◇◇◇


「一緒に行くなら、伝えておかなきゃな」

大治郎と右近の鼓動がようやく緩やかになった頃、大治郎はぽつりと言った。

右近は先ほど車掌から買った切符から大治郎へと視線を移す。

「新宿駅で乗り換えて、埼京線で板橋駅へ向かう」

大治郎は右近の切符の『新宿乗換え』の印字を指でなぞる。

「友達に会いに行くんだ。そのために俺は無茶して、お前まで巻き込んで、この電車に乗っている」

「ともだち?」

「そう。とても大切な友達」

「どんなやつ?じろ兄より強い?」

期待をはらんだ目をする右近に大治郎は苦笑を浮かべつつ答える。

「格闘は……心得ないんじゃないかな。優しいやつだよ。光って名前で。
変なフィルター抜きで真っ直ぐに俺に向き合ってくれた……俺の初めての友達なんだ」

光と初めて出会ったときのことを、大治郎は今でもありありと思い出せる。



幼い頃から英才教育を受け、上流階級向けの学校に通ってきた大治郎が中堅どころの公立高校に入学したのは、彼の初めての我侭だった。

普通で自由な生活に憧れて入学したものの、『普通』の中では大治郎はひどく目立ち、周囲に溶け込めないでいた。

希望の学校に入ることが出来たのだからそれでもいいか、と大治郎は諦めた。
今までだって友と呼べる存在はいなかったのだから、隣の席の生徒が友人たちとたわいもないお喋りをする横で静かに本を読むことにもすぐに慣れた。

そんな日々が変化したのは高校2年生の春のことだった。

いつも通り昼休みに1人で弁当を食べていた大治郎に新しいクラスメイトの一人が声をかけてきた。

『総代の挨拶した大橋さんだよね? すごいキマってて、かっこよかったよ!』

大治郎は入試をトップの成績で合格し、入学式のときに新入生代表の役を務めた。

本人ですら忘れかけていた、周囲の人間からすれば大治郎を特別な存在として意識させることになった出来事を、その生徒はずっと覚えていて、率直に大治郎を褒めてくれた。

彼が、広河 光だった。

大治郎と光はすぐに仲良くなった。

自分が大財閥の御曹司だということを打ち明け、自宅へ連れて行った時、光はあまりに広すぎる邸宅や常に大治郎に付き従うSPの数に目を回しそうになったが、それでも大治郎への態度を変えることはなく、今までどおりに接してくれた。
次の春には2人の誕生日を豪邸の中の大治郎の自室で祝いあった。



「光がいてくれたから、他の奴らとも友達になれた、しさ。……本当に、ありがたかったよ」



『お坊ちゃま』でもなく『学年トップ』でも『女子にもてる美形』でもない大橋大治郎という人間をありのまま受け入れてくれる光が、大治郎にはありがたかった。

しかし、終わりの日はどうあがこうともやってくる。

2週間前に大治郎は卒業式を迎え、高校生活に、たくさんの友人たちに別れを告げた。

そして大治郎は自室で英才教育を受ける日々に戻った。

来週には、大学の入学式が待っている。
経済界の頂点という家業を引き継ぎ営んでゆくための実践的な方法を本格的に学ぶ時期が間近に迫っているのだ。

もう自分には、高校時代のような楽しくて充実した日々など必要ない。

そう、自分に言い聞かせていたけれど。

光のことだけは、忘れられなかった。

だから、決めたのだ。

「……明日はソイツの誕生日だから祝いに行きたいんだ」

「オレも一緒に祝っていい?」

「もちろん。きっと喜ぶよ」

大治郎に柔らかな笑みを向けられ、右近も嬉しそうに笑う。

大治郎はジャケットを脱いで右近の小柄な体に掛けると、自分の肩にもたれさせた。

「板橋まで、まだ長いから。今のうちに寝ておきなよ」

時刻は8時。
小学生が眠るのにもまだ早いが、動き回って疲れているのだろう。
右近が先ほどからあくびをかみ殺しているのに大治郎は気付いていた。

「うん……」

やはり相当眠たかったのだろう。呟くような返事の後には、右近の口からは寝息しか出てこなくなった。

大治郎はその成長途上にある細い肩に自分の腕を回し、右近がシートからずり落ちないように支えてやりつつ、これからのことを思案し始める。

順調に行けば、あと1時間余りで板橋駅に着くだろう。

しかし高尾駅前で自分を狙ってきた奴らや、その仲間が再び接触してくることも十分に考えられる。

普段ならば直ちに自分専属のSP部隊の本部に連絡して捕縛させるが、今は助けを求めるどころか自分の位置すら家の者たちに知られてはならない。

今まで考えないようにしていたが、SPたち、特に執事長の野崎は今頃大騒ぎをしているに違いない。

彼らもまた、必死に自分を探していることだろう。

誘拐犯と、護衛たち。

2つのグループに、現在追われているのだ。
しかも乗り慣れていない電車での移動で、さらに自分ひとりでなく右近もいる。

状況は、圧倒的に不利だ。光に会いに行くことなど無茶なのかもしれない。

そこまで考え、大治郎は空いている右手で己の頬を打った。

―――弱気になってはいけない。絶対に光の元へ行くんだ!

奥歯をかみ締め、強く念じる。

自分に全ての体重を預けて眠る右近の重みが、大治郎の決意を更に強固なものにさせていた。



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