森と街に囲まれた丘が見えてきた―――――――




To be full moon...












『Two Half moon』←   →『Full moon』












あとがき。


はいはい。

また今回も長かったですね。読んでくださった方、お疲れ様でした。

この血なまぐさいシリーズもこの話で3つ目ですが。

なんかこれ書いてたら、ケガレの人でなしっぷりが…

まぁ、もともとヒトじゃないんで。

それよりも、前半の「町民皆殺しミッション」は、後から読んで、自分こそ人でなしなのではと思ったり。へこんだり。


今回、ラストが思いっくそ「次回に続く」になってしまい…

はい。続きます。モロに。

次で完結…きっと完結……

遅くなるとは思いますが、ちゃんと書きますので、

「どれ。つきあってやろうじゃねぇか」というありがた〜い方は、どうか気長にお待ちくださいませ…

どういう展開になるか、妄想するもよし!

その妄想を私に言ってくるもよし!

奴らの似姿を描いて私に見せてくるもよし(ごっつい欲望でた)!



読んでくださった、すべての方に、感謝。

2004.8.3