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50畳の客間は、四方を襖で仕切られ薄暗く、その中に人が3人、行灯に照らされていた。

一人は50代、もう一人は40代、残る一人は10歳と少しといった年の頃。

壮年の羽織袴姿の男性が上座に座し、その傍に同じく袴姿の子どもが控えている。

そして上品な黒いスーツ姿の初老の男は壮年の男性と向かい合っていた。

「……以上が今回依頼いただきました調査の結果です」

壮年の男……御空加々見流古武術 現正統継承者にして隠密集団『天狗』現当主・三森 忠正(みもり ただまさ)は、依頼主の遣いである大橋家付きの執事に静かに告げ、「調査報告書」と表紙に書かれた紙束を黒いスーツの膝の前に差し出した。

執事は白髪が混ざり灰色となった髪をきっちりと撫で付けた頭を下げて礼を表し、20枚は綴られているであろう厚みのある報告書を節の浮いた指で繰る。

「大治郎様を狙っておりますのは一般人の犯罪組織と思われます。財閥や政治団体との繋がりは無い模様。目的は身代金目当ての誘拐です」

「左様ですか」

内容に一通り目を通し終えて、執事は顔を上げる。目尻に皺を落とし銀縁眼鏡の向こうの瞳を細めた。

「短時間でこれほど深く調べてくださるとは。さすがは『天狗』ですね」

「滅相もございません」

賛辞の言葉に天狗の当主は眉ひとつ動かさない。代わりに横に控える整った顔立ちの子どもが黙礼を返した。

「……して、此度の件につきましてはどのように対応いたしましょう。調査に当たっている者は監視を続けておりますので今すぐにでも組織を壊滅させることも可能ですが」

「それには及びません。大治郎様を狙うような不届き者どもの処分などにそちらのお手を煩わせるわけには参りませんので」

執事は歳相応に皺の刻まれた顔に変わらずにうっすらとした笑みを乗せている。反論の余地を与えない笑顔であった。

「承知いたしました。契約期間は本日までですので、残る9時間は引き続き監視し万一の事態が起こりましたら直ちにお知らせいたします」

「ええ。宜しくお願いいたします。……それともう一件、本日締めにて依頼をしておりましたね」

「承知しております」

当主の返答を合図に傍らの少年が綴じられた紙を主へ差し出す。

「こちらは野崎様、あなた直接のご依頼でしたね。ランクSの素行調査。対象者は広河 光(ひろかわ みつる)、17歳男性」

先程の報告書の半分ほどの厚さの紙束をめくりつつ、当主は調査結果に目を通す。

「結論から先に申しますと、この青年には全く問題はございません。調査員も、報告を聴く限り私も、そう判断いたします」

紙束を畳み、再び執事に差し出す。

執事は自分の前に置かれた報告書を睨むような強い視線で見下ろした。

「まさか」

「全てその中に記してございます。本人や家族、親類に至るまで調べましたが特定の宗教、政治団体、派閥に属する者はおらず裏社会とのつながりは皆無。性格は温厚。教育機関での評価も中程ではあるが目立つ問題を起こすこともなく、むしろ努力を評価されている」

執事は報告書を手に取り、1枚1枚を食い入るような目付きで読んでゆく。

ページをめくる度に、先程まで穏やかであった表情は、当主の話を聞いているのかどうか解らないほどの鬼気迫るものに変わっていった。

「なにより大治郎様に見返りを求めるでもなく大切に想っているとの様子。大治郎様の傍に居させても支障をきたすことは無いでしょう」

「何かの間違いです」

顔を上げた執事の、銀縁眼鏡の奥の瞳には荒々しい感情が渦巻いていた。

「あの、広河という少年は、恐れ多くも大治郎様に近づき、無礼な言葉で惑わせて……次期総裁であられる大治郎様の妨げに他なりません。この結果は何かの間違いです。もう一度、正しく調べなおし、そして危険と判断できたらばすぐにでも……」

「承知いたしました。抹消、いたします。その必要があるならば」

当主の言葉に執事は頷いた。
何度も何度も、確かめるように。

「ええ……ええ。お願いいたします」

平静を取り戻しつつ何度も頷く執事に、当主の傍らの子ども――三森 信乃(みもり しの)は内心恐怖していた。

知らずと悪寒が走り身が震える。

目の前の灰髪の紳士の『大治郎様』へ執着する様が恐ろしかった。

信乃もまた、いずれは父の後を継ぎ天狗』の長となる身であったから。

己の立場の重大さを思い出させられ、その重圧に潰される心地がした。



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