監禁されていた部屋を出るとそこはリビングルームとダイニングキッチンが一続きになっている広々とした部屋だった。

灯りがついておらず薄暗いが、左手方向にはベランダに続く窓が、そして右手にはおそらく玄関に繋がるドアが見える。

負傷した河合を背負っているのだからベランダから脱出するのは無理と判じ、右近はドアに向かって広い部屋を一直線に横切った。
が、途中で何かに躓き転倒してしまった。

「右近?!」

「だいじょぶ。なんか落ちてるみたいだ。気をつけて」

何が床に落ちていたのかと右近は足元に蹲る陰を凝視した。

すると、見えてきたのは人間の体だった。
気絶しているのか……動かない。

驚きのあまり硬直する右近に大治郎が駆け寄り、彼もまた冷たい床に転がる人間を見て言葉を失う。
その2人の背後から、突如として声がかけられた。

「右近か?」

名を呼ばれた右近の、振り向きざまの裏拳を難なく受け止めた人物は、先よりものんびりとした声を出した。

「勢いはあるが正確ではない拳だな。イマイチだ」

右近の父親、黄竜であった。

「とー…ちゃん?」

なぜこんなところにいるのか、仕事に行っているはずではなかったのか、右近の脳内に様々な問いが湧き出す。それを口にする前に、黄竜の方から解答が出された。

「誘拐組織ぶっ潰しに来たらなんでお前が出てくるんだ? 大橋の坊ちゃんと一緒に捕まってたのか?」

顎を撫でながら言うその軽い調子の、いつもどおりの優しい言葉に、右近の張り詰めていたものが弾けとんだ。

「とーちゃん……とー…っちゃ…んっ……」

父親にすがりつき、右近は泣いた。

今の今まで、大治郎を不安にさせないために恐怖という感情は心の内に封じ込め、攻撃に転化していた。
その溜めに溜めたものが溢れ出して止まらない。

大治郎がそばにいる。河合は瀕死の状態。あの恐ろしい執事がいつ目を覚ますかわからない状態だというのに、右近は声を上げて泣くのを止められずにいた。

黄竜は息子の頭を優しく撫でながら、大治郎に視線を転じた。

「右近の面倒見てくれてて、ありがとな、にいさん」

「いいえ……」

「でもね、にいさん。肩に担いでるソイツだけは、こっちに渡しちゃくれませんかね?」

それまでにこやかであった黄竜の瞳に鋭い光が宿ったように見え、大治郎は一歩後ずさった。

「河合 悠斗はこいつらのリーダーですからね、一番逃がしちゃいけない人間なんですよ。大丈夫、すぐに俺の目が届く病院に搬送しますから」

黄竜が『こいつら』と指したのは床に転がり気絶する男。
目を凝らすとキッチンにつづくダイニングの床にも1人倒れているのが見える。

けれども、黄竜の言葉は大治郎の頭にすんなりと入っては行かなかった。

「リーダー…?」

「誘拐はね、こいつの狂言だったんでしょう。
悪いヤツらに捕まったにいさんを危機から救って信用を得て、あとは坊ちゃんを懐かせ言いなりに出来れば巨万の富を手に入れることが出来る。そんな所かな」

黄竜はへらり、と笑う。
心の奥は笑っていない皮肉めいた笑顔に、大治郎は首筋を冷たい手で撫で上げられた心地がした。

狂言?
懐かせる?
言いなりにする?

河合が??

「嘘をつくな! 河合は…河合は……」

昂ぶる感情に身を震わせる大治郎の前に、黄竜は紙の束を差し出す。
それは誘拐組織と河合についての調査報告がまとめられた資料だった。

「そうだな、俺が言ったのはただの推測にすぎない。事実を受け入れ考えるしか無いんだよ」

大治郎は一瞬読むのを躊躇ったが、河合への疑いを晴らしたい一心で最初のページをめくった。
そして、知った。

河合が8年前……大橋家に執事として雇われる前には既に、裏の世界とかかわりを持っていたこと。

あるシンジケートと揉め事を起こしてからはどの組織にも属さず、詐欺まがいの方法で金を稼ぎ部下を増やしていたこと。

裏の世界にあまり姿を見せなくなってからは、時たま会う部下や知人に『上等のカモに取り入っている』『近い将来自分が経済界の全てを握る』と語っていたこと。

3年前……大橋家を解雇されてからも大治郎の動きを逐一調べ、近い未来に手に入る大金を餌に仲間を増やし狂言誘拐の計画を練り上げていたこと。

淡々と書かれている調査報告は大治郎にとって残酷な事実だった。



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