◇◇◇


竹林を、熊笹の茂みを、田園地帯を抜け、大治郎と右近が駅前の大通りに辿り着いた頃には夕陽は既に沈んでおり、今まで2人がいた山は薄紫の空の向こう、夜の闇の中にそびえていた。

「すっかり暗くなったな……右近、1人で帰れるか?」

「ん、何?ちょっと待って。靴ヒモほどけた」

道が舗装されたあたりから、右近もパーカーのポケットからスニーカーを取り出して履いている。

その靴ヒモを結びなおそうと彼がその場にしゃがみこんだので、大治郎も足を止め右近が立ち上がるのを待った。

「山の中、真っ暗なんじゃないか? 麓までのはずが駅前まで付いてくるなんて……」

何度帰れといっても道案内を理由に傍を離れない右近を、いい加減家に帰したくて、大治郎は何度目かの苦言をこぼし始めた。
すると突然、右近が屈んだまま大治郎の手を引き、大治郎はその強い力につられて右近の隣にしゃがみこんだ。

「なんだよいきなり?!」

「シッ」

大治郎の不満半分驚き半分の声を制し、右近は唇を動かさないまま囁く。

「囲まれてる」

唇を動かさずに発される声は、脳に直接響くような低く静かな声。
今まで右近が出していた子ども特有のキャラキャラとした高い声とはあまりにも異なっていて、大治郎はその声が告げた内容はもとより声自体に驚き、背中がスウ、と冷える感覚を覚えた。

「間合い600メートル。人数4人。銃火器の臭いはしない」

おののいている大治郎に構わず、右近は報告を続ける。

「走るよ!」

再び唐突に右近は大治郎の手を強く引いた。

弾かれたように走り出して、大治郎はようやく平静を取り戻した。
右近の先導で走るが、山の中と違い普通の人間と同じように走っている右近は10才の少年としては相当早いが、それでも歩幅が全く異なるので次第に大治郎の方が先に出てしまう。

追手も動き出したのだろう。先程までは全く感じなかった気配が、大治郎にも感じ取れる。
追っ手の1人が右近のすぐ後ろまで迫っているのがわかった。

大治郎は咄嗟に走る右近を捕まえ、左腕で脇に挟むようにしてしっかりと抱えた。

「じろ兄?!」

「右近、駅はどっちだ?」

突然抱きかかえられたことに驚いたが、自分が頼りにされていることがわかり、右近はすぐさま指示を出す。

「左!」

「よしっ!」

右近の体重など全く重荷にならないかのように、大治郎はいっそう早く駆け出した。

追手はもはや隠れることを放棄し、大治郎の後に付いてくる。
大治郎は4人の男を引き連れたまま真っ直ぐに駅舎に飛び込んだ。

「2番線!電車来てる!!」

腕の中の右近の声を聴くが早いか、大治郎は駅員が驚いている隙に有人改札をすり抜け、プラットホームを駆けた。

線路を挟んで向こう側のホームにオレンジ色の車体が止まっており、今まさに発車のベルが鳴らされたところだった。

2本の線路をまたぎ向かいのホームへとつながる高架階段を駆け上がる大治郎の耳に、自分のものではない足音と、荒い呼吸音に「このガキ!」と憤る声が混ざったものが否が応でも聴こえ、大治郎は悪寒を背筋に感じながら通路を走り、その先の階段を駆け下りた。

2番線にはまだ列車が止まっていてくれた。

最も近いドアまであと5メートル。
鳴り続けるベルが余計に大治郎を焦らせた。

せっかく手に入れた自由がこのような形で潰されるなんて、絶対に嫌だった。

あと3メートル、2メートル、1メートル……

閉まりかけるドアの隙間に滑り込み、大治郎は荒く呼吸を繰り返した。

肩越しにおそるおそる確認したドアの外では、追手の4人が駅員に取り押さえられている。

大治郎はようやく安堵の息を深く吐き、ずっと抱きかかえたままだった右近を床へ下ろした。



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