二・王女の帰国


「気を楽にしていろ、ユリア」
“ユリアーデ”という長い名を一々呼ぶのは面倒なので、カルマは彼女をそう呼ぶことにした。
神妙な顔で頷くユリアの髪は山葡萄の汁で黒く染まっている。その鮮やかすぎる蜜柑色の髪で正体がばれぬよう
カルマが染めさせたのだ。黒い肩口までの髪を後ろに流して額を出し、胸を平らにしてカルマの着物を着た彼女は
すっかり異国の少年に見えた。
日はとうに真上に来ている。昨日考えていた予定を大幅にずらし、彼らはようやく城塞都市の正門にやってきた。
気づくとユリアがカルマの袂を握りしめていた。その手は、震えている。
カルマは少し息を吐いて笑み、彼女に頭から外套をかぶせた。
「行くぞ」
ユリアはもう一度頷き、高い高い城壁に口を開ける巨大な門を、今まで何度も阻まれたのであろう故郷への入口を
見上げる。そしてキュウと唇を噛みしめ、その一歩を踏みだした。



石造りの門の巨大な口の隅に小さな部屋がある。その中には警護番がいて、門に向かって開かれた大きな窓越しに
不審者が入国しないか見張っているのだ。
「どうも」
赤ら顔の中年の番人にカルマは軽く手をあげて挨拶した。
中年は眉を少しあげ、窓から身を乗り出す。
「見ねぇ格好だなぁ」
「火と金の国から来まして」
人当たりよく言うカルマの返事に中年は白い大きな歯をむき出して笑った。
「伝説の黄金郷からか?そいつぁいいや!何しに来た?」
「旅をしつつ徳を積んでおります」
「アンタ祭司かね」
「それに似たものです。こっちは私の旅の供で、弟です。」
「そぉか。偉いなぁ、ボウズ」
中年に見おろされ、ユリアはとっさにカルマの陰に隠れた。それを見て中年は再び笑う。
「この国は出来たばかりなんでね。賑やかだが賑やかすぎるかもなぁ。まぁ、楽しんでいってくれよ!」
「それは楽しみだ」
ニコリと笑むとカルマはユリアの手を引き歩きだした。
「…さっきの、全部作り話?」
石畳を踏みつつ、ユリアが小声で聞いてきた。
「半分本当。…ほら、着いたぞ」
大きなアーチ型の門を抜けると正午の太陽に一瞬眼が眩んだ。そして眼下に、真っ直ぐに城へ向かってのびる大通
りと石造りの町並みが広がった。
行き交う人々でにぎわう通り。焼け焦げ、半壊してはいるが懐かしい自分の城。
「帰って…きたんだ」
漏らすようにつぶやき、その場にへたりこみそうになるユリアをカルマが支える。
「…ありがとう」
「これから、どうするんだ」
無事入国するまで共にいるのが、当初の約束。
ユリアは何かを言おうとしてやめて、そして、ようやく言葉を絞り出す
「大丈夫。後は…ひとりで、出来る…から」
その表情は到底大丈夫そうには見えなかった、が、カルマは己れには己れの用事がある、と自分に弁明し、彼女の
肩を2、3叩いて、そして別れようとした。そのとき―――
「やぁどうも、旅人さん。遠路はるばるよくお越しで!お宿はもうお決まりですか?今日からお祭りが始まります
からね。今のうちに決めておかないと道端で寝ることになってしまいますよ!」
そばかすの少年が一人、人ごみの中から突然二人に近寄り、まだ変声していない幼い声で一気にそうまくし立てた。
「え?まだ決まっていないって?それではわたくしどもの旅館に泊まってはいかがでしょう?部屋は明るくて綺麗
ですし、サービスも充実!泊まりますか?そうですか。それでは早速ご案内いたしましょう!」
二人が何も言わぬ間に、少年はユリアの手とカルマの手荷物を取ると、さっさと大通りを右へ歩きだした。
カルマも急いで後を追いユリアと並ぶと二人は視線を交わす。
仕方ない。もうしばらく共にいるか。そう思い、カルマは少しだけ苦笑してみせた。


