「家に送り返す手間が省けて良かったよ。じゃあな」

「なんでだよ、じろ兄! オレも光さんのとこまで一緒に行くよ!」

まるで人が変わったようだ、と右近は思った。
自分を見下ろす顔には何の感情も映っていない。

なんでなんだ。
一緒に行くと約束していたはずだったのに。

わけのわからない腹立たしさは落ち着かない熱となり、右近の胸の内からせり上がってくる。

「お荷物なんだよ」

表情の無い大治郎の顔の中で瞳だけがギラリと光った。
その冷たい視線に射抜かれた思いがして右近は息を呑んだ。

「俺1人の方がスムーズに行ける。……もう、光の誕生日になっちまった。」

頭を強く叩かれた気がした。

くらくらとする中で何か言わなくてはと右近は口を開くが、何も言葉が出てこない。何を言うべきかもわからなかった。

大治郎は動けなくなった右近から黄竜に視線を移し、やはり淡々と言い放った。

「貴方の息子さん、全く使えませんでしたよ。
彼が将来一人前の天狗になったとしても、私の所には絶対に寄越さないでください」

黄竜は何も言わず、頷きもしなかった。
そして大治郎も彼の返事を待たずに踵を返し、リビングルームから出て行った。

その足音が遠ざかり、玄関の重たいドアが閉まる音が聞こえ、気配が消えていくのを悟ると、黄竜は立ち尽くす息子の頭に軽く手を置いた。

「帰るか」

返事は無い。

右近は泣いていた。

拳を硬く握り締め、口をギュッと引き結び、目は大治郎のいた場所を見据えたままで。
堪えきれなかった涙だけが音もなく流れ落ちていた。

黄竜は息子の背中を一度ポンと叩くと、河合の体を担いでベランダへ続く窓から部屋を出た。


 ◇◇◇


野崎が目を覚ましたとき、そこには彼以外には誰もいなかった。
主たちはおろか、負傷していたはずの河合も、河合の部下達もいない。

逆探知で突き止めた河合の拠点であるウィークリーマンションに乗り込もうとしたときに出会った、天狗の黄竜と名乗る男が「誘拐犯の始末は自分に任せろ」と言っていた通りに、彼が大方の始末をしてくれたのだろうか。

河合はどうなっただろう。

殺すのではなく恐怖心を植えつける目的で彼を刺した。
刃の表面には麻酔薬を塗っていたので斬られれば意識を失うだろうが急所は外していたので失血しすぎなければ死ぬことはない。

主の姿が見えないことも気になる。
この場から無事逃げてくれたならいいが、自分より先に目を覚ました河合に追われていないとも限らない。

不安は未だ止まない。
野崎は急いで部屋を飛び出した。

主と共にいた見覚えの無い少年に蹴られた側頭部が走るたびににジンジンと痛む。
回避する間もない程に素早く、そして鋭い回し蹴りだった。

おそらく、あの少年が主と共に失踪していた右近とかいう天狗の少年なのだろう。

半人前の子どもですら高い戦闘能力を持っている天狗の実力を思い知り、野崎は腹の底がぞっと冷える心地がした。



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