「どうやら誘拐されたようだなぁ」

大治郎がわざと呑気に言うと、途端に河合の顔がぎゅうっとしかめられる。

「私が付いていながら……申し訳ございません!」

「いや、謝るなら俺の方だよ。河合、右近……ごめんな、こんなことになって」

大治郎は右近に笑顔を向ける、と、右近は見たこともないような険しい表情を浮かべている。

「……なんでじろ兄が謝るんだよ!」

高尾駅で誘拐犯から逃げた時の静かで冷たい雰囲気ではなく、今にも爆発しそうな怒りの感情がそこに渦巻いていた。

「悪いのはさらった奴らだ!……何も出来なかったオレだ!!」

右近の目からボロボロと涙が零れ落ちた。
歯を食いしばり嗚咽を飲み込もうとする少年から強い感情があふれ出す。怒り……そして、悔しさ。

まだ子どもだというのに、この少年は戦う者として、護る者としての気概を既に持っている。

大治郎と河合は息を呑み誇り高い戦士の慟哭をただただ眺めていた。

しばらくして涙がおさまると、右近は妙な動きをはじめた。腕を何度も無理な方向へねじろうとしている。その度にコキ、コキ、と小さな音が上がり……

「やめろ右近!」

大治郎が慌ててあげた声に驚き、右近は手首の関節を外すのを止めた。

「縄さえ外せれば、こんなとこすぐ出られるよ?」

「気持ちはわかるがやめるんだ。子どものうちから関節に無茶させると後々残るぞ」

大治郎の説得が自分の身を案じてのことだとわかり、右近はしぶしぶ頷き大人しくなる。
すると今度は河合の手首からパキ、と音が立った。

「大治郎さんのおっしゃる通りです。ここは大人に任せてください」

河合は自由になった手首の関節をはめなおし足のロープもほどくと、大治郎と右近を手早く解放し、『大人』という言葉にぶすったれている右近の頭をぽんぽん、と撫でた。

「右近くん、大治郎さんを守っていてください」

ニコリと笑いかけ、そして立ち上がると河合は窓の無い部屋の唯一の出入り口であるドアへ向かって歩き出した。

「河合、どこへ行くんだ?!」

「実は私……ここに運び込まれる前から目が覚めていて、気絶したフリをしていました。だから脱出経路も誘拐犯の人数も判っています。
私が奴らを食い止めているうちに逃げてください」

そんなことは出来ない、と言いかけて大治郎は言葉を飲み込んだ。

そもそもは自分が地下街で河合の指示通りに逃げていれば誘拐犯に捕まりはしなかったのだ。
同じ過ちを繰り返すほどの愚か者にはなりたくない。そう、思った。

「奴らにとって価値があるのは大治郎さんだけです。大治郎さんが無事に脱出する。これが重要なのです」

「……わかった」

奥歯を噛み締め、大治郎は頷いた。
その横で同じように右近も頷き、大治郎の服の端を握りしめる。

河合は満足そうに頷き返し、ドアのノブに手をかけた。

「私が出たら3秒数えて部屋から出て、左へ走ってください。玄関があります」

そしてドアを僅かに開き、河合はその隙間に体を滑り込ませた。

次の瞬間。
ドアがこちらに向かって大きく開き、たった今出て行った河合がドサリ、と室内に倒れた。



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