「……うー?」

乗り換え先の埼京線のホームを探ししばらくの間歩き回っている、と、次第に右近の歩調が遅くなっていくのに気付き、大治郎は通路の端に移動してから右近の前に屈みこんだ。

右近の顔は蒼白になっていた。

「大…丈夫。はやく埼京線みつけよーよ」

言って、気丈に笑ってみせるが、右近の体はふらつき、柱にもたれてどうにか立っている有様だった。

無理もない、と大治郎は内心ほぞを噛んだ。
自分ですら人手の多さと周囲の雑多さに目が回りそうになっているのだ。

まだ幼く、清浄なな山の中で暮らしてきた右近がこの人ごみの中で平気でいられるわけがない。
それでもずっと気を張って、不調を悟られないように無理に歩いていたのだ。

足手まといになるまいとする右近の健気さに、大治郎は喉の奥から熱いものがせり上がってくるのをグッと飲み込んだ。

「どこか店に入って、休もう」

大丈夫だと言い張る右近を大治郎が抱き上げようとした、その時。

「大治郎様……?」

不意に名を呼ばれ大治郎が顔を上げると、彼の傍らに驚きの表情を浮かべた青年が1人立っていた。
その顔を見た大治郎も青年と同じくらいに目を丸くする。

「河合……?!」

名を呼ばれ、河合という青年は嬉しそうに頷いた。が、喜びは一瞬で消え心配そうに大治郎と右近を見る。

「こんなところで、どうされたのですか? この子も…具合が悪そうですし」

「人酔いしてしまったんだ」

言いつつ、大治郎が右近を背負おうとするのを河合は代わろうとした。
が、大治郎はそれをやんわりと断り、しっかりと右近を背に載せる。

「大丈夫。俺はもう、友達一人背負えるくらいに大きくなったよ」

河合は差し出した手を下げ、「そうですか」と小さく呟く。
不安げな彼に、大治郎は優しく問いかける。

「どこか人が少なくて休める場所を探しているんだけど……」

「それでしたら……心当たりがございます。案内いたしましょう。少し歩きますがよろしいですか?」

「ああ、頼むよ。助かる」

パッと表情を明るくし、河合は大治郎に先導して歩き出した。

時折ふりかえりながら半歩先を河合は歩いてゆく。
大治郎が歩きやすいようにさりげなく人ごみをわけていくその気の利いた様子は昔と変わっていない。

「この人……だれ?」

しばらくすると、少しは気分がよくなったのか、おぶさっている右近が大治郎の耳元で囁くように話しかけてきた。

「河合は、俺の執事でボディガードだったんだよ。3年前までは…な」



何十人もいる執事や護衛の中で、昔の大治郎にとって河合は特別な存在であった。

最も年若い使用人であった河合は大治郎に『普通』の子どもの遊びを教えてくれたし、ときに学校からの帰りに寄り道をしたり、屋敷から一緒に抜け出したりして、外の世界を見せてくれた。

しかし3年前、大治郎が高校に入学してすぐのことだった。

普通の高校に通うのだから、と、大治郎は中学校時代までの車での送り迎えをやめさせ、自転車通学をしていた。
そしてある日、大治郎は車に轢かれそうになり転倒したのだ。

幸いにも怪我は擦り傷程度で済んだが、いつ大きな事故に巻き込まれるかはわからない。
事故以外にも、誘拐される危険性もある。

やはり通学は車での送迎に戻すべきだと、当時から執事長であった野崎は主張した。
大治郎本人でさえも諦め納得しようとしていた。

が、唯一、河合だけが、強く反論した。

大治郎様は外の世界を学ぶために中流の学校に通うのだから、今までより危険な目に遭うのは当然のことだ。それを避けてはいけない、と。

その言葉が大治郎に勇気を与えた。

大治郎は自転車通学を続けたい、と再び強く主張し、その頑として曲げない意志に野崎も了承せざるを得なかった。

ただし、河合の辞職と引き換えに。

河合は大治郎に何も告げず、突然屋敷からいなくなった。



その彼と、このような場所で偶然再会できたことに、大治郎は喜びと安堵感を覚えていた。

河合にもう一度会えたのだ。今、自分には強運がついている。光にも、きっとうまく会える!

そう、大治郎は思った。



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