少年に案内された宿屋は大通りの北東の、市場から少し離れた住居区にあり、小さいが天井が高く窓が大きいせいか
少年の言ったとおりに明るい雰囲気の宿だった。
通された部屋には寝台が二つと小机。簡素だが板張りの床や白い漆喰の壁、窓のガラスも綺麗に磨かれている。
「良い部屋だ」
カルマは寝台に腰掛け、わらじの紐を解きつつ呟いた
「…よかったの?」
ユリアももうひとつの寝台に座る。
「俺は意識していないが…他に部屋が空いているか聞くか?」
「そうじゃなくて…」
そこで彼女は少し言いよどみ、申し訳なさそうに眼を伏せた。そして無意識に髪を指に絡めようとし、髪が既に
肩までしかないことに改めて気づき、一瞬、その瞳に寂しげな色が混ざる。
カルマは笑うのをこらえ、代わりに息を吐いた。彼は割りと、人を困らせて楽しむ性質の人間だった。
「成り行き、だ」
このままもうしばらく、なるに任せるのも一興かもしれない。
「う…?ん…」
ユリアは首をかしげる、と、
「どうも!お部屋はいかがですか?」
ノックと同時にあの少年が入ってくる。トムといったか、この子供はいつも突然やってくるな、とカルマは顔には
出さずに思った。
「とても良いよ」
「ありがとうございます!ところで、今日と明日はこの国で一番大きなお祭りなんです。よろしければご案内いた
しましょうか?」
カルマとユリアは少し顔を見合わせ、
「ああ、たのむ。あと、人が集まる店などを教えてくれないか」
トムはそばかすのある小麦色の頬を輝かせ、嬉しそうに笑った。よくみると、陽を受けた彼の瞳は左右違う色に
光っている。
「承知しました!」

トムを先導に大通りに出る。商店の立ち並ぶこの広い道は花飾りに彩られ、人々はせわしなく、しかし楽しげに行
きかっている。
「今日は前夜祭で明日が本祭。今日の日没までに祭りの用意を終わらせて夜は祈りを捧げ、明日は一日中思いっきり
騒ぐんです。大人はお酒を、僕らはお菓子を沢山食べて。それはもう、楽しいですよ。」
トムは嬉しげに語り、明日だけはいくら食べてもしかられないんだ、と斜め後ろを歩くユリアに話しかける。曖昧に
笑みうなずくユリアにカルマは眼を細めた。
「見事だな…一体何の祭だ?」
どの戸口も花や灯篭で綺麗に飾り付けられ、窓から窓へ色とりどりの布を連ねた帯が張られている。
教会の門に立つ乙女の像までもが綺麗に白粉と紅の粉で化粧されていた。
「建国祭です」
ほう、とカルマは片眉をあげた。
「王様が亡くなりお城が壊れたとき、その周囲のお金持ちの家にも火が燃えうつって…生き残ったのはお城から遠い
場所に住む僕たち下町の者だけでした。偉い人がいなくなって、大変だったけど、何とか国として立ち直ったのが
2年前の明日のことでした」
ずっと目を三日月形にしていたトムの笑みが、ふっと消えるのをカルマは見逃さなかった。
一度壊れてしまった故国を立て直すのにどれほどの労苦が必要だっただろう。カルマは入国する前に見た壊れた尖塔
を思い出していた。
「なぜ、城は壊れた?」
ふとした疑問をカルマは口にし、そして目を見開き口をゆがめたトムの表情に彼の臓腑は凍りついた。
「いや……やはり、いい。」
愚かしい問をした己をカルマは叱責した。トムの目は、一瞬だが恐怖の色に染まっていた。明るく振舞ってはいても、
心の傷が残っていないわけがない。なぜそれをえぐるようなことを言ってしまったのか、と。
「……今は誰が国を治めている?」
何とか話の方向を変えようと試みる。トムも辛そうな顔をしたのはわずかのことで、もういつもの憎めない笑顔を
取り戻していた。
「ギインさんです!」
この質問は当たりだったらしい。
「ギインさんが、10人くらいいて、話し合って国のことを決めていくんです。あ、あそこに一人いますよ!」
言うなりトムは大きく手を振りながら道の向こうへ駆けて行った。
と先ほどとは打って変わって元気に動くトムを見てカルマはこっそりと安堵の息を漏らし、そしていつのまにかユリアが
彼の着物の袂を再び握りしめていたことにようやく気付いた。彼女の方が思うところは当然、沢山あるだろう。
トムに呼び止められ一人の男がやってきた。古びた片眼鏡をかけ、くたびれた大きな鞄を持ち、薄汚れた外套を
羽織った青年。
「どうもぉ」
カルマと、トムに手を引かれたユリアを見ると彼はたれた眉と目尻を下げて挨拶をしてきた。
すっかり調子を取り戻したトムが慇懃に紹介をする。
「ギインサンのひとり、クレーです。クレさん、こちらはうちのお客の」
「カルマ、とユリアです」
クレーの差し出した手を握りつつカルマもにこやかに名乗った。
「クレさんは普段は向こうの通りの3軒目で診療所をしてるんです」
「お医者様で政治家ですか。それは立派な」
カルマは少し驚いていた。彼はそういった権力を持つ人種を嫌悪する性分であるのに、このクレーという人物を嫌いになる
予感がしなかったのだ。
クレーは半分皮肉のカルマの言葉を正面から受け止めたようで、たちまち耳まで赤くし、あわてて首を振った。
「いいえ、そんな。しがない貧乏医者ですよ」
「その道具カバンなんて、留め金こわれてるもんね。早く直しなよ」
ふざけるように口を挟むトムの頭を、クレーは軽くはたく。
「だったらあぶないことして怪我するのやめな」
「タダで治してくれなくていいよ。薬代くらい払えるのに…目の事だって」
「子供からお金を取るのは嫌なんだよ」
二人の軽口の叩き合いをカルマは眼を細めて聞いていた。トムはきっと、彼のことが大好きなのだろう。彼が政治の
一端を担うのなら、この国は住みよい国でいることができる。
「ときに、この辺りで人の集まる店を知らないか」
二人の会話が止むのを見計らってカルマはようやく口を挟んだ。
「店…ですか。何をお求めですか」
「情報。人探しの、な」
クレーに会えたのは幸運だった。子供のトムでは知らないそういった店を大人の、しかも議員の彼ならば知っている
だろう。クレーは少しだけ顔の笑みを消し、
「この道を5軒行くと右に裏路地があります。その先にある小さな飲み屋に情報屋がよく来ますよ。鼻の横の大きな
ほくろが目印です」
少し声を潜め、トムとユリアに聞こえないようにささやき、そして気をつけて、と付け加えた。
「どうも」
カルマは軽く頭を下げると、クレーの示した方向へ歩き出し、そして後を追おうとするユリアとトムを振り向きざま
に止めた。
「ここから先は駄目だ。…好きに、してな」
言い残し、カルマは一人店に向かった。歩きながら、そっとユリアをかえりみた。
彼女はトムの傍らで立ち尽くし、こちらを見ていた。
振り返ってはいけない。カルマは自身に言い聞かせた。
厄介な娘に構っている暇はないのだ。俺は大切な人を探しているのだから―――


