◇◇◇
陽が暮れて山の闇が広がりだした頃、大治郎の捜索に遣わされた信乃がようやく当主と野崎の前にもどってきた。当主にとってはあまり喜ばしくない者を連れて。
「アンタ、なに考えてんの」
その客……クセの強い髪が特徴的な女性は、当主の前に立つなりそう言い放った。
「夕暮れ時に子どもを山へ行かせるなんて、なに考えてんの?」
「説教の為に病の子を背負ってまでここへ来たのか、『ガルーダ』」
「その名で呼ばないで。私の名前は帯刀 千鶴(たてわき ちづる)」
千鶴は苦々しい表情を浮かべたまま、おぶっていた少年を背から下ろして、信乃に布団の用意を頼んだ。
「信乃を暗い中一人で帰すわけにも行かないし、風邪引いた左近を家に一人寝かせておくわけにも行かないでしょ?
それにもう一つ、理由があるわ」
「信乃の能力はもはや一人前の天狗と同じ。そなたの申す心配など不要だ」
千鶴は当主の反論を無視し、野崎につと顔を向け居住まいを正した。
「あなたが四菱財閥長男付の野崎さんね。私は帯刀 千鶴。天狗の当主の、弟嫁です」
礼儀正しく頭を下げられ、千鶴と当主のけして仲が良さそうには思えない会話に呆気にとられていた野崎はあわてて同じようにした。
「野崎さん、あなたの主はおそらく、この山にはもういません」
「なんですって?!」
野崎と、当主までもが驚き千鶴を見るが、彼女は冷静なまま信乃が用意してくれた布団に我が子を寝かせ、その髪を優しく撫でている。
「……どういうことだ」
当主は歯を食いしばり説明を乞うた。
千鶴は彼らをチラと見、そして息子に目を戻し、その頬に優しく触れた。
「左近、しゃべれる?」
「……うん」
しばしの間の後に返答する左近の声は、風邪で喉を痛めており弱々しい。
「右近のこと、もう一度教えてくれる?」
母に頼まれ、左近は何かを探るようにゆっくりと目を閉じた。
彼の顔は双子の片割れである右近と瓜二つのはずだが、熱に浮かされている今は右近よりも格段に心もとなく見える。
千鶴は自分の精気を分け与えるかのように、汗ばんだ息子の手をしっかりと握った。
「右近の気配……夕方…かその前くらいから、遠ざかった…。山からも出て……」
そこで、左近の涙に潤んだまぶたがピクリ、と動いた。
「また、遠くなった……! すごい速さで南東に動いてる!」
ぼろぼろ、と左近の目から涙が零れ落ちる。千鶴は素早く息子を抱きしめた。
「もう、いいわ… ありがとう。ゆっくり寝なさい、左近」
母親の腕の中で頭や背中を優しく撫でられ、左近は少しの間嗚咽をもらし、そして泣き疲れて眠った。
「今のは、何だ」
左近が眠ったのを見計らい、当主がまず口を開いた。
いぶかしむ口調と目付きを正面から受け止め千鶴が答える。
「子どもの時期は不思議な力を持ちやすいっていうでしょ? それと双子同士はどこか繋がっている、とも」
「生まれ付いての念力の類か」
「詳しくは知らないけど、この子と右近はいつもお互いの気配や様子をある程度感じ取ることが出来るの」
「信用できるのか」
「もし偶然や錯覚なら、この子達を産んで10年間、信じ続けるわけないわ」
当主の容赦ない言いぶりに衝突するでもなく千鶴は回答する。
当主はそれ以上の言及は無理と悟り、開きかけた口を閉ざした。
「さっきこの子が突然『右近が山からいなくなった』って言い出して。その直後に信乃が大治郎様を探しにウチまでやってきた。
……嫌な予感がつながらない?」
「では大治郎様は右近とかいう子どもにかどわかされたのですね!」
「断定は出来ないけど」
勢いづく野崎の気勢を削ぐように千鶴は冷静に返す。
「大治郎様とウチの子が一緒にいる可能性は高いわ。『すごい速さ』で移動しているということは、電車か車か……」
「車…」
車で無理矢理連れ去られたのでは、という懸念が野崎の頭をよぎった。
先程までの漠然とした不安や焦りが、胸の中でドロドロと煮詰まり形を成していく。
なので当主が緊急連絡の無線を着信し、通信を終えた後に静かに告げた言葉に、野崎は跳び上がりそうになった。
「『黄竜』より報告があった。調査をしていた例の誘拐組織が、高尾駅付近にて大治郎様に接近している」
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