数秒の睨み合いの後、先に仕掛けたのは右近。予備動作もなく不意に飛び上がり、中空から蹴りを放つ。
大治郎は一瞬視界から消えた右近からの降るような蹴りを、反射的に右腕で弾き左の中段突きを繰り出した、が右近は自分を弾いた右腕に足をかけて大きく跳び大治郎の突きをかわして彼の背後へ回る。
右近は重力に従い落下する、間に大治郎の背へ掌底を入れる。
正確に脊髄を狙う攻撃を、大治郎は身を翻すことで衝撃を受け流し右近に向き直る。
そこへ着地した右近の突き上げるような右拳が襲い掛かってくるも大治郎は半身になり左腕で拳の軌道を逸らし続く右手で右近の腹に掌底を打ち込む。
そこで、勝負は決まった。
右近は後方へ勢いよく吹っ飛ばされ頭から川へ落ちる。
ザパァン、と派手な音が水飛沫と共に上がった。
「う゛〜〜〜」
濡れネズミとなった右近は岩棚へよじ登りつつ、悔しげな目で大治郎を見る。
「負けた……じろ兄意外と強えーのな」
「そりゃどーも。服絞れよ風邪ひくぞ」
大治郎の言葉に大人しく従い、右近は日当たりの良い岩場を選んで服を脱ぎ始める。
脱いだTシャツを絞って体を拭う少年に、大治郎は着ていたYシャツを脱いで頭から被せてやった。
「乾くまで貸してやるから」
右近は白いシャツの隙間から大治郎を見上げ、不機嫌な表情のまま裸の上にシャツ一枚のみを羽織った。
「なにぶすったれてんだよ、うー」
声をかけても、右近はむくれ顔のまま答えない。
よほど負けたのが悔しかったのだろうが、勝った大治郎自身は内心驚いていた。
右近を川に上手く落とし、お互いに大した怪我もなく戦いを収められたが、これはかろうじての勝利であった。
小学生である筈の右近は、並の大人よりも強い。おそらく自分のボディーガード達とも彼ならば互角に闘えるであろう。
動悸が妙に速いのは体を激しく動かしたためだけではない。
古来より続く殺人集団の血を引く少年と御空加々見流古武術の力に、大治郎は圧倒されていた。
岩の上にあぐらをかき、そっぽを向いて動かない右近の代わりに、彼のTシャツや下着を日当たりの良い岩盤に並べて干してやった。
そして脱ぎ散らかされたハーフパンツも拾い水気を切ろうと広げると、ポケットの中から小さな魚が飛び出てきた。
「わぁ?!」
突然の慌てた声に右近が振り向くと、そこには驚きのけぞる大治郎と、ハーフパンツの上でピチピチ跳ねる小魚。
右近はすぐにハーフパンツを宙に翻し、魚を川の中へ投げ入れてやった。
銀色の孤と水面に立ったささやかな飛沫を確認し大治郎が安堵すると、右近は途端に笑い出す。
「イワナの稚魚だよ。じろ兄だっせぇ〜」
ケラケラと笑われ、今度は大治郎がむくれる番だった。
「逃がさないで喰えばよかった」
「今喰うヤツはバカだよ。夏になりゃでっかくなって脂がのるんだ」
「『4月の魚』…か」
呟き、大治郎は木漏れ日の落ちる岩の上に濡れた服と共にゴロリと横になる。
「ん?」
「四月馬鹿って意味」
「あ、エイプリル・フールか。明日だよな」
大治郎の隣に、ブカブカのシャツ姿の右近も寝転がる。
「そうそう」
太陽の光に暖められた岩盤の心地よい温もりを味わい目を閉じていた大治郎の、頬を前触れもなく右近はつまんだ。
突然つねられた驚きに大治郎が目を開けると、右近の顔が視界いっぱいに広がっていた。
「明日、なんかあんの?」
「……なにもないけど?」
「ウソつけ。じろ兄またユーウツな顔になってたぞ」
「なんでもねぇよ」
そっけなく顔を背けられ、腹を立てた右近は大治郎の腹に馬乗りになる。
推定体重30kgが突然降ってきたので大治郎は堪らず蛙のような声を漏らした。
「オレは友達にはウソつかねーって決めてんだ。だからウソつかれると、ヤだ」
幼い哲学だと、大治郎は思った。
しかし顔を上げることが出来なかった。
その幼くて真っ直ぐな心が眩しすぎて。
自分はいつその心を失ったのか思い出せなくて。
いや、そもそも持っていたのかすら怪しくて。
「……会いたい友達が、いるんだ」
しばらくの後、大治郎はようやく心の奥底の思いを言葉としてしぼり出した。
なのに。
「………なんだよ、うーは」
首を曲げ頭を持ち上げると、右近は自分の腹にまたがったまま、胸板に頭を乗せ寝息を立てていた。
「道理で重いはずだよ」
片手で右近の髪をくしゃりと混ぜる。それでも少年は起きない。
子ども特有の柔らかさを持った黒髪が、川面からの涼やかな風にそよぐ。
暖かな岩肌。優しい木漏れ日。鮮やかな緑。
その中で育つ強く真っ直ぐな少年。
どれもこれもがしなやかに美しく、自分がひどく場違いな存在に思え、大治郎は目を閉じた。
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