大通りから一つ路地を入ると、とたんに道幅は狭くなり、小さな店が所狭しと軒を連ねている。もちろん、大通りと
同じく鮮やかな花や布でそこかしこはきれいに飾られていた。その中で、飾りの無い店が一つ。そ

こがクレーの示した酒場だった。
跳ね戸を押し店に入ると昼間だというのに店内は暗い。人はまばらで、しかし夜になってもその人数が急増すること
はないと直感していた。
鴨居を越える、と、カウンターにいる店長らしき男が灰色の口ひげの下から少しくぐもった声を出した。
「下り坂になってるから、気をつけな」
彼の言うとおり床は奥に向かって沈んでおり、どうやら店自体の半分が地下に埋まっているようで、店内が暗いのは
そのためか、とカルマは一人で納得した。
「ラムを氷で」
荷を負ったままカウンターに腰掛ける。店主はやはりくぐもった声で返事をした。
「ここは祭なんざおかまいなしか」
「俺らには必要ないのさ。恐れから逃げるための祭なんてな」
「……恐れ?」
出された酒を一口含み、カルマは眉をひそめた。
「皆わすれたいんだよ。国を壊したアレがまだどこかで生きていることを」
「アレとは?」
聞き返すカルマに彼は意地悪そうに片眉を上げた。
「ここからは有料だよ、異人さん」
カルマも片頬だけを上げて笑む。
「酒場の店主が、情報屋みたいな口をきくじゃないか」
「まぁね」
言うと店主は口元に手をやり、そのひげをかきわけてみせた。鼻の横に、大きなほくろ。
「本職は情報屋さ。。なんだ、ツケを返せる当てもなくてな」
はは、と笑い、再びひげを撫で付ける彼に、奥のテーブル席からむすっとした老人の声が飛んできた。
「我が店のお客様だ。情報は惜しむなよ」
おそらく、彼が本当の店長なのだろう。情報屋はしおしおと肩をすぼめる
「へいへい。…というわけで、現在特別無料サービス期間だ。何が知りたい?」
「『アレ』とは何か」
アンタもしつこいね、と彼はあきれたように首を振る。
「巨人…だとよ。」
「巨人?」
ぼそ、と出た言葉をカルマはオウム返しのように追及した
「大きい、人、というのか?」
「まぁ、な。そいつがこの国の人間と建物を壊しまくったらしい。王が死んだ日にな。しかも、騒ぎが収まったとき
には巨人の姿は消えていて、誰がやっつけたという訳でもない。だから、皆思っているのさ。巨人はいつかまたここ
にやってきて、あの日と同じように再びこの国を壊すだろう、てな。」
「そう……か」
トムの見せた怯えた表情の理由がわかった気がして、カルマは頬杖をつき巨大な怪物のような人間がこの街を、人々
がようやく再建したこの街を壊してゆく様を想像していた。それはひどく、胸を裂かれるように辛く恐ろしい光景
だった。
「俺はここの住人じゃないから見たわけじゃない。聞いた話さ。人の話なんてアテになるもんじゃないが、

