◇◇◇


高尾山中の桜は満開に花を咲かせていた。

山奥に隠れるように建つ帯刀家の庭でも何本もの桜が淡い紅色に染まり、右近はそのうちの1本に登り、ぼんやりと真っ青な空を眺めていた。

暖かな春の日だった。

大橋 大治郎の失踪と誘拐未遂事件から2日が経った。

血まみれの姿で本家に戻った右近を、出迎えた従兄弟や兄はひどく心配してくれた。が、彼らの心配りをありがたいと思う間もなく右近はその場で眠り込んでしまった。
目を覚まし自宅に帰ってからも、丸一日眠り続けた。

慣れない環境の中で動き続けたから疲れたのだろう。父親はそう言って『無茶しすぎだ』と笑いかけてきた。

母親には勝手に出かけたことをこっぴどく叱られたが、最後に『よく頑張った』と抱きしめてくれた。

けれども、右近の心は今日の空のようには晴れない。

河合 悠斗は搬送先の病院で意識を取り戻し、取調べも始まっている。大治郎は昨日の早朝に無事帰宅した、と父親が今朝そっと教えてくれた。

彼の周辺が落ち着くにはもう少し時間がかかるだろうと父は続けたがその口調は暗いものではなかった。

大治郎はもう大丈夫だろう。右近もなんとなくそう感じた。

けれど、大治郎のことを思い出すとのどの奥がぎゅうっと締め付けられた気分になる。

最後の彼の言葉を、どうしても思い出してしまう。

『お荷物なんだよ』

『貴方の息子さん、全く使えませんでしたよ。
彼が将来一人前の天狗になったとしても、私の所には絶対に寄越さないでください』

グッと口を引き結び、嗚咽が漏れるのを堪えた。
膝を抱き、額に膝頭に押し当てて目を閉じる。

豹変したかのような、大治郎の冷たい目を思い出す。

一緒にいた時間は確かに短かったけれども、自分と大治郎の間には確かな友情があったと今でも信じているし、信じたかった。

でも。

あの言葉が、あの視線が、彼の本心なのだろうか?

確かに自分はお荷物だった。

電車に乗りなれていないし、新宿ではあまりの人の多さと空気の汚さに目を回して……河合 悠斗に接触の機会を与えてしまった。

河合の仲間に襲われたときも、結局何も出来なかった。

自分は、大治郎の足を引っ張っていた。


悔しかった。


大治郎の言葉が与えた悲しさよりも、己の弱さを思い知った悔しさが涙を溢れさせる。

右近は満開の桜の中で蹲ったまま、声を殺して泣いた。

「うこんー」

不意に名を呼ばれ、右近は急いで目元を拭って地面を見下ろした。
自分のいる木の下に双子の兄が立っている。

「左近……」



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