だが…この街の奴らの心には確かに闇が巣食っている。皆その重たい闇を忘れるために、この祭で大騒ぎして、また
次の日から頑張ってくのさ」
人間てのは、結局は前に向かって歩いていくもんだ、という情報屋の言葉にカルマは少し鼻から息を吐きグラスをあおった。
「忘れられなければ前には進めないか?」
ハハ、と皮肉ってこぼした笑い声はかすれていた。カルマのこの態度に情報屋は少し眉を寄せる
「ならば俺は前に進めなくても良い」
「……どうした?」
今までヘラリとしていた彼の表情はすでに跡形も無く、情報屋は引き締まった顔でカルマを見据えた。
カルマはもう一度、ラム酒を口にする。
「人を、探している。忘れることなど、出来ない」
グラスをカウンターに置いたカルマのは、真剣、というよりも切実な、思いつめたような目をしていて、情報屋は
息を飲み込んだ。
「聴かせて、もらおうか」


極東の地『火と金の国』に生まれたカルマが長年属していた寺院を飛び出したのは5年前のこと。
初めて歩く世界は広く、そして初めて愛した女性は美しかった。
たったひとりの気ままな旅の道はそこで終わり、カルマは人里はなれた地で独り暮らす彼女の家族となった。
柔らかで暖かい日々はいつまでも続くと、思っていた。
「ある朝、目を覚ますと隣に眠っているはずの彼女の姿は無かった。…どこを探しても、見つからない。俺は、
今度は彼女を見つけるために旅立った」
カルマはふう、と長い溜息をついた。あの朝のことは脳裏に焼きついているが、あらためて語るとやはり胸が痛む。
今までじっと話を聞いていた情報屋は気まずそうに鼻の頭を掻き、
「…なぁ、その恋人さん、探してもう何年になる?」
「3、4年になるか」
「そぉか…」
彼は少し考え、カルマのラム酒を勝手に一口飲んで息を吐き、
「この山を越えた向こうの山奥に、霊と会話できる婆さんがいる」
「何の話だ」
「その…なんだ、つまり死人と接触できる。お前さんそういう線から探したことは」
ばん、という音が薄暗い店内に響いた。
「炯は…死んでなど、いない」
木製のカウンターが、横に大きくひび割れた。
その破壊の元の両の手は、ひとりでに震え、止まらない。
「修理代、上乗せするぜ」
すごい剣幕だ。情報屋の背中には冷たい汗が一筋流れていた。だがこんなところで折れているのならとうにこの稼業
を辞めている。そう、彼は自分に言い聞かせなんとか冷静さを保った。
「5年も経っているんだ。想定しておいても良いだろう。あいにく、俺は手配人や変人の居場所しか知らなくてね。
教えられるのはコレくらいだ。勘弁してくれ」
カルマは椅子にもたれかかりうなだれる。情報屋の言葉など聴いていなかった。
「死んでなど、いない」
小さく、呟く。
酒代と修理代あわせて6000な。そう、情報屋が冷めた声で言う。その声は霧の中から聞こえてくるようだった。
頭の中はドロドロしたもので埋め尽くされ、それは激しく混ざり合い、その奥底からチリチリと炎がわきあがってく
る。それはきっと、怒りの感情というものなのだろう。
カルマは身体の熱をうっとうしく感じつつ懐から財布を出そうとした。が、
「…ない」
あるはずの財布が、入っていない。
いらつくほどに熱かった体が一気に冷え、そして再び、いや先ほど以上に熱くなる。
一体、どこに忘れてきたのか。
「おい、どうした?」
情報屋がカルマの不審な様子に気付き、顔を覗き込んできた。
カルマは咄嗟に、左の手のひらを彼の前に突き出した。
「?おい」
「『ここに俺は座っていない。お前は誰とも話していない。』」
精神を、手のひらの法印に集中させる。カルマの声を聞いた情報屋は、途端に生気を抜かれたような、呆けた表情
になった。
「…ここにお前さんは座っていない。俺は誰ともしゃべっていない」
うつろな目で、カルマの言葉を復唱する。
「そうだ」
カルマは立ち上がり、店を出て行った。誰も追うものはいなかったので、悠々と、歩いて